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(230) 三太お犬様(続きの続き)

家出したおかあ、とうとう国境越えて、中国へ行っちまった。
中国にも、赤いリボン結んだ唐獅子がいっぱいいた。
やっぱり、父ちゃん獅子は玉を、母ちゃん獅子は子を抑えている(※1)。


瀋陽故宮へ行った。

ここの母ちゃん獅子のシッポはどんなだろう? 韓国のヘッテのシッポ(※2)を思い出しながら、うしろに回ってみた。
あれ? 背中に何かくっついてる。
= よーく見たら、子獅子だ。母ちゃん獅子が銜えてる帯みたいな紐の端っこ銜えて、ぶら下がってるんだ。
なーるほど、こうすりゃ、2匹目の子も連れて歩けるわけだ。
おかあ、位置を変えてもう一枚、写した。あとで見たら、ヒトの子がバギーに立ち上がって親にぶらさがろうとしてた。



※1 (151) 三太魔女修行・台湾編「犬か獅子か」

※2景福宮のヘッテ(写真4 光化門のヘッテ)((32) 三太韓国旅行 ?狛虎(こまとら)?

2背中にぶらがる子獅子"
背中にぶらがる子獅子
背中にぶらがる子獅子、バギーに乗る幼児
背中にぶらがる子獅子、バギーに乗る幼児

 
(229) 三太お犬様(続き)

家出したおかあ、とうとう新幹線乗って、行っちまった。
岡山県の山ん中、今は美作市中谷。
江戸の郊外に巨大な「犬小屋」(※1)作った津山藩の領地だった。
大庄屋だった林さんち行ったら、真っ黒い犬が、重要文化財を守ってた(※2)。

式台が二つ並ぶ林家住宅
式台が二つ並ぶ林家住宅
重要文化財を守る犬
重要文化財を守る犬

宿の駒ノ旺山荘行ったら、レトリバー系のおばさん犬2匹が、すべての来客に愛想ふりまいて仲良く「招き犬」やってる。
年上のおばさん犬がおかあの散歩に付いてきた。若いおばさん犬が追いかけてきて、いきなり首ねっこに噛み付いた。
おかあ、あっけにとられた。写真撮る余裕もなかった。
おばさん犬たち、仲良くみえるけど、毎日、序列確認の儀式やってるんだ。同性だからかな?
むらき家のパピ五郎時代、パピー姐御は、体が小さくて力も弱いのに、五郎先輩を威圧してた(※3)。
犬の世界は女性上位?



(228) 三太お犬様

おらの八つ当たりに辟易したおかあ、家出しちまった。
炎天下、ふらふら歩いてたら、道沿いの草ん中に犬が何匹もいる。
いまどき、繋がれてない犬なんて、って、目ぇこすった。
生の犬じゃなかった。


野良犬が「お犬様」と呼ばれた頃。
ところは、東京都中野区役所(※1)。
300年前、ここに、とてつもなくでかい犬小屋があったんだと。
幕府に命令された津山藩が建築したんだと(※2)。
ドッグフードなんて売ってなかった頃だ、どんな犬まんまだったんだろう?



※1 中野区役所そばの犬たちの写真→ 中野区名所・史跡・旧跡 

※2 津山藩 「生類憐みの令」と作州津山藩 - 存在を問い続けて
(227) 三太消費者

「<消費者心理>って、わかんない」(※1)ってぼやいたおかあ、『<快楽消費>する社会』(※2)ってえ本見つけた。
堀内センセイは、快楽消費とは「消費者行動を通じて、当人にとって望ましい感情を経験すること」だって言う。
贅沢にカネ使うだけじゃなく、「費用のほとんどかからない快楽消費もある」って。


犬を買うのは−ペットショップで品定めして、ウン十万円払う、快楽消費そのものだ。
犬を飼うのは? 
ドッグフードに金を払う―初めは楽しい買い物だ、「快楽消費」。
慣れてくると、「無感情の習慣的な消費者行動」。
家計が苦しくなると、負担になるから「不快」。


おかあがおらと若葉の森を散歩するのは、「快楽消費」だ。森も道路も、おかあの私有財産じゃねい。公共サービスを利用する「費用のほとんどかからない快楽消費」。
犬と暮らす「快楽」。
おらに噛み付かれると、消毒薬を消費する、「不快」。
「快」「不快」あざなえる縄の如し、はかないもんだ。


※1 (225) 三太ノレンに腕押し
※2 堀内圭子『<快楽消費>する社会』中公新書、2004.
(226) 三太八つ当たり

突然の猛暑。
ゴロー先輩は、植木の根元ひっかいて腹ばいなって冷やしてた(※1−1)。
チャペックさんは、犬が地面をひっかいて穴を掘るのは、地下にもぐってしまった犬の王国を探してるんだ、って言う(※1−2)。
おら、掘るのはおかあが植えたときか埋めたときだ(※1−3)。


おかあ、花大根(紫金草 ※2)を引き抜いて集める。
今日やらないと、種がみーんなはじけてなくなっちゃう、って。
丸椅子に腰掛けて、でかい箱の上で、サヤをしごいて種を落とす。
おら、おかあの足元に腹ばいなって見物。
通りかかったカブトムシの木のおばさん「あらまあ、たいへんね」
立ち上がったおかあに、踏まれそうになって、ふくらはぎに噛み付いた。


ベビーカーを押してきた九月ちゃんのママ「こんにちは。ほら、ワンちゃんよ」
返事しようとするおかあに、おら、ギャンギャン!
九月ちゃんもママもびっくり。
九月ちゃんを犬嫌いにさせちまったかな。


おら、冬毛が抜ける途中でむずがゆくってしょうがねい、おまけにこの猛暑だ。
イライラ、イライラ、おかあに当り散らしてる。



※ 1−1 ゴローちゃんファンクラブ 57.お手伝い
※ 1−2 「犬と妖精の話」『長い長いお医者さんの話 チャペック童話集』中野好夫訳、岩波書店、1962第一刷、1985第19刷
※ 1−3 (11)三太 歳末分かち合い
※ 2  (70) 三太紫金草
(225) 三太ノレンに腕押し

今朝、生まれて4ヶ月だってえ、娘っ子に出会った。名前は「レイ」ちゃん。
怖がりで、シッポが下がってる。柴犬ならキリリと巻き上げとけ、ってお説教したくなった。
お供のおばさん「なるべく、大きくならないで欲しいんですけどねえ」
おらを見て「やっぱり、ドッグフード食べさせてるんですか?」
おかあ、またまた、犬まんまについて講釈(※1)。


ずっと前、<猫の爪を切る>って講釈したときゃ、猫派から大反響があった(※2)のに、<犬まんま(=雑炊)>についちゃあ、誰もなーんも言ってこねい。
おかあ、もう10年以上前から、車を所有するよか、タクシー利用するほうが、安上がりだ、ってえ<脱・自家用車>を説いてるんだが、これもノレンに腕押しだ。
おかあ、ぼやく「<消費者心理>って、わかんない」



※ 1 (221) 三太危険がいっぱい
※2 猫の爪を切るのは是か非か? ゴローちゃんファンクラブ で白熱!
  22.反抗期(?) / 23.太陽政策 / 24.「太陽政策」愛猫家に波紋!  25.「太陽政策」に相次ぐ波紋!! / 26.「太陽政策」─ 実現するには
(224) 三太リサイクル(その3)

 写真集(※1)見てたおかあ、「あれ、こんな所もあったんだ」

 金属回収ってえと、お寺の鐘がずらーっと並んでる写真を思い浮かべてたおかあ、鐘のうしろに華やかに着飾った稚児が並んでる写真に、びっくりした。

 ときは昭和17年=1942年。ところは大分県大野郡緒方町、今は豊後大野市だ。『死んどるヒマはない』(※2)って、吹っ飛んで歩いてる魔女(=産婆)益永スミコさんが生まれた村の近くだ。

 益永さんが、魔女デビューしたのは、昭和19年=1944年6月。ところは大分県大分郡石城川村、今は由布市。当時は徒歩しか交通手段がない山林の村だった。

約600戸の村の村営助産婦に就職したんだが、

「金属供出で医療器具もなかったんだよ。(金属の鍋が手に入らないから)私は土鍋を買った、シチリンにかけて、お湯沸かして消毒した。そのころの産婆は、黒い革のカバンに道具入れて持って歩いてたけど、私は革のカバンもないから、風呂敷に包んで行った。私は保健婦も兼ねてたけど、持ってるものは体温計1本だけ。消毒する、薬ったって、クレゾールだけっきゃない」


  このころは、茨城のヒトたちも、お産見舞いに缶詰(※3)をあげたりもらったりできなかっただろう。マグロ缶だって、軍納缶詰1本の生産体制がしかれてたんだし(※4)。

茨城の、ある農家の金銭出納簿(※5)を見ると、44年5月12日に「配給鰯一〆匁」を3円で買った。鰯は何回か配給されて、11尾を96銭で買ったりしているけど、魚介類の缶詰は買ってねい。1937年にゃイワシ缶で新年会をやった集落(※6)なんだが。

このうちじゃ、終戦後の9月16日に「錻力缶三個」を4円で買った。1個1円33銭の缶の中味が何か、書いてねい、空缶だけを容器として買ったんだと思う。穀物だの粉ものを保存するのに、石油缶(※7)は便利だったから。



※1 『目で見る 竹田・大野・直入の100年』(大分県)郷土出版社、2001、85
  「釣り鐘の出征(緒方町・昭和17年)」

釣り鐘の出征

※2 DVD「死んどるヒマはない―益永スミコ86歳」
コスモスさんが、DVDを上映し、生の益永スミコさんと接した思いを書いてます→yaplog.jp/hi-san-pin/archive/139

※3 お産や病気の見舞い品として「イワシの缶詰」が贈答され、産後の食とされていた土地がありました。

(176) 三太農村の貰い物 . (177) 三太産後のイワシ缶 . 〜(189) 三太産後にイワシ缶?

※4 日本鮪缶詰輸出水産業組合『まぐろ缶詰史 創立25周年記念』1982.3
「第2次大戦のために輸出は全面的にストップするのである。これは大戦前に施行された「貿易統制令」によって、食料品の輸出が全面的に禁止されたためである。かくて戦前のマグロ缶詰輸出の記録は昭和15年をもって空白となり、翌16年12月の大戦を迎えた缶詰業界は、軍納缶詰1本の生産体制に入ることになった。」

※5 『関城町史 史料編二 戦時生活史料』1984, p.483-「二・18 岩岡玄蕃金銭出納簿 昭和十九年度<支出>」

※6 (184) 三太鬼怒川くだり

※7 成城大学民俗学研究所編『日本の食文化―昭和初期・全国食事習俗の記録』岩崎美術社、1990、p。228−「24 石川県石川郡舘畑村」P.234 「53 穀類はもたい、粉類は雑穀など少量は石油缶に入れる。」など
(223) 三太サマータイム

今朝も4時半におかあを起こした。
おかあ、ぶつぶつ・・・
おら、5月半ばから、サマータイム実行中だ。
「早寝・早起き・朝ごはん」じゃなくって、「早寝・早起き・三食ごはん」だ(※1)。
おら、節電に協力してるんだ。
散歩行くんだって、暗くなってからじゃ、おかあは懐中電灯が要る。
明るいうちに行きゃ、電池使わなくって済む。


源八おじさんの仲良しのオバサンから聞いた―

電力会社は、「電力が不足しそうだから、節電してください」って言ったあと、「オール電化」を勧めて電力需要を拡大してきた(※2)。
IHクッキングヒーターが急増したってえグラフを見て、おかあ、落ち込んだ。自分も宣伝に乗せられてたのか、って。
「加齢に備えて、炎のない台所がいい」って、おかあ、15年前から、人にも勧めてきた。
炎がないのは悪いこっちゃねい。火傷も火事もないほうがいい。


夏場の電力需要は午後2時ごろが最大なんだと。
東京都の広報誌にも「平日朝9時〜夜8時に節電を」(※3)。
あの『我欲』じいさんは節電してんのかな。
おかあ「私だって、三太メシ煮るの、3回を1回にまとめて、節電してる」
夜8時過ぎてから電灯つけて煮るか? 昼間、電灯つけないで煮るか? 「東京都認定節電アドバイザー」に聞くまでもねい、日の出から朝8時59分までの間に煮ればいいんだ。


※1 (27) 三太食育 

※2 「東電の夏の電力は不足しない・データは語る」   市民エネルギー研究所―安藤多恵子さん講演(5月15日)

※3 『広報 東京都 第789号 6月』平成23年(2011年)6月1日発行
「電気の使い方を見直し 電力不足の夏を 乗り切りましょう」
……「東京都家庭の省エネ診断員制度」統括団体のスタッフ約3,000人が、「東京都認定節電アドバイザー」として、6月中旬から約100万世帯を対象にした節電対策のアドバイスを開始します。……


(222) 三太リサイクル(その2)

図書館に、「まじょのかんづめ」(※1)があった。
魔女が入ってる缶詰か? 魔女が食べる缶詰か?
魔女が作った缶詰だった。魔女が封じこめた中身が逃げ出したあとは、「空き缶」だ。


澤地久枝さんは、昭和16年(1941)年の12月の宣戦布告より前に金属回収が通達されてた、って書いた(※2)。

 戦後育ちが「写真集」(※3)で見る「金属回収」は、1942(昭和17)年5月の金属回収令による寺院の梵鐘などの大物の強制供出の写真が多い。お寺の鐘がずらーっと並んでる写真は印象的だ。だから、太平洋戦争になったんで、金属製品が供出させられた、と思いがちだ。

けど、お上は日中戦争(当時は「戦争」とは言わねい、「事変」って言ってた)始めると、すぐに、廃品回収を始めてた。資源がない国が戦争続けるにゃ、リサイクルしなきゃ。

初めは、廃品回収に出してモノを有効に使おう、とか、小学生が折れ釘や銀紙を献納するのを褒めて、「自発的」な戦争協力を奨励してた。家庭内や道端から回収するにゃあ、子どもをおだてるに限る。
 1938.7.7の「事変一周年一戸一品献納運動」では、「穴のあいたバケツ、柄の折れた鋸」も献納するように呼びかけた(※4)。

東京都の北新井(長崎東町三丁目)町会では、ブリキ屑が二百廿八貫百匁集められて、50.18円の売却代金を献金した(※5)。
  「資源愛護の精神から」リサイクルのはずが、売却代金の献金。カナモノだけじゃなくカネもさしだせ、って。

アメリカからの屑鉄が輸入できなくなった、領土内で徹底リサイクルするしかねい。「金属回収令」が1941(昭和16)年8月公布されて、郵便ポスト・ベンチ・街路灯・広告塔・灰皿・火鉢など15品目が不急品に指定された。橋の欄干や手すりもはずされた、落っこちたら自己責任ってわけだ。
不急品だけじゃねい、今使ってる洗面器、火鉢、鍋なんかの「現用品ノ供出」が指示される(※6)。
お寺の鐘が運び出されたのは、そのあとの、強制譲渡命令が発動された時期だ。


新聞雑誌(※7)は、空缶を枡代りにするとか、防空壕内でのお産の照明にゃ空缶にローソクを立てるとか、活用法を紹介しているが、そんな空缶があったんだろうか?



※1 佐々木マキさく『まじょのかんづめ』福音館書店《こどものとも》傑作集、1999

※2  (219) 三太リサイクル 澤地久枝『一九四五年の少女−私の「昭和」−』文藝春秋、1992

※3 たとえば、『目で見る古河・岩井・水海道の100年』郷土出版社、1998、p。100。
羽島知之『太平洋戦争下の日本:昭和16年〜20年 資料が語る戦時下の暮らし』麻布プロデユース、2004、p。142。


「金属供出」1939年2月( 『朝日歴史写真ライブラリー 戦争と庶民1940-49?窮乏生活と学徒出陣』朝日新聞社、1995、p。98)


※4 『写真週報』1938.7.6 (21) 「支那事変一周年」
p。18-19「七月七日一戸一品献納 折れ釘も立派に武器となる」 。 国の広報誌である『週報』第92号、1938.7.20 「経済戦特輯」には、「商工省 金属製品・紙類の廃品、屑物等は死蔵することなく直ちに払下げること」とある。

※5『豊島区史 資料編四』東京都・豊島区史編纂委員会、1981。

※6『関城町史 史料編?戦時生活史料』1984。p.276「二・3関本町部落常会誌」1941.12.18「実際使用シテ居ルモノデモ代替品ヲ以テ用ノ足リルモノ」
 1942(昭和17)年5月には、金属回収令に基づく強制譲渡命令が発動されて、寺院の仏具・梵鐘などの大物の強制供出が命ぜられた。

※参照:総務省の一般戦災ホームページ   全国戦災史実調査報告書一覧
  「平成 9年度 戦災により犠牲を被った国民の金属等の回収・供出に関する記録の収集」
「昭和59年度 戦災により犠牲を被った国民の衣・食・住に関する記録の収集」
 
※7『主婦之友』1938.9「家庭報国 衣食住の生活改善の実験集」空缶を枡代りに
『毎日新聞戦時版』1945.1.16 「実戦防空医学」[妊産婦と防空生活]

(221) 三太危険がいっぱい

おかあと歩いてたら、知らないおばさんに呼び止められた、
「よ〜、太っとるね〜! うちにも柴がおるけど」
「この子は、よく食べるんですよ」おかあ、傷ついた心を秘めて答える。
「やっぱり、ドッグフードばかり食べさせとるの?」
「え? うちは雑炊作ってやってますけど」
「ドッグフード以外のもの食べさせると太るんだって」
おかあ、内心のけぞった。このおばさん、ペットフード以外のものはすべて肥満の素だと、ほんとに信じてるんだ。
おかあ、躍起になって、<雑炊=犬まんま>(※1)の材料と作り方を説明する。

おばさん「おいしそー」
おばさんの目はおらの胴回りを見てる。
おら、生まれたての恐竜の子(※2)ほど純真無垢じゃねい、「おいしそー」って名前を呼ばれたとは思えねい。
ぞーっとして、おかあの後ろに隠れた。


帰り道でいつものように、おら、おかあを引き止める。ひとしきり、耳のうしろから背中へ、掻いてもらう、マッサージみていなもんだ。
ん? 今日はなんか、おかあの手つきが違う。おらの胴回りを掻きながら、骨のありかを確かめる、肥満度チェック。
おら、ヘンゼルか? 
おかあ、ついに魔女になったか?(※3)



※ 1. (35) 三太韓国旅行 ?「犬まんま」
おかあの作る犬まんまは、ゴロー先輩の時代から、「野菜7+穀類2+動物質1」の雑炊。近頃は穀類をさらに減らしています。(「ゴローちゃんファンクラブ」「10.ゴローの食生活改善」

※ 2.草食恐竜の子は、卵から出て初めに会った肉食恐竜に「おまえ、うまそうだな」と言われて、自分の名前は「ウマソウ」なのだと思い込みました。(アニメ「おまえ、うまそうだな」

※ 3.魔女は、ヘンゼルが食べごろに太ったかどうかを確かめようと、指にさわってみます。ヘンゼルは鶏の骨をさしだしました。 (ヘンゼルとグレーテル
(220) 三太どこへ? 

子どもを守ろう!?子どもを守ろう!
どこへ行けば良いってんだ?
?どこへ行けば良いってんだ?
三太もコゴローも「バイバイ!げんぱつ」
原発震災に関するメールが毎日、たーくさんくる。
うちにじっとしてていいのか?
  おかあは動かねい。ド・ン・カ・ン!

沖縄の読者さんから「一時避難を検討されている方は、どうぞ」
そうだ、沖縄行こう! 子どもを守ろう!

つれ歩けるのは、一度に一人ずつだ。?
シェリーを連れて出ようとしたとこで、おかあに呼び止められた


「きみ、どこ行く気?
沖縄、ってどこだか、わかってる? 行けるの?」

行けるさ。黒猫のルドルフだってヒッチハイクで東京と岐阜を往復したんだから(※1)。

「ルドルフは、車種もよーく研究して、地図もしっかり頭に入れてったのよ。
沖縄へは、海がある、きみ、まだ海を泳ぎ渡る練習してないでしょ」


じゃあ、どうしたら良いってんだ??


おかあ、しばらく考えてから言った―

「今の日本じゃねえ、一番安全なとこは、シュショウカンテイってとこかも知れない。
東京の、永田町って、前にポチや孫ブルもいたとこ(※2)。
それか、コウキョってとこ。緑がいっぱいあって、大気汚染物質をろ過してくれるんじゃないかな・・・」

うん、そこへ行こう。

おかあ、また、呼び止める

「ただ、行ったら、迷い犬だと思われて、命の保証がないよ。
お堀を泳いだら、木の芽どきの精神異常扱いされちゃう。
『地震と放射能から避難してきた駆け込み犬です』ってわかってもらわないと。

このプラカードを縮小して、つけて行ったら?」



※1  斉藤洋作、杉浦範茂絵『ルドルフ ともだち ひとりだち―続:ルドルフとイッパイアッテナ』講談社、1988

  ※2-1 ポチがのっとった頃 (5)三太 ジェンダーフリー

※2-2 孫ブルがいた頃 (124) 三太ブルブル 
(219) 三太リサイクル

調布のイガグリおじさんからの見舞状に―


「クイズめきますが、つぎの品目名がなにを意味しているか、あててください。
 たくさんありますが、急がないでじっくりと考えることが鍵です。
 鉄瓶、薬缶、花瓶、灰皿、銅壺、水差、柵、塀、塵取、屑籠、如露、卓上呼鈴、鉛筆削、名刺差、伝票差、屑入、痰壺、洗面器、」(※)


このあと、まだまだいろんな品物が続く・・・
おかあ、ため息ついた。ふりがななしじゃあ、読めねい、って。
しょうがねい、おらが読んでやろう。
 「てつびん、やかん、かびん、はいざら、どうこ、みずさし、さく、へい、ちりとり、くずかご、じょろ、たくじょうよびりん、えんぴつけずり、めいしさし、でんぴょうさし、くずいれ、たんつぼ、せんめんき、」


 おかあ、やっと気が付いた、このクイズ、澤地久枝さんの文章なんだ。学校の教科書に載ってるんだと。

澤地さんが、しつっこく沢山の品名を数え上げるのは、昭和16年(1941)年の3月よか前、太平洋戦争をはじめる前にすでにこんなに緻密な金属回収が通達されていたからだ。
“宣戦布告がなされるところから戦争がはじまるわけではないのです。”
って言いたいからだ。


おかあ、うんうん、ってうなずいてる。



※澤地久枝『一九四五年の少女−私の「昭和」−』文藝春秋、1992
(218) 三太お見舞い

『源八おじさんとタマ』(※1)を見た杉並の猫おばさん―

「ほうじゃったのかあ! タマちゃん。かしこいのー、三太くんみたい。」


おら、タマちゃんほどじゃねい。


バンさんは屋根の上で耐えた、3週間も!
「漂流犬」だ(※2)。
おら、そんなに耐えられるだろうか?


黒ラブのベイビー親分(※3)に久しぶりに会った。
山の家から町へ出る道が大揺れで崩れた。3週間ぶりに通ってこられたんだと。
なんか元気がねい、老け込んだみていだ。
うち帰って、うさこおばさんのブログ見た。
ベイビー親分、病院行って、手術の予定が決まったんだ。
おら、お見舞いメール打った。


   おかあの友達、あちこちで、ガンと闘病中だ。
原発震災のせいで、これからもっと、ガンに罹るヒトも犬も増えるだろう。
やっぱり、原発はなくしたほうがいい。
震災と病気の、お見舞い書きながら、おかあ、自分のウツをあやしてる(※4)。



※1 『源八おじさんとタマ』 

※2 「『漂流犬』飼い主と再会 名前『バン』ほえて大喜び」『朝日新聞』2011.4.5

※3 (111)三太漆黒の影

※4 (55) 三太うつになりまして。
(216) 三太大揺れ

テラさんのおかあさんから―

被災地の犬たちはどうしているでしょうか?


調布までたどりつけた犬には、ステイ先が見つかりそうだ(※1)。


大揺れのあと数日、おかあがやったことのいくつか―
? 非常持ち出し袋を点検した。
ポケットに「この袋の持ち主」って連絡先一覧を入れてある。なんと、おかあの住所がゴロー先輩の故郷のまんまだ。これじゃあ、行方不明者リストを混乱させちまう。
せっせと、連絡先一覧を書き直した。

?揺れるたんび、おらをリードにつなぐ。
おらが町へ飛び出してったら、落ちてきた物で怪我する。車に轢かれる。つかまえようとするヒトを噛む・・・誰かしらの命にかかわる。
それよか、おらが自分の小屋にいてくれるほうがいい、って。

?ホームセンター行った。ドッグフードの6.5kg袋を買ってきた。
ちょうど、買い置きが残り少なかったからだ。
一食分ずつ、小袋に分けて、おらの非常持ち出し用にした。
粒メシはおらの好みじゃねい、ってわかってるけどこの際ガマンだと。
缶詰は、ヒト用も犬用も、買ってこなかった。

? ホームセンターで、野菜の苗を買ってきて、庭に植えた。
キャベツとサヤエンドウ。食べられるまで一ヶ月以上かかるのに。
植えてみて、おかあ、自分でも案外なくらい、落ち着いた、って。

ずうっと前、オイルショックのあと、スーパーの棚が空っぽになるパニック(※2)があった。

オバサンが箱に野菜の種を播いて「昔とった杵柄」って言ってるってえ新聞記事もあった。

「昔とった杵柄」って、なんのこった? おかあ、勉強し始めた。

「昔」ってえのは、戦時中、つまり今から66年前、アジア太平洋戦争の銃後。一坪の空き地も利用して食糧増産しろ、って言われてたころのことだった(※3)。

都会の道路も、学校の校庭も、国会議事堂のそばまで、畑にされた。一般の家庭も、庭に防空壕を掘り、芋を植えた・・・

おかあ、お上が発行していたグラフ誌『写真週報』から目を上げて、うちを眺め回した。当時、住んでたのはマンションだ。空き地なんて一坪もねい。ベランダの植木鉢でカボチャは何個育つ?

自給なんて、絶対不可能だ。自給を工夫するよか、政府に戦争させないように、平和運動するほうがいい。
おら、放射能を避けるなんて、できねい。政府に原発を廃止させてくれ。



※1 【募集】味スタ近隣でペット受入れOKの方、ペット受付業務できる方  (調布ボランテイア情報 調布ボランテイア情報 )
※2 1973年11月、モノ不足感で広がったパニック ※3 「寸土も耕せ食糧自給だ 帝都の転廃業者 茨城県下開拓地に帰農」(『写真週報』写真週報 277 昭和18.6.23)
この号には、「楽観を許さぬ食糧事情」「電車通にも畑を 東京市」「道路を畑に」「校庭も耕せ」「庭園も」「河床も立派な畑だ」などと、非農家に食糧自給を奨励する記事が満載。
さらに、翌年(昭和19年=1944)には、「空地はあげて食糧増産へ」(『週報』第386号 S19.3.15)と切迫してくる。
(215) 三太さらにさらに受難の冬

今週は雪が降った、と思ったら、ものすごーい地震だ。
「停電すると、メールできない」って聞いたおかあ、今晩のうちに発信することにした。


猫のこまるくんのおっかちゃんのおふくろさんから―

三太くんは怖がりましたか?
こまるはにゃお〜んと鳴きながらうちじゅう走りまわりました。



おかあ、ちょうど、図書館の分館にいた。こども室で、『いぬ おことわり!』ってえ絵本(※1)読んでた。
分館はおととし秋に耐震工事してた(※2)から、ダイジョブだろう、って、おかあ、あわてなかった。
教育学の大先生が、「小学校のプールの水が揺れてますよ」って言った。大先生もこども室にいたんだ。
おかあ、のびあがって、小学校のプールを眺めた。
水がドップンドップン波打って、今にもプールサイドにあふれ出しそうだ。
おかあ、あわてて、うちに帰ってきた。
おら、とびついて迎えてやった。
おら、こまる君とは違うってとこ見せる。沈着冷静、をよそおう。


テレビが次々、すさまじい津波を映し出す。
おかあ、あちこちの知り合いの顔思い浮かべる。
テレビに、道路が陥没した埼玉県幸手市の土手が映った。
えっ?! あそこ、ゴロー先輩を乗せて月に1―2回走ってたとこだ!
夜中に5時間甲州街道を歩いて帰ったってえ「帰宅難民」レポートが来た。
やっとたどりついた自宅は、マンションの12階、エレベーターが止まってる。12階まで階段登る足がどんなに重かっただろう。
おかあ、ゴロー先輩と21階の階段を登ったこと思い出した(※3)。
おら、2階までで充分だ。



※ 1 『いぬ おことわり!』H.A.レイえ、マーガレット・W・ブラウンさく、ふくもと ゆみこ やく、偕成社、1997年1刷、2005年7刷。
※ 2 図書館分館の耐震工事 (163) 三太読書の秋
※ 3 (81) 三太階段ばなし
(214) 三太さらに受難の冬

「さらにチッコイの」(※1)が来た。
おらの前に立って、威張って言う、「三太、おすわり!」
それが、年長者に対する態度か? 
  無礼にもほどがある、ひとっ噛み、思い知らせてやろうか?
牙を剥きかけて、ふとおかあの視線を感じた、まずい!
おら、小屋にひっこんだ。


ヒトの中でも、賢いヒトは子どもに教えてる、ほんとは犬は骨を噛み砕く力を持っているのだと(※2)。
パピー姉御も、ゴロー先輩も、生涯、一度も牙剥かなかった。むらき家に駆け込むまでに、辛酸を嘗めてきた(※3)。ヒトに牙剥くと食いっぱぐれる、下手すりゃ自分の命を失う、そんな愚かなマネはしない。
犬は、一万年、代々、「ヒトに従順だ」という演技を磨いてきた。演技とも気づかせねいほどの演技力。
おかあ、パピー姉御に牙があるなんて思ってもみなかった。


おら、おかあとお見合いしたとき、もひとつ縁談があった。何が何でも駆け込まなきゃ、ってえ切羽詰った緊張感が足りなかった。
おかあ、初めておらに噛まれて怪我したとき、厳しい表情で言った―
「もしも子どもに怪我させたら、勘当じゃ済まない、死罪だよ」


小屋で座禅組みながら、おら、反省する―修業が足りない。


「さらにチッコイの」が帰った。
おら、おかあに飛びついてべたべたしてみせる。
おかあ、「よしよし、君が一番だよ」とか機嫌とってくれる。
平和共存、ひとまず、めでたしめでたし。



※1「さらにチッコイの」 (50) 三太オンリーワン
※2 「犬の十戒 いぬとわたしの10のやくそく」
 
第7条「私を叩く前に思い出して下さい 私には貴方の手の骨を簡単に噛み砕くことができる歯があるけれど 私は貴方を噛まないように決めている事を。」
 
※ 3 パピーは非暴力無抵抗の絶対平和主義。ゴローは自衛権行使を限定していました。 
(67)三太「ふたり合わせてパピ五郎」(その3)駆込み犬
(68) 三太「ふたり合わせてパピ五郎」(その4)集団的自衛権 
(213) 三太受難の冬

ご無沙汰しちまった。いや、おらのせいじゃねい。
おかあのとばっちり食ってたんだ。

去年11月頃、世話人さんから
「むらきさん、やってること、話してくださいよ」
って言われたおかあ、3年前に書いたもの読み上げればいいって思って引き受けた。
読み直してみて、愕然、とっても使えねいって。
以来、資料探しと取材と整理に明け暮れる日々。
お話する日が近づくにつれて、おかあ、目がつりあがってくる。おらこと、うわのそら。
犬まんまは、一日分まとめて煮て、弁当箱三つに分けとけば、そのつど盛り付けなくってすむ、って思いついたとこまではいい。
そのあとがよくねい。
弁当を、いつ、おらにくれたか、覚えてねい。夕方、おらが催促する。おかあ、昼の弁当くれたかどうかも、思い出せねい。ひどいもんだ。
おとうは、いい。自分で買い物行って、自分で料理できる。冷蔵庫も開け閉めできる。 おら、拘束されてるから、食いもん探しに行けねい、催促するしかねい。
おとうが、友達に
「メシを催促する以外の能がない駄犬」って言ってるの聞いちまった。
そりゃないだろう!!!
おら、おかあを毎朝起こして、散歩させる、あとはおかあの邪魔しねいように静かに過ごしてる。こんなに誠実に働いてるアニマル・セラピスト(※1)を【駄犬】だと!
名誉毀損で訴えてもらおう、って、弁護士さんたちの顔あれこれ思い浮かべながら寝た。
翌朝、おかあを散歩させてる間に気がついた。
そっか、おとう、自分もかまってほしいのか。
おら、おとうの部屋行って、足元に丸くなってやる。
心の広〜いアニマル・セラピストは忙しい。



※ 1 金銭の収入を伴わないけど、おらの仕事は「アニマル・セラピスト」だ。
 (3)三太のお仕事…
(212) 三太初午2011 

明日は初午。
いなりずしが楽しみだ(※1)。


北区の住人(その一)さんから―

うちは、王子駅からの曲がり角にあるせいか、年末から、王子稲荷(※2)への道順を聴きに来るヒトが多くなっています。私は本殿の前で引き返さないで、奥のほうまで入っていくように、と勧めています。

十条基地(※3)の周辺の町会がやっている、「十条自衛隊協賛会」の寄付金集め、昨年、隣の町会がやめました。私のほうの町会もやめるように、町会長に申し入れました。



北区の住人(その二)さんから―

担当している講座で、児童福祉の世代間交流に王子田楽舞(※4)や王子の狐行列(※5)をとりあげ、いろいろ学びました。



大晦日の「王子・狐の行列」、おかあ、去年もおらを行かせてくれなかった。
「和装で上下整えて」ってえ条件をおらがクリアできねいから、って。
おら、セーターもレインコートも嫌いだ(※6)。和装なんてとても無理だ、って。
テレビ見てたら、アメリカじゃ柴犬がいろんな仮装してハロウィーン・パーテイーやってる(※7)。
ヒトも犬も、よその国行って暮らすと変わるのかな。
とにかく、おかあ、初午のいなりずしはご馳走してくれるんだろな。



※ 1 2009年、おかあは、三太を狐に化けさせようとしました。
(138) 三太初午(はつうま) (139) 三太二の午(にのうま) (140) 三太三の午(さんのうま) 
※2 王子稲荷神社 
奥には、狐がいた穴の跡、っていうのがあるんだ。昔々、狐がネズミを捕ってたから、日本列島にゃペストが流行らなかったんだ、って、安田先生は言ってる。

 安田喜憲「ペスト大流行」編速水融『講座[文明と環境]7 人口・疫病・災害』朝倉書店、1995、p。120−「・・・里山から春先にキツネが里に下りてきて、秋には再び山に帰るその行動を見て、古代の人々はキツネが山の神の使いであると考えた。この山の神の使いのキツネこそ、ペストを媒介するネズミを退治できる力を持っていたのである。」
※3 自衛隊十条駐屯地 、 十条自衛隊盆踊り大会 
※4 王子田楽・祭りの花笠 
※5 王子・狐の行列ホームページ 
※6 (190) 三太粉ミルク缶
   NHKいのちドラマチック Vol.20 柴(しば)犬 −人気ペットは“理想の猟犬”− 
(211) 三太産婆猫(その3)

コメント? 杉並の猫おばさん―

産婆猫がいるという話を聞いたことはありませんが、そういうこともありうるという確信があります。

飼い主に似ない、たいへん賢い三毛猫・チャップ(なにやら似ておりますね)という猫のありし日の姿を思い出しました。

私は猫捨てをする輩のターゲットになっておりまして、またもや家の前にダンボールに入れられた2匹の子猫が捨てられており、やむなく家に迎え入れました。1部屋においていましたが、他の猫は近寄りませんでしたが、チャップが意外な光景をみせました。

チャップもまだ2歳たらずでしたが、1匹の子の母となることもなく、不妊手術をしてありました。それが、ダンボール箱の中に入っており、母猫がよくする姿、長ーく身体を伸ばして横たわって、お腹には捨てられた2匹の猫がおっぱいを飲む姿勢ですがりついていたのです。

すっかり母親になっていたのです。一度でも子を産んだことがあるなら考えられますが、そうそうに不妊手術をされた猫が・・・と、未だにふしぎなのです。逆に教えてただきたいほどです。母親にそうやって抱かれていたことが潜在的に記憶にあるのでしょうか。これをみたとき、人間の都合で不妊手術をしたことを詫びたほどです。



神奈川の「古希」さんは、孫ができた−


昨年、古希を迎えました。そして、初孫ができました。
孫が可愛くて仕方がないという友人たちを不思議な感覚で見てきたのですが、私もそれを後追いすることになるのでしょうか。
確かに、身近に新しい命が生まれ育つというのは、いいものですね。それゆえ思います。この子たちがひもじい思いや戦争の恐怖を味わうことのない社会であって欲しいと。

次の世代のためにも、ささやかなことでも老人としてできることの役割は果たしていきたいと思っています。



このごろは、「ソフリエ」ってえ言葉があるんだと(※1)。育児に積極的に参加するじいちゃんのことだそうだ。

おかあ、「待機児童は・・・」なんて、話題(※2)のたんび、保育環境は30年前よか悪くなってんじゃねいか、って腹立ててる。親たちゃ、もっと長時間過密労働なってるし、「非正規」で産むのあきらめてる人も多いだろうし。民営化で保育士の労働条件は低下してるし。

保育行政を充実させるにゃ、議会傍聴なんかに時間が要る。交渉力も要る・・・
うん、こりゃあ、じいちゃんたちの出番だ。昔取った杵柄(きねづか)の見せ所だ。
防衛費を保育所に!
がんばれソフリエ!! 



※1 2010.5.17 「オピニオン 声」『朝日新聞』
「イクメンパパをソフリエも応援   産婦人科医 谷口二郎 (宮崎市 60)
 育児を積極的に手伝う男性を「イクメン」と呼ぶそうだ。・・・(中略)・・・
 おじいちゃんもうまく取り扱えたら、祖父をもじり「ソフリエ」。こんな風に、肩ひじを張らなくても、育児に周りの人たちが協力してくれる。これが本当の男女共同参画の社会だ。頑張れイクメンパパ。ソフリエがついてる!」

※2 『朝日新聞』2010.10.19「社会」
「待機児童ゼロ特命チームに村木さん 事務局長に起用へ
  (前略)・・・ 厚生労働省によると、今年4月1日現在の待機児童数は全国で約2万6千人で、昨年より約900人増加。認可外保育所で入所待ちをしている児童を含めると、待機児童数は約4万人という。」
(210) 三太産婆猫(その2) 

ほんとに、「産婆猫」はいるのか?

猫派読者からのコメント続々―


コメント? 猫のこまるくんのおっかちゃんのおふくろさん


猫のこととなれば何はおいても反応いたします。
このようなことはわたしの経験でも皆無です。

昔わたしが飼っていた(飼われていた?)三毛猫は烈女ともいうべき毅然とした猫でしたが、産褥も、新聞紙を食いちぎって自分で作り、汚れもきれいになめとって、お産の跡も残さないほどでした。
子持ちの母親は警戒心が強く、他の猫が近づけば歯をむいて追い払ったでしょう。他の猫に助けを求めるとは信じられません。
イギリスの猫のことは知りません。


コメント? 猫のウメちゃんのオカーサン―


私も「猫のオネエサン」と同様猫のお産に立ち会った事がありますが、次々に産まれる子猫の処置は母猫が全部自分でやっていて 「おみごと!」と敬意を表したい気分



※『猫の帰還』(ロバート・ウェストール作、坂崎麻子訳、徳間書店、1998年)
(209) 三太産婆猫

おら、子どもができた!
元旦、おとうがくれたぬいぐるみ。シベリアンハスキーだ、毛色も体型もおらとはかなり違う。しばし、お見合い。
おかあ、「この子は『シェリー』。『コゴロー』(※1)のほうが、君に毛色も体型も似てるけどね。」
『コゴロー』はゴロー先輩の養子だ、おらの甥っ子ってことだ。
おかあ、「子育ては血のつながりじゃあない、縁だよ」
それもそうだ。
で、おら、『シェリー』と『コゴロー』の面倒をみてやることにした(※2)。


猫のロード・ゴートは子どもを産んだ(※3)―
旅を続けるロード・ゴートは、馬車屋の馬トロージャンのまぐさ桶をねどこにした。
いよいよ生まれるという日、 ロード・ゴートは年とった雌猫ヤセを連れてきた。
ヤセは次々に産まれる子猫の世話をする―産婆猫!


おかあ、びっくり。猫派読者に問いかける―

昔々、猫のお産に立ち会ったことを自慢してきた「猫のオネエサン」(※4)として、猫たるもの、子猫の「処置」は母猫が自分でやるもんだ、と思ってきたのですが―

イギリスには、ほんとに、「産婆猫」がいるのでしょうか? 

地球上の他の国では?

作者のウェストールによれば、猫には、国境も国籍の違いも関係ない、とらわれているのは人間だけ、だそうですが。



※1 32.北海道みやげ / 34.ゴローの子育て
 
ゴローとコゴローの写真は ゴローちゃんファンクラブ のトップをご覧ください。

※2 三太とシェリー・コゴローの写真

お見合い
お見合い
保護者になる
保護者になる
親業は疲れる
親業は疲れる

※3 『猫の帰還』(ロバート・ウェストール作、坂崎麻子訳、徳間書店、1998年)

※4 (95) 三太ネズミと猫 / 23.太陽政策
(208) 三太コーンビーフ?

Roseさんから―

初めてコンビーフを挟んだパンを食べた時はとても美味しくて、こんな美味しいものをアメリカ人は普段から食べてたんだ!と羨ましかったですね。
チーズも同様に感動した記憶があります。
小学校に上がった頃ではないかと思います。



『クリスマスの猫』を書いたウェストールは『猫の帰還』(※)ってえ本も書いてる。
1940年、第二次世界大戦が始まった早々、ドイツ軍の空襲にさらされたイギリス。
飼い主の空軍パイロットが出征したので、飼い猫のロード・ゴートは奥さんに連れられて田舎に疎開した。けど田舎の家になじめないロード・ゴートは、飼い主を求めて旅を始めた。
腹をすかせたロード・ゴートは、真っ暗ななか、食べ物の匂いにひかれて、駅舎に入って行った。中では、女たちが、ダンケルクから退却してくる軍用列車への差し入れを作っていた。
<上のほう、テーブルから、パンを切る音、マーガリンを塗る音、コーンビーフの缶をあける音が聞こえる。足の列のあいだに、テーブルから、パンと肉の切れはしが雨のようにふりそそいでくる。>
兵士たちのために、女たちが作ったサンドイッチはこの晩、9千食に達した。


なーるほど、非常食とか、炊き出し、ってえと、日本じゃあ白米の<握り飯>だが、イギリスじゃあ、コンビーフのサンドイッチなんだ。

ロード・ゴートは、肉だけを選んで食って、つやつやと太った。



※ ロバート・ウェストール作坂崎麻子訳『猫の帰還』徳間書店、1998
(207) 三太猫の缶詰

ヤセガエルさんから小さな本貰った。『がつんと一句! ワーキングプア川柳』(※1)
ふーん、川柳は「つくる」んじゃなくって、「吐く」んだと。
「うつ」てえ課題みて、おかあ、吐いた
    妻は言う「生きてるだけでいい」


図書館行った、『クリスマスの本』のコーナーに、『クリスマスの猫』(※2)がある。『クリスマスのこねこ』(※3)もある。『クリスマスの犬』は見つかんねい。

スーパー行った、猫がたーくさん! 猫、猫、猫、猫!
よく見たら、みーんな缶詰だ。
猫が入ってる缶詰か? 
いや、猫【が】食う缶詰だった。
猫も化け猫んなったら、自分で缶詰あけて食うんだろうか。


うち帰ったら、「猫のこまるくんのおっかちゃんのおふくろさん」から、メールが来てた。


今ではペットも缶詰を食べる。特に「猫缶」の種類の多さとその命名の卓抜ぶりについては前に書いたことがある(※4)。
でも実家で飼っていた猫はそんなものは食べたことはなかった。

いつも御用聞きに来る魚屋が、配達のとき猫用の「あら」も持ってきてくれるので、配達の自転車がきーっとブレーキをかける音がすると、猫が台所にとんでいったものだった。
そういえば、御用聞きというものも今はあるのだろうか。
魚屋や八百屋が、配達した品物とその値段を台所の上がりかまちにかけてある「大福帳」(「通い帳」ともいう)に書きこんでいき、月末になると母はその通りに支払っていた。決して豊かではなかったのに、中産階級の鷹揚な暮らしぶりが、60年代にはまだ残っていたのだろう。

ご参考までに:「コーンビーフ」は正しくはcorned beef =塩漬けにした牛肉。当時の発音では「コンビーフ」の方が近い。フレーク状の赤味の肉の中に白い脂の塊が混じりこんでいた。国産物では「国分のコンビーフ」というのが長く出回っていたが、今もあるのかしら。

 

※ 1 レイバーネット日本・川柳班編著『がつんと一句! ワーキングプア川柳』正木デザイン工房、2010.12.1 

※ 2 ロバート・ウェストール作ジョン・ロレンス絵、坂崎麻子訳『クリスマスの猫』徳間書店、1994初版、2002年4刷

※ 3 クレア・ターレイ・ニューベリー(文と絵)、光吉夏弥訳『クリスマスのこねこ』大日本図書、1988


※ 4 「猫じゃらし」 17−22「おいら、こまる」?−?。日本の猫缶については「 20.おいら、こまる ?日本で王子様になる」
「22.おいら、こまる ?ノルウェーの森を想う」にガーナの猫缶、猫【が】食う缶詰の写真があります。
(206) 三太のおばさん

サンタのおばさん

おかあ、図書館で、『サンタのおばさん』(※)ってえ本見つけた。
おらの<おばさん>って、どんな犬だろう?

<サンタのおばさん>はアメリカのヒトだった。
フィンランドの小さな村で、今年も12人のサンタクロース会議が開かれた。
サンタ候補者を選ぶ会議は、年々、制約を取っ払ってきた。
アジア人も、アフリカ人も。今年はついに、女性を!
<人間的資質以外のことは、すべて無条件としたのだ>
標準スタイルは<白いひげ、白い眉、赤い外套、赤いズボン>
けど、真夏に働くオセアニア・サンタには<アロハ・シャツでサーフボード>を認めた。
赤いケープでライオンに襲われたアフリカ・サンタには<緑色の衣装>を認めた。

うんうん、こういう規制緩和はいいこった。

アメリカ・サンタのために、イタリア・サンタはスカートをデザインした。

スカート?? 真冬にそりに乗ったり、煙突にもぐったりするのに??
惜しい! 作者の東野圭吾さんの想像力、あと一歩、だ。



※ 東野圭吾作、杉田比呂美画『サンタのおばさん』文芸春秋、2001
(205) 三太缶蹴り?

「わさお」君(※1)は、ブサかわ犬って呼ばれて大人気、青森県で暮らしてる秋田犬だ。
「わしお」さんは、東京で暮らしてる、ヒトだ。


「わしお」さんから―

「私は1964年の生まれですが子どもの時はよく缶蹴りして遊びました。

たいていは小学校の同級生(同じ学年)の男子だけでやりました。
女の子たちは、「ゴム跳び」とかしていたように思います。
場所は、住んでいた団地の6号棟と9号棟の間など。そういう隙間みたいなところでやりました。
大きな団地があって、同じ年齢の子どもがいっぱいいるところで育ちました。
通った小学校は、ものすごく児童数の多い「マンモス校」でした。違う年齢の子と遊んだ記憶があまり無いのは、同じ学年だけで遊び仲間がいっぱいいたからだと思います。
今どき多いジュース缶は、たいていアルミ缶です。
アルミ缶では缶蹴りはしにくいと思います。」


「うん、アルミ缶はすぐペニャッとなっちまう。噛みごたえもない。」
「鬼が踏んでもつぶれない、蹴っ飛ばしても曲がらないスチール缶でなければ、缶蹴り には向きません。」
「この6月、UCCが<ネット缶けり>ってえゲームを創めた(※2)。ほんとうに戸外で駆け回る缶蹴りは<リアル缶けり>だとか。缶コーヒーの宣伝なんだから、コーヒー缶を使ったんだろうな。

ところで、コーヒー缶って、なんでスチールなの?」

「さあ。知りません。

 検索してみました。
  このページによれば…

 <飲料の缶では、製造過程において、熱いまま缶に入れられるものについてはスチール缶が用いられる(缶コーヒーなど)。これは、冷えると中の圧力が下がり、アルミ缶では強度不足から大気圧によってへこんでしまうためである。>

…だそうです


今日は、文部科学省に、「高校無償化から朝鮮学校を排除するな」の申し入れに行っ てきました。
菅内閣がこのまま差別を続けるなら、<菅蹴り>したくなるぞ。



  
※1「わさお通信:今日のしっぽ」
※2「THE CANKERI THE CLEAR(ザ・カンケリ ザ・クリア)大会
(204) 三太缶蹴り? 

使った空き缶は、桃やミカン、という答えが多い。
鬼が踏むにも、蹴飛ばすにも、コンビーフ缶じゃあ、やりにくい。平べったいイワシ缶も不向きだ。今どき多いジュース缶は細くて不安定だ。


大連生まれのヤセガエルさん―

缶詰と言えば、これを発明したのはナポレオンだそうですね。
缶詰も他国に侵略遠征するための兵糧として考え出されたのですね。
缶詰の缶は敗戦直後の、ものが無い時代は貴重な容器でした。
缶蹴り遊び(一種の鬼ごっこです)でも使いました。小生は大連から引揚げてきて文京区の引き揚げ者寮に住んでいましたが小学校一、二年まで、寮の前の公園で缶蹴り遊 びをしていました。
缶がない場合は「だるまさんが転んだ」をしていました。
缶ぽっくりをしたことはありません。敗戦直後同じ大きさの缶を見つけることは至難でしたから。ただし見たことはあります。
洗濯物を干す物干し柱(ただの丸太を地中に埋めたもの)の尖端に、帽子のように缶をかぶせると雨水が柱の中にしみ込まないので長持ちします。そこで缶を拾ってきて物干し竿を使って缶を柱の頭にかぶせようとするのですがこれがうまくいかず困ったことがありました。
小生が食べた鰯の缶詰は、(180) 三太オイル・サーディンのような高級品ではなく、小判型で中に大きな鰯がゴロゴロ入っていました。
敗戦直後は宝物のように貴重で夕食に鰯の缶詰が出た日には目を輝かして食べたものです。その味は今でも舌にのこっています。学校から帰っても家に一粒の米も麦もない時があった時期でしたから。
当時の缶切りは缶の真ん中に錐状の足を突き刺し、円形に缶の縁を切り開けるもので小判型の鰯の缶詰を開けるのには苦労しました。
缶ごと床に置きました。食卓がなかったのです。皿なんか有りませんでした。
朝鮮戦争が始まってからは、缶は屑屋に売れたので遊び道具に使われなくなりました。
(203) 三太缶蹴り?

で、加古里子(かこ・さとし)さんは長年のあいだにたくさん本出してる(※1)から、説明も何通りかあるんだが、要するに、缶蹴りってえのは、鬼ごっこのうちの、かくれんぼの一種らしい。


ふつうの「かくれんぼ」だと、子たちは見つけられたらおしまいだけど、「缶蹴り」じゃあ、名をよばれてから缶をめがけてオニと競争する、ホリョになっても救出される、ってえ逆転の機会があるわけだ。


加古さんによれば、鬼遊びとは、『追う/逃げる』という、単純明快な基本原則に基づく遊びなんだと。
ヒトの子は二足歩行を始めたとたんに「キャアキャア、ドタバタ」騒がしくなる。大人が「待て待て」って追いかけるふりすると大喜びで逃げる。
パタパタパタ、小学生の駆ける足音―反射的におら、追いかける。
おらも、鬼遊びは大好きだ。


おかあ、かこさとしさんの、『ぼくのいまいるところ』(※2)って絵本も見た。
「ぼくが いま いるのは ここです。」って、「ここ」から始まって、
「ここって どこでしょう」→ ぼくの うちの にわ → まちの なか → たかい タワーの ある おおきな まちの となり → ふじさんが みえる ところ → にっぽんの くに → たいへいように ある しまぐに → ちきゅう → たいようけい → ぎんがけい →だいうちゅう


どんどん広くなっていく、日本語で住所を言うときと反対だ。
おかあ、気がついた、これって、おらが<逃げた>ときに<追う>順番とイッショだ―
 屋内の定位置=リビングのテーブル下のタタミ(※3)→玄関のたたき(※4)
→庭(※5)→門扉の内側(※6)
→門を出て、散歩コース・若葉の森(※7)か、寺町(※8)
→散歩圏で見つかんねいと、電話をかける(※9)
  二駅隣りの警察→四駅隣りの市役所→十一駅隣りの保健所→東京都動物愛護相談センター(※10)


野川(※11)へ出て、テラさん(※12)みていに泳ぎくだれば、多摩川だ。対岸は神奈川県だし、そのまんま泳ぎくだれば東京湾に出る。
いつか、シロさんみていに海を泳いでおらのマリリンに逢いに行こう(※13)。
今日んとこは、昨日、氷雨ん中を「若葉の森」視察にきた市議さんを案内して骨の髄まで冷え切っちまった、って、おかあが<追う>元気がねいんで、おらも<逃げ>ないでおく。



  • ※ 1 加古里子(かこさとし)・永田栄一(ながた・ひさかず)『鬼遊び』青木書店、1986、p。136【かんけり】
  • 加古里子(かこさとし)『伝承遊び考3 鬼遊び考』小峰書店、2008、p。82【A161】カンけりおに(全国)、p。83【A162】カンかくれんぼ(全国)、p。141【A322】カンけりかくれんぼ(全国)、p。147【A329】きけりかくれ(高知)
  • ※ 2 かこさとし著・太田大輔絵『ぼくのいまいるところ』童心社、1988新版
  • ※ 3 毎晩の寝床。(112) 三太タタミ替え
  • ※ 4 玄関のたたきは、暑いときに気持ちいい。ヒトの機嫌が悪いときの避難所。 (59) 三太助六
  • ※ 5 庭じゃあ、おかあと作った山の陰やテラス。 (10)三太住宅事情
  • ※ 6 通行人・通行犬をチェックする関所。満月を眺めて物思いにふける思索の地でもある。(165)三太現実の犬(88) 三太かぐや彦
  • ※ 7 若葉の森と坂道は定番コースだ。毎日一度は通る。(102) 三太かぶと虫の危機
  • ※ 8 寺町は、なんとなく気になる地域だ。(192)三太夏の陣
  • ※ 9 犬の迷子は、警察と保健所、市役所。(12) 三太迷子札
  • ※ 10 八幡山のオジサンの職場は「東京都動物愛護相談センター」だ(12) 三太迷子札
  • ※ 11 野川はふだんの散歩圏の外側。たまーに水遊びに行く。(133)三太トンデモ犬
  • ※ 12 テラさんは狩野川から駿河湾をめざした。(195)三太ヤギミルク(続)
  • ※ 13 阿嘉島のシロは座間味島のマリリンに逢いに3キロの海を泳ぎ渡った。 映画『マリリンに逢いたい』
(202) 三太缶蹴り?

1947年生まれのコスモスさん―
「缶けり」は、静岡県で、小学生の頃さんざんしましたが、・・・
さて、ルールはどうだったのか? しっかりとは思い出せません。 私が今凝っている妻夫木聡のアーカイブの中に'04年の「オレンジデイズ」というドラマがあり、そのDVDの第3巻(ドラマとしては第5話)に、西湖で缶けり遊びをするシーンがあります。
そこから思い出してみると、・・・
かくれんぼの一種で、・・・
鬼はちょっと見晴らしのきく地点に缶を置き、鬼でない子が缶を蹴ります。
鬼がその缶を元に戻す間に、ほかの子たちは隠れます。

鬼はダレかの姿を見つけると、「ダレちゃん、見ーつけた」と言いながら、缶を足で踏む、すると、ダレちゃんはゲームからはずされます。
鬼が缶から離れた隙をついて、物陰から生き残っている子が走り寄り、缶を蹴ると、鬼の負けで、全員が生き返ってしまう。鬼役を継続しなければなりません。
鬼が缶を守りつつ全員見つけたら、最初に見つかった子が鬼を交代します。
ちなみに、ツマブキ君の、過去10年ぐらいの出演作に遡ってDVDを視るのに忙しく(笑)、ここ3ヶ月 本を読む暇がない日々です。



DVDを視るのはコスモスさんにまかせて、おかあと図書館へ行く。
子どもの遊びの本、何種類も見て、おかあ、こんぐらかっちまった(※1)。
けど、ポプラ社の本の絵がいちばん、見つかった「けいちゃん」の必死な走り、オニを出し抜いて缶を蹴っ飛ばす快感がよく伝わってくる。
おら、「けいちゃん」を追っかける!



※ 1−1 『ポプラ社・ゲーム大百科? にこにこ伝承あそび101』1990年、p。53
  単純な「かくれんぼ・鬼ごっこ」と異なるルールの説明がわかりやすいし、遊んでいる子どもたちの雰囲気がよく描かれている。


「かんけり」『ポプラ社・ゲーム大百科?にこにこ伝承あそび101』1990、p。53.pdf へのリンク

リンクをクリックするとPDFファイルで拡大図がみられます。

※ 1−2 『昭和のくらしがわかる事典』早川典子監修、PHP研究所、2010,p。49が、「カンけり」を、「男の子の遊び」としているのは、首肯しがたい。加古里子が52年間収集してきた5万9千余例に基づく『鬼遊び考』を見ても、男女混合で幅広い異年齢の子どもたちの遊びである。

また、むらきに寄せられた体験は男子だけ女子だけというものはなく、「男の子も女の子もいっしょにやってました」「私は近所の異年齢の子供達・きょうだいなので男女混合でしましたよ。」
(201) 三太缶蹴り? 

朝、小学校の前に、観光バスが2台止まってる。ドアが開いてるんで、おら、覗き込んだ。
ガイドのおばさん「ワンちゃんも、乗ってみたい?」
うん、おら、まだバスって乗ったことねい。今日は3年生が市内見学なんだと。

帰ってメール見たら、「缶蹴り体験」がたくさん寄せられてた―
「やりましたよ」「懐かしの缶蹴り!」「オニにならないよう、必死に走ってましたよ」
東京の神田小川町からも、福島県の田舎からも、都会でも農村でも、小学校の頃、
「男女いっしょにやってました」


カッカさんが詳しく書いてくれたのは―
【とき】は1958年前後の冬、やってましたね、かけっこの早い人がグル−プにいると勝利しやすい。3年生位から6年生までが学年を越えて遊んでいました。
【ところ】は宮崎県えびの市の、学校・神社・お寺・蓮華草田んぼの中。 
  【遊び方】
じゃんけんで二班に分かれる。なんたって団塊世代、名前を思い出しながら、数えてみても、1班には12名から15名位、または子供会で分かれて缶けりに興じていましたね。
こうなると1組には20名くらいでしたね。
  • ?左右に分かれます。かなりの距離(子供目線で)  大きな円を描く、
  • ?缶は高さ10センチ〜12センチくらい  直径7〜8センチくらい
  • ?缶を円の中心に置く
  • ?相手の陣地の缶を蹴った方が勝ち
  • ?陣地を守っている人数を減らすため、相手陣地から誘き出すために、近くまで行き、出てきたら、必死に自分の陣地に引き寄せつつ逃げ、味方が援護に出てきてタッチしたら、人質に取る
  • ?人質は敵の陣地に片足を入れ、味方が助けに来るのを待つ。先頭が片足入れ、次は足か手で連なって鎖になる
  • ?人質を多く取ると缶を蹴りやすいが、人質が多くなり過ぎると、手、足をめいっぱい伸ばし助けを待つから、良し悪し
おかあ、「? ? ? これって、集団同士の【陣取り】だ、私のやってた【カイセーン】じゃないかな。【カイセーン】の陣地は缶じゃなくて、校庭の大きな木だったけど・・・
缶蹴りにもいろんなバージョンがあるのかな・・・」
悩んだあげく、教育学の大先生に聞いた、
「缶蹴り、なさいましたよね?」
大先生「私はやらなかったですね。遊びのことなら、加古里子(かこ・さとし)さんの本見るといいですよ」
大学ってえ学校じゃあ缶蹴りはやんねいらしい。大先生、軍国少年だったころは騎兵になって軍馬の腹を蹴るつもりだった。


おかあと一緒に、図書館に加古里子さんの本を探しに行く。