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(260) 三太ぼた餅(10)「みつめのぼたもち」二つ目

名優犬アギーさん、引退して自伝執筆するんだと。(※1)
アギーさんは子犬のころ、手を焼いた飼い主に捨てられて、施設で安楽死させられるところをオマールさんに救われた。
他犬事(ひとごと)じゃねい。 アギーさんは、ジャック・ラッセル・テリアだ。見かけは可愛いが、≪飼ってはいけない犬≫と呼ぶ人もいるほど気性の荒い種類だ。(※2)
「家に帰ると、可愛い顔で出迎え、短い尻尾を振って全身で喜んでいるように見えるので、手を出すとガブリと噛まれるそうだ。」

おかあ、おらを振り返る。
何回も噛まれて手を焼いたおかあ、サタン(※3)のおらを捨てたいと思った・・・
ひたすら辛抱、幾星霜。
帰宅したおかあを可愛い顔で、とびついて出迎える。
撫で撫でされて喜んでいるように見えて、次の瞬間、牙剥いて唸る。
「ったく、三太は、どこに逆鱗があるんだか。逆鱗が毎日、浮遊してるのかね」
門扉に掛けてある札、いつになったらはずせるだろう―
<犬がいます。噛みつくのでご注意ください>


松戸市の【みつめのぼたもち】(※4)を読んで、同じ千葉県で育ったSさんから―

「みつめのぼたもち」の件ですが、懐かしく拝見いたしました。
私の実家の千葉県印西市では今から20年程前までは頻繁におこなわれていました。
ぼたもちがあると、誰かこどもが生まれた? という話題になりますし、私の子供ができたとき、母親はぼたもちはどうする? と心配していました。
近所の親戚や両隣に配っていたようです。
成田市、印旛村、富里町の調査でも話題が出ていましたので、千葉県下総台地にはひろくおこなわれていたのではないでしょうか?
ぼたもちを食べると乳がよくでるとかの由来だったようなきがします。
特に戦後はぼたもちが楽しみだったと母はいっていました。



印西市の東隣りの印旛郡栄町の【みつめのぼたもち】は90年くらい前にゃ、いんげんのあんだった、小豆のあんは体が冷えるから、って(※5)。
九十九里海岸じゃ手のひらくらい大きなぼたもちを配った。
今も、千葉県のあちこちの和菓子屋さんの商品だ(※6)。



※1-1 『朝日新聞』 2012.4.1「いぬ 数々の映画賞に輝いた名優犬 アギーUggie(10)」
   1-2 引退表明の人気俳優犬アギー、伝記を“執筆”
  1-3 アカデミー賞5冠『アーティスト』効果!犬アギーと同種犬に人気殺到し犬猫保護団体が異例の警告!
※2 http://ameblo.jp/cinemanavi21/entry-11237156609.html
※3 (2)三太・サンタ・サタン
※4 (259) 三太ぼた餅(9)層状のぼたもち(二段目)
※5 千葉県の「みつめのぼたもち」
  『日本の食生活全集 12 聞き書 千葉の食事』農文協 1989、p.36、306、345。
※6 ネット検索による和菓子屋の例―銚子市H・市原市・佐原市・成田市
(259) 三太ぼた餅(9)層状のぼたもち(二段目)

隅田川にホタルが10万匹! 見あげる空中にゃ、スカイツリー。東京港にゃ恐竜。
どれも電気で光るんだと。(※1)
原発が止まって、これから電力不足になる、って言ってんのに、新しく電力使い始めてダイジョブか?
  電力会社さん、困ってんじゃねいか?
おかあ、停電されねいうちに、って、メール読む。


「元、松戸市の病院職員」さんから―

松戸市馬橋の病院に勤めてた頃、ぼたもち、いただきましたよー。
産婦さんの、お母さんか姑さんが、手作りしたのを。前号の写真(※2)の重箱のと同じです。
重箱に、ごはんと餡が段に重なってるので、手に持って食べるわけにいかない、箸で取り分けてましたね。
おいしかったですよー。甘くって。
同僚の人たちから
”これは、「みつめのぼたもち」って言って、おっぱいが出るように、って、産後三日目に産婦さんに食べさせたり、先生(=医師)や助産婦さんにももって来てくれるのよ”
って聞いて、【みつめのぼたもち】という言葉を初めて知りましたね。
私は埼玉育ちで、知らなかったです。
昭和48年から57年の間ですね。
転職した先の病院は、患者さんからのモノは貰っちゃいけない所だったので、記憶にないですけど。



田中優さんからのメール(※3)読んだ。
電力不足のピークは「夏場・平日・日中」だ。
ピークの出ない土日や平日の夜間、街路灯まで消す「停電」は必要ない。

そっか、ライトアップは夜だ。
夜は、もっとどんどん電気使って欲しいんだ。「節電」されて売れないと、電力会社は困るんだ。
けど、おら、夜は暗いとこで寝るのがいい。



※1−1 ◆隅田川に10万個のLEDホタル=スカイツリーも夜空に輝く
5月6日(日) 20時43分-社会(時事通信)-記事

※1−2 ◆東京湾 光の競演 「東京ゲートブリッジ」のライトアップ始まる
産経新聞 4月26日(木)9時34分配信

※2 (258) 三太ぼた餅(8)層状のぼたもち 
(『日本の食生活全集 12 聞き書 千葉の食事』農文協、1989、口絵、船橋市の「祝いのぼたもち」)

※3 田中優「■「偽装停電の夏」をくいとめよう」
(258) 三太ぼた餅(8)層状のぼたもち


3-1タチビのぼた餅?
『人生儀礼の世界』松戸市立博物館、p.72

3-2ミツメのぼた餅?重箱
『人生儀礼の世界』松戸市立博物館、p.17 - コピー

3-3『聞き書 千葉の食事』「祝いのぼたもち」層状、
船橋市、1989、p.171、口絵 - コピー

抜け毛の季節。

むず痒くってたまんねい。「冷戦状態」は、あいまいにして搔いてもらう。
毎朝、床いっぱいに散らばった毛・毛・毛・毛・毛、おかあ、ため息―
「これ、君が放出したんだから、君が掃除すべきだと思うよ」
体から離れた瞬間から、【無主物】だ、おら、知らね。
掃除始めたおかあ、タタミ(おら専用の座布団 ※1)を動かそうとする、
おら、唸る、おらんだぞ!!
理屈は、東電弁護団のエリート弁護士さんに聞いてくれ。(※2)


前に((252) 三太ぼた餅(2)たちびのぼたもち)で丸めない、層状のぼたもちの写真を載せたら(※3-1、3-2)、「猫のこまるくんの、おっかちゃんの、おふくろさん」から

 「モノクロ写真では真っ黒で炭のようで、とても食欲はでません。」
って言われたんで、おかあ、むきになって、カラー写真みつけてきた。(→写真3-3)

「これなら、どう?」
「これは、おいしそー」
脇から覗いたユーミンねえさん
「丸めてないのなんて、おいしいの?」


おんなじ写真見て―茨城県で―


古河市(旧三和町)で育った四十代のネエサン
「こんなの、知らなかった。丸めるもんだと思ってきました」


筑波山麓で育った三十代のニイサン
「うちじゃ【ぼたもち】って、これですよ。ずーっと、重箱に(飯と餡を層状に)入れて、風呂敷で包んで配るもんだ、って思ってました。

丸めるのは、【おはぎ】ですよ。」







※1 屋内での三太の居場所=タタミ (112) 三太タタミ替え

※2-1 民法(無主物の帰属) http://law.e-gov.go.jp/htmldata/M29/M29HO089.html 第二百三十九条  所有者のない動産は、所有の意思をもって占有することによって、その所有権を取得する。
2  所有者のない不動産は、国庫に帰属する。

※2-2参考:「「無主物」を考えだした東京電力の超エリート弁護団判明!」

※3―1 (252) 三太ぼた餅(2)たちびのぼたもち (『平成21年度企画展 人生儀礼の世界』松戸市立博物館、2009、p。72の写真)は、二段。(写真3-1)

※3―2 生後三日目の祝いの「みつめのぼたもち」(『平成21年度企画展 人生儀礼の世界』松戸市立博物館、2009、p.17)は、三段。(写真3-2)

※3-3カラー写真(3-3)は千葉県船橋市のぼたもち(『聞き書 千葉の食事』1989、口絵)p。170「重箱にあんこを敷き、もちごはんをよそい、その上にまたあんこをのせる。これがお祝いのときの盛りつけである。仏事のぼたもちは、重箱の下にあんこを敷かない。
   この地方ではこのように、ぼたもちを丸めてつくらないのが特徴である。」
(257) 三太ぼた餅(7)おふくろの味(続き)

九月ちゃんがオタマジャクシを見に来た。
よちよち歩きの九月ちゃんに近づかないように、おらこと、鎖につなごうとした。
むかついて、おかあの右の靴にガブッ!
おかあ、リードでおらの鼻先を叩いた!
暴力反対!!

以来、おかあと冷戦状態。

おかあ、一日、頭が痛い、腹具合がおかしい、って、ゴロゴロしてる。
コスモスさんに言われた―
「お大事に! ぼた餅の食べ過ぎ?」
うん、お彼岸の間、毎日ひとりでやってた生体実験(※1)の結果だと思う。
「ただちに健康に影響はありません」(※2)ってえ言葉ほど信用できねいもんはねい。


ねえさんのぼたもち


「多摩おばさん」から―

私の両親は、山口県の瀬戸内海に面した小さな村の生まれです。
よく、お彼岸の時に作ってくれた「おはぎ」は手のひらサイズの大きなもの。
そこに粒あんがたっぷりつけられていました。
中身は餅米です。
一度に2、3個ぺろりといけました。
最近作ってくれたのは、食欲に合わせてか、世の習わしに合わせたのか、お店で売られている一口サイズに進化(?)していました。



おかあ、ネエサンに「ぼた餅作って食べさせて」ってせがんだ。
「【おふくろの味】を純粋に伝承してるのは、ネエサンしかいないんだから」って口説いて。
ネエサン、ぶつぶつ言いながら、作ってくれた。(→写真)

「これこれ!! 小豆の粒々が立ってて!」おかあ、大感激。
箸を取る、割ってみたら、もち米100%だ。
「あれ? うるち米と混ぜてないの? 昔っから、もち米100%だった?」
「ずーっと、普通のお米ともち米を混ぜて作ってたんだけどね、こないだ新聞に出てた作り方(※3)にしてみたのよ」
なんと、外側は【おふくろの味】で、中身はメデイアから取り入れた新知識だった。
ってえことは、おかあのお母さんの「おふくろの味」も、お祖母ちゃんの味そのまんまじゃなくって、婦人雑誌だの料理教室だのから新知識を取り入れて作りだしたもんだったのかも。
どこのうちの「おふくろの味」も、こうやって変容していくんだ、きっと。



※1 (255) 三太ぼた餅(5)期間限定 
    おかあは悲壮な覚悟で生体実験に臨みました。
※2 参考:Amazon.co.jp: とんでも発言集 ただちに健康に影響はありません ...
※3 「手間かけて心こめて ぼたもち」『朝日新聞』2012.3.17  (254) 三太ぼた餅(4)季節商品
(256) 三太ぼた餅(6)おふくろの味

埼玉県の川口市は鋳物の町だった。
1934年、日本ではじめての共同組合方式による給食が開始された町だ。(※)
「栄養食」って呼ばれた給食は、自転車に食缶2個をのせて配給所までとりに行く。
ふだんは給食で、三時の休みはない工場でも、お彼岸やお盆には、あんこと黄粉の大きなおはぎを三時のお茶うけに出した。
四つも五つも食べてみんなご機嫌だったんだと。

「川口」さんから―

おはぎ、牡丹餅は、母が生きていたころ、春秋の彼岸入りの日には、手作りで沢山作り、墓参りの帰りに立ち寄った親戚に御馳走しておりました。
お祝いの時は作りません。
川口は鋳物の街で職人さんが多く、大きな食べごたえのある粒餡で、今でも私が作っています。



「川口」さんのお母さんは、戦後の鋳物工場のおかみさん。お父さんのきょうだいが6人いて、住み込みの工員さんもたくさんいる。毎日の食事の世話、寮の見回り、布団作り、近所親戚とのつきあい・・・年末には大掃除、餅つき、大量のオセチ作り、女子事務員さんを指導しながら先頭に立って働く。
「川口」さんは、「座っている母、休憩している母を思い出せない。」って言う。
そんな忙しいお母さんがつくってくれたぼたもちは、「川口」さんの「おふくろの味」だ。



※『日本の食生活全集 11 聞き書 埼玉の食事』農文協、1992、p。303
   「鋳物工場の共同給食―小僧さんたちへの「栄養食」が鋳物の町を支える」
(255) 三太ぼた餅(5)期間限定

「つつじヶ丘の牝牛」さんから―

「ぼた餅(4)季節商品」(※1)、ふむふむと読ませていただきました。
急に食べたくなりました〜。
お正月の残りのあんこが冷凍庫でカチンコチンになっているのを復活させるか!?



「ぼた餅、だいだい大好きです」さんから―

家で母が作ってくれたものは「ぼた餅」、お菓子屋さんの上品なものは「おはぎ」。
今は、私は春・秋のお彼岸前後に買う。
今日はいただき物のどら焼きなどがあり、迷いましたが、ついに午前中にぼた餅2つ買って食べました。うまかったの何のッテ!


テレビで、ゲゲゲのオジサンもぼた餅大好き人間だってやってた(※2)。
新聞の写真の「ぼたもち」、のっぺりした外見、小豆色じゃないし・・・
おかあ、「これって、【ぼたもち】だとは思えない。桜餅なんじゃない?」
南口のスーパーに行ったら、ずばり「桜」と名づけた「ぼたもち」!(→写真)

「ぼたもち」桜、ずんだ、小豆@クイーンズ伊勢丹(仙川)
「ぼたもち」桜、ずんだ、小豆@クイーンズ伊勢丹(仙川)
「桜おはぎ」スーパー丸忠(仙川)断面
「桜おはぎ」スーパー丸忠(仙川)断面

おかあ、調査と称して、行く先々で、ぼた餅を買ってくる。
写真を撮ったあとは、試食。
おらの出番だ、勇んで協力を申し出る。
おかあ、悲しげな表情つくって言う―

「これは危険な実験なのよ。ぼた餅はね、糖質過剰で生活習慣病の引き金になる(※3)。糖尿病の人に勧めるのは毒殺とおんなじ。
可愛い君を、そんな危険にさらすわけにはいかない。
生体実験の犠牲になるのは私一人でたくさん。」


3月25日、調布市の和菓子屋さんのオカミサン―

「【おはぎ】は昨日までです。今日から【柏もち】です。」



※1 (254) 三太ぼた餅(4)季節商品
※2 Eテレ12年3月23日(金)グレーテルのかまど「ゲゲゲのぼたもち」
※3 参考:宮本輝/江部康二『我ら糖尿人、元気なのには理由(ワケ)がある。』東洋経済新報社、2009.p。208
【制限のゆるやかな治療食】
糖質制限食とは、糖質の多い食品を避ける食事療法のこと。
血糖値を上げるのはほぼ糖質だけであることに注目し、食事で摂取する糖質を大幅に減らすことで糖尿病をコントロールする。主食となる米飯やパンなどには澱粉が多く含まれる。澱粉や砂糖などの炭水化物、すなわち糖質を徹底的に減らそうというのが、糖質制限食の狙い。
そこで、なるべく主食を抜き、そのほか、いも類などの糖質の多い食品もできるだけ避けた食事をする。糖質の少ない食品に関しては、ほとんど制限はない。肉や魚などのたんぱく質や脂肪の多い食品も食べてかまわない。調理法についても特に制限はなく、炒め物や揚げ物などの油を使った料理も禁じない。(下略)
(254) 三太ぼた餅(4)季節商品 

ショーケースに「おはぎ」が並ぶ。
調布市の和菓子屋さんのオカミサン―

「【おはぎ】とも、【ぼた餅】ともいいますね、季節で呼び方が違うとも。
うちでは(商品を)【おはぎ】って言います。
お雛様が終わってから、お彼岸の前に作ります」

スーパーの「お彼岸」コーナーにゃ、四色のパックも。

「和おはぎ」OdakyuOX 、成城学園駅北口?断面 「ぼたもち(こし餡、もち米100%)」『朝日新聞』
「和おはぎ」OdakyuOX 、成城学園駅北口?断面

新聞の料理欄の「ぼたもち」(※1)。
高梨さんってえ精進料理研究家のぼたもちは、小豆のこしあんと100%のもち米だ。
おかあ、「事典的には<うるち米ともち米を半々>というのが多いんだけどなぁ」(※2)

ブツブツ言いながら、記事を読む。
「・・・小豆は食物繊維を多く含み、腸の健康に良い。小豆に含まれているビタミンB1は糖質をエネルギーに変えるため、もち米ととると脳の栄養補給にもなる。」

<脳の栄養補給にもなる>んだと。
なら、季節にかまわず、年中食べよう! おら、毎食でもいい。



※1 「手間かけて心こめて ぼたもち 精進料理研究家・高梨尚之さん」『朝日新聞』2012.3.17 
 
※2 『風俗辞典』坂本太郎編、東京堂出版、1957。
『日本国語大辞典』小学館、1972。
『日本民俗事典』大塚民俗学会、弘文堂、1972。
『日本大百科全書』小学館、1988。
(253) 三太ぼた餅(3)名前が72???

層状のぼたもち(※1)について、「猫のこまるくんの、おっかちゃんの、おふくろさん」から
  「モノクロ写真では真っ黒で炭のようで、とても食欲はでません。」
そっか、おいしそーに見えないんで、皆さん、コメントしてこないのか。


愛媛県の「今治の郊外育ち」さんから―

「私が生まれ育ったところでは, おもちというのは中に甘いこし餡が入っているものでした。」

え? 餅の中に甘いあんこ? それって「大福」じゃねいのか?
おかあ、もっと詳しく教えて、って返信した。

図書館から借りてきた本を広げて見る―

『日本の食生活全集』第50巻(※2)、大正末期・昭和初期ってえから、今から90年くらい前の食生活を再現したシリーズの索引だ。
「大福」は「おやつ・間食」「購入する食品」に分類されてる。
「ぼたもち・おはぎ」は「ごはんもの」の中に分類されてるんだ。
「ぼたもち・おはぎ」の見出しで、「小豆もち、あわぼたもち、あんだんご、亥の子のぼたもち、・・・」から始まって、「・・・よもぎ入りのぼたもち、よろこびぼたもち」まで、72!もの名前があげてある。


72の名前の食べものの、どれとどれがおんなじなのか、違うのか???



※1.(252) 三太ぼた餅(2)たちびのぼたもち

※2.『日本の食生活全集 50 日本の食事事典? つくり方・食べ方編』農文協、1993
(252) 三太ぼた餅(2)たちびのぼたもち

おかあ、朝早くあわてて出て行った。
ゴロー先輩の故郷の隣町・結城郡八千代町へ行く。
バスの始発から終点まで乗ってるあいだに、筑波山がだんだん大きくなってくる。
この10年、沿道にセレモニーホールが増えた。自宅で葬式やらなくなった、って、82歳のオバサンが言ってたっけ。
八千代町で、71歳のオジサンに、「ぼた餅って、どんな時に作りますか?」って聞いたら、
「つい最近、『三十五日』に、箱に2個入ったのを貰ったよ」
ここらじゃ、亡くなったあとの節目は『四十九日』よか、『三十五日』なんだ(※1)。


おかあ、千葉県松戸市の、「たちびのぼたもち」を思い出した。
“亡くなってから1か月後をタチビと呼ぶ。・・・タチビにはぼた餅を作る。祝いのときには餡を下に敷いてから「白いマンマ(白米の飯の意)」を載せてその上に餡をのせる。しかしタチビに作るぼた餅はまず白いマンマを敷いてからその上に餡をのせる。”

なんと、丸めないぼたもち! 二段・三段の層状!

タチビのぼた餅?『人生儀礼の世界』松戸市立博物館



※1 『三和町史 資料編 近現代』p.789、「昭和十六年八月 猿島郡冠婚葬祭改善必行事項」には、「葬儀当日」「七日忌」「三十五日忌」「法要(年回)」とあり、『四十九日』はない。

※2 『平成21年度企画展 人生儀礼の世界』松戸市立博物館、2009、p。109など。

 八ヶ崎、千駄堀、紙敷中内薄蒲(かみしきなかうちすすきうら)の調査報告。
(251) 三太ぼた餅(1)お題

おかあ、スーパーに、いなり寿司買いに行った。
キツネ耳の瞬太(※1)を好物でおびき寄せよう、って魂胆だ。
いなり寿司に伸ばしたはずの手が、隣のぼた餅のパックを取り上げてた。
自分が食いたいもんだから。
おら、どっちでもいい、両方ならもっといい。


帰ってきてから、パックに「おはぎ」って書いてあることに気が付いた。
【ぼた餅】と【おはぎ】の違い、おかあ、悩み始めた。
図書館のカウンターで、「食べ物の事典みたいな本ないでしょうか?」
係の人が持ってきてくれた本『全日本「食の方言」地図』(※2)、読んでいったら、


【北海道十勝のごましおあんむすび】ってのが出てきた―
“中にあんこ、外は多分もち米、周りにゴマ塩”だと。
「一瞬頭がくらくらした」著者・野瀬さんは、「おむすび」なんだか「おはぎ」なんだか、「どっちだかはっきりしろー」と興奮している。
山梨のヒトからのコメント―「おはぎのバリエーションの一つです。・・・巨大なお蚕さんの繭のようです。ゴマ塩の代わりに黄な粉をまぶすバリエーションもあります」


おかあ、買ってきた黄色い「おはぎ」を割って見る。
“中にあんこ、外はもち米、周りに黄な粉”だ。(※3)


野瀬さんの真似して、おかあ、「情報ファイル」読者に問いかける―
【お題】
?あなたにとって、「ぼたもち」とは、どんな食べ物ですか?
色・形・大きさ・材料・味・呼び名・・
? 「ぼたもち」は、いつ、食べる(作る・買う・貰う・配る)ものですか?
彼岸・お盆・お祭り・運動会・正月・遠足・誕生日・結婚式・葬式・・・
? 「みつめのぼたもち」「おちつきぼたもち」「たちびのぼたもち」を知っていますか?
いつ、どこの、どんなものですか?



※1 (247) 三太キツネ耳
※2.野瀬泰申『全日本「食の方言」地図』日本経済新聞社、2003、p.72
※3. スーパーで買った「手造りおはぎ」(北海道産もちこめ・十勝産あずき)は、「巨大なお蚕さんの繭」状態。
スーパーの「手造りおはぎ」(北海道産もちこめ・十勝産あずき)調布市つつじヶ丘ライフ?箸 スーパーの「手造りおはぎ」(北海道産もちこめ・十勝産あずき)調布市つつじヶ丘ライフ?断
(250) 三太キツネ耳(4)

「ゲンパツ トミントウヒョウ」って、舌噛みそうな署名集め(※)。
おかあ、毎日のように、近くの駅前広場へ出かけた。
署名してくれる人が来るのを待ってる、「留守番猫」なるんだと。
おらこと、留守番犬させといて。
2.11代々木公園の集まりへ行った。1万2千人も集まってる。
雑踏の中に、キツネ耳が見えた!
おかあ、ヒトをかき分けて近づいて聞いた、
「キツネさん、王子からいらしたんですか?」
「いや、埼玉から来ました」
瞬太じゃなかった。キツネのお面付けたヒトが6〜7人、タヌキも1人。
安倍祥明にゃ、今日も、会えなかった。


おかあ、お土産に、スーパーでスペアリブ買ってきた、
「ゲンパツ トミントウヒョウ」の署名数目標達成のお祝いだ。
これもひとえに、留守番犬の協力があったからだ。
長さ15センチもある骨を、跡形なく平らげるのに要した時間、2分半!



※ 「原発 都民投票」http://kokumintohyo.com/branch/archives/91
(249) 三太キツネ耳(3)

きのう、おかあ、出かけた「初午だ」って。
王子駅降りて歩き始めた、なんか、人通りが少ない。
交差点まで来て、あせった。
露店がひとつも出てない!

やっと気が付いた、<今年の初午は2月3日、今日は2日だ!>
百軒だか二百軒もの露店がズラーッと並ぶのは3日だ。
がっくりしながら、初午・二の午には行列ができる店でくず餅買った。
キツネがいっぱいのパッケージに惹かれて、「狐火の街」(※2)も買った、中身は栗むし羊羹だ。


王子稲荷の幼稚園に、節分だからって、鬼の一行が来た。
鬼の他に、獅子舞もいる、かみしも姿の人達もいる、大晦日の「狐の行列」(※3)の人達らしい。
キツネ耳の瞬太は? カリスマホストの安倍祥明は?


おかあ、とうとう、瞬太にも安倍祥明にも会えないで、帰ってきた。
おら、おみやげの栗むし羊羹に満足。



※1 『よろず占い処 陰陽屋へようこそ』天野頌子、ポプラ社、2011
※2 「狐火の街」=くず餅で有名な(有)石鍋商店(北区岸町1-5-10)の商品。
  北区観光ホームページ www.city.kita.tokyo.jp/misc/kanko/data/a/topics.html
※3 「狐の行列」 (140) 三太三の午(さんのうま)
 
(248) 三太キツネ耳(2)

"瞬太、スカウトされて、「陰陽屋」でアルバイトすることになった(※1)。
牛若丸のような衣装、キツネ耳にふさふさした尻尾、「かわいー!」って、女性のお客さまに大好評だと。"


おかあ、そわそわしてる。
初午に、王子稲荷へ行くんだ、って。
王子稲荷のすぐ近くのビルの地下にあるっていう「陰陽屋」を見つけるつもりだ。
瞬太のキツネ耳か?
いや、本命は店主の安倍祥明だ。
平安時代の公達のような装束つけて、若くて、やたら、きれいなんだと。

おら、おみやげ、待つことにする。



※1 『よろず占い処 陰陽屋へようこそ』天野頌子、ポプラ社、2011
(247) 三太キツネ耳

“十五年前の朝六時半、アイリッシュコーギーのタロは、王子稲荷にさしかかった時、急に勢いよく走りだした。境内の桜の根元に置かれた籠の中に、赤ちゃんが眠っているのを見つけてみどりさんに教えた。(※1)
「お稲荷さんがあたしにさずけてくれた子にちがいない」って感じたみどりさん、引き取って育てた赤ちゃんに【瞬太】って名前をつけた。“
サンタじゃねい、シュンタ、だ。

“中学三年生になった瞬太、教室に入って椅子に座るととたんに、熟睡しちまう。
クラスメートに「給食だよ」って起こされる。食い終わるととたんに、また熟睡。
学校中が、寝かせといてくれる。“
瞬太の高校入試は、答案用紙に名前を書く間、起きてられるかどうか、にかかってる。

瞬太は興奮すると、耳がとがり始める、キツネ耳・・・?

おらも、日中よく寝てる。でも、瞬太ほど、熟睡ってことはねい。
 おかあが鍋をいじる音、おとうがおやつ戸棚を開ける音・・・聞き逃がさねい。
 おらこと噂してるときは、聞こえないふりもする。
ゴロー先輩のは「キツネ耳」だったが、おらの耳は、小さ目だ(※2)。



※1 『よろず占い処 陰陽屋へようこそ』天野頌子、ポプラ社、2011
※2 (138) 三太初午(はつうま)
(246) 三太子守り犬

 飼い主グランは、子犬トヨンの子守りを<なまけもの>に命じた(※1)。
<なまけもの>は、動くのが嫌いで、猟の役にも立たないし、子どもの遊び相手にもならない犬だ。でも、親切で、おとなしく、やさしい、ちゃんとした犬だった。
トヨンは乱暴ないたずらをする怖いもの知らず。
<なまけもの>は、トヨンに、ばねやわなを用心深くさけることを教えて猟犬デビューさせたあと、家出して雌犬のいる隣のうちに住み替えちまった。隣っても、50キロ離れたとこだ。

昨日、チッコイのと、さらにチッコイのが、来た。
みんなで公園行った。ボール遊びを始めた。おらことフェンスに繋いで仲間外れにして。

クンクン、キャンキャン、文句言った。
チッコイのが投げたボールがおらの背中に当った。
腹が立つ! 断然、家出してやる!

チッコイのと、さらにチッコイのとが、帰ったあとも、怒りがおさまんねい。
おかあ「きみは、うちのオンリーワンだよ」って言いながらミルクくれた(※2)。
まだおさまんねい。
おとうが骨ガムくれた、噛んでるうちにようやく、平静を取り戻した。
チッコイのは、ボールを投げる時、おらが自分を見てるかどうか確かめなかった。おらをいじめるつもりじゃなかったんだ。
家出はしないでおく。

西部の魔女のとこじゃ、孫3人が襲来、猫のミントさんは自主避難した。嵐の後、窓辺の日なたでまどろんでる。
猫のこまるくんのおっかちゃんのおふくろさん―
「今年は孫たちの襲来がないのをいいことに手抜きしています。」
こまるくんも、くつろいで過ごしてるこったろう。


※1 ニコライ・カラーシニコフ作、アーサー・マロクヴィア絵、高杉一郎訳『極北の犬トヨン』徳間書店、1997
※2 (50) 三太オンリーワン 
(245) 三太犬神?

“<わたし>は政治犯として北シベリアへ吹雪と北風の中を護送される途中、ツングース人グランの住まいにたどりついた。

グランは指先でウォトカをそばにいる犬の上にまきちらしながら、ヤクート語で「わが家の守り神とともにいただきます」とささやく。「これは、わが家の守り神で、ふつうの犬じゃないんです。」“(※)


生の犬「トヨン」が守り神だって?
オオカミに似た大きな灰色の年より犬「トヨン」の物語―おかあ、年末の用事そっちのけで読み始めちまった。


“護送のコサック兵が言う
「犬のほえるのを聞くのは、いつでもいいもんですよ。犬のいるところには、きっと人間がいますからね。」“


おかあ、思わずおらを振り返る。
おらのほえるところ、住宅街だ。人間がい過ぎるくらいいる。犬嫌いのヒトもいる。
いつも、おかあに「声を小さくして」って頼まれる。



※ニコライ・カラーシニコフ作、アーサー・マロクヴィア絵、高杉一郎訳『極北の犬トヨン』徳間書店、19
(244) 三太落ち葉異変

朝、Nオバサンに久しぶりに会った。
「どうしたー? 元気だったー?」
Nオバサンこそ、元気か?
毎年、晩秋なると、図書館まわりの落ち葉掃きながら、Nオバサンとおかあ、飴玉交換してきた。たまーに、おらにもおこぼれが来た。

この秋、図書館まわりを、見なれねいオジサンが掃いてる。
Nオバサン、どうしちゃったんだ?
「足が痛くってねえ、毎週一回だけ来ることにしたんだよ」
そっか、道理で会わないわけだ。

Nおばさんとおかあがしゃべってる―
この秋は、落ち葉の具合がへんだ。例年よか、落ち始めるのが1週間か10日遅い。落ち方もなんか、しめっぽい。ドーッと、とか、ザザーッと、とかじゃなくって、いつのまにか、幹が裸になった。
そういや、去年は、うちの庭にトーガン(※)が自生して、小さなフットボールくらいのが5−6個実った。おらのメニューもトーガン飯。
今年実ったのはうずらの卵くらいのが1個だけ。おかあもおらも食えなかった。

今日来た手紙に、88歳のオバサン、転んで肋骨を骨折した、って。
おかあも、気をつけろよ。



※昨年のトーガン (200) 三太缶蹴り?… 一昨年のトーガン (165) 三太現実の犬
(243) 三太犬神? 

佐助が床にこぶしを振り下ろすと、建物が丸ごと壊れる。(※1)
生目神から、“桃太郎は鬼ケ島へ行き鬼退治をし、めでたし、めでたしとなったとされている。その続きは?”と問われた―
佐助はにやりと笑うと、
「お宝を盗った桃太郎は、火盗改めが捕まえる強盗と同じです。そうではないですか? 生目神様」
お宝は桃太郎を幸せにしなかったらしい。
家来として働いた「犬、猿、雉」。みんな、老後は幸せだったんだろうか?


桃太郎は、日本のアニメ史のスターだ。(※2)
1945年、日本初の長編漫画映画『桃太郎・海の神兵』では、戦意昂揚に働いた。
66年たった今、紛争を暴力によらず解決する桃太郎が誕生した。
「鬼退治したくない桃太郎」(※3)だ。
ゆうこさん、産婆役、ごくろうさまでした。



※1畠中恵『ころ ころろ』新潮社、2009年7月、『しゃばけ』シリーズ。
桃太郎 p。207〜「物語のつづき」。

※2高畑 勲「戦争とアニメ映画」講演録 - 映画人九条の会
http://kenpo-9.net/document/041124_kouenroku.html 「桃太郎の海鷲」1942 http://www.tanken.com/momo.html
「桃太郎海の神兵」1945 http://www.jicl.jp/now/cinema/backnumber/1122_2.html
    www.youtube.com/watch?v=AOkzahUbiJk

※3「鬼退治したくない桃太郎」 http://peace-animation.seesaa.net/article/195289582.html
・ アニメ映画『鬼退治したくない桃太郎』: 轟亭の小人閑居日記 馬場紘二 http://kbaba.asablo.jp/blog/2011/10/13/6151364

(242) 三太一日何食?

おかあ、研究会に出かけた。
レトリバーのテラさんのオカーサン(※1)のお話を聞くんだと。
お話が終わったあと、慰労の宴を、って誘ったら
「テラにご飯食べさせなきゃならないから、帰ります」
テラさんは一日二食。毎食オカーサンがテーブルセッテイングする。
献立は何?
「朝は、忙しいので、ドッグフードなんですよ。オーストラリア産のカンガルーの肉の!
だから、すごくよくジャンプしてときどき垣根を飛び越えて脱走していたのかも?」

おら、一日三食。おなじみ「三太メシ=犬まんま」(※2)。
お膳に出してくれるのは、おかあだったり、おとうだったり。二人ともいないと、一食抜きにされちまう。
おら、はじめは、育ち盛りだから、って、一日二食。腹減って、腹減ってしょうがねい。おかあに談じ込んで、ずっと(―2007年11月っから―)、一日三食にしてもらってる。それでも足りねい。おやつ・間食いつでも歓迎だ。
おかあ、一日中、おらの食器洗いしてるみたいだ、ってぼやいてる。
うちじゃ、先代のゴロ―先輩もパピー姐御も、一日一食だった。
おらの催促が厳しいから、おかあ、一日三食用意してはいるけど、内心は、一日一食にしたいと思ってるんだ。
<犬は一日半まで絶食させても大丈夫>ってのが、おかあの持論だ。

テラさんのオカーサンが「三太さんの写真、見たい」って言ってくれた。
おかあ、時代遅れのカメラを構える。
「ゥガンッ!」
「飯を食っているイヌのそばへよるものではない!!」(※3)



※1 静岡のレトリバー・テラさん。オカーサンは追いかけるのでたーいへん。 (195) 三太ヤギミルク(続)
※2 犬まんまのレシピ (221) 三太危険がいっぱい
※3 おら、「見るな!」って、言ったはすだ。 (185) 三太食事作法


「飯を食っているイヌのそばへよるものではない!!」

 
(241) 三太犬神

レポート提出したおかあ、おらことほっといて、読み始めた。
1年前に図書館に予約した本『ころ ころろ』(※)がやっと順番が来て借りられたんだ。


「エーッ?」仰天。
なんと、佐助におかみさんがいる! すらりとしたおなごだと! いったい、いつの間に?
佐助と仁吉は、江戸の廻船問屋兼薬種問屋長崎屋の手代、兼、若だんなの「兄や(にいや)」だ。どっちもモーレツ強くて若だんなにだけ優しい。仁吉は優がたの超モテ男。

佐助は骨っぽくって女っ気はなかった、はずなのに・・・

実は、佐助は「犬神」で・・・

おかあ、東京都の一番奥の山ん中のうちへ行った。
オバサンが「うちの裏を登って行くとお宮がありますよ」って教えてくれた。
軒下の一輪車に白い大きなかたまりが載っている。
裏手に廻ろうとしたら、白い大きなかたまりが動きだした。犬だ。
伸びをして一輪車から降りると、おかあの前に立ちふさがった。
白犬が、犬神に見えて、おかあ、裏山に登るのをやめた。
おらに噛まれてもへこむのに、犬神に噛まれたらどんなことになるか・・・

※畠中恵『ころころろ』新潮社、2009年7月、『しゃばけ』シリーズの最新作。
佐助のおかみさん p。155〜「けじあり」。
(240) 三太み月遅れの七夕様

おかあ、締切3か月も過ぎてるのに合宿のレポートがまとまらないって、日夜呻吟してる。
幹事さんから督促状が来た。
幹事さんのろくろっ首、きっと、うちの朝顔のツルみていに、どっちが根元でどっちが先っぽかもわからないくらいこんぐらかってるにちがいねい。
おかあ、自分の首をなでる。来年はおかあが幹事やる番だ。


朝、粒メシ(※1)、おら、半分も食わずに残す。
昼、また粒メシ。匂いかいだだけで食わねい。
おかあ、ちょっぴりミルクを注ぐ。ミルクの沁みた分だけ食って、あとはパス。
夕、またまた粒メシ。近寄りもしねい。
おかあ、「今日、三太はハンストやってる」
おとう、骨型のオヤツをくれた。


『動物お断り、こどもお断り』って、ひどい題のお話書いたベバリー・ケラーさんは、ほんとは大の動物好き。

訳した人によると、ケラーさんは書きはじめると、“掃除も買い物もいっさいせず、ひたすらピーナッツバターとクラッカーだけで生き延びるという暮らしぶりだそうですが、それでも六頭の犬の世話と、ぞんぶんに遊んでやることは絶対に忘れないといいます。”(※2)

ケラーさんの爪の垢を煎じて、おかあに飲ませてやりてい。


おかあ、朝顔のツルを切り始めた。グリーンカーテンもおしまいだから、って。
レポート書くのが先だろうが。



※1 粒メシ=市販の粒状ドッグ・フード。むらき家の非常食。おかあの手抜きの象徴。
(161) 三太ふた月遅れの七夕様
※2『動物お断り、こどもお断り』ベバリー・ケラー、若林千鶴訳、評論社、1994
「訳者あとがき」から。
(239) 三太座敷わらし(その3)

宮沢賢治の「風の又三郎」の思い出を、長野県の仲田文之助さんが書いてくれた。



仲田さんは、野沢中学校三年生の1943年11月に、「海軍甲種飛行予科練習生」いわゆる「予科練」になって、三重海軍航空隊奈良分遣隊に入りました。

仲田少年は国語・古典が好きでしたが、当時の教育と周囲の雰囲気から、海軍兵学校(海軍の将校コース)へ行くのを当然のように考えていたので、予科練の試験をほんの小手調べのつもりで受けたら受かってしまったのです。

同期生のなかで最年少、体重40キロのやせっぽちの仲田少年は、体格も学力も年齢も上の同期生たちに追いつこうと必死の努力をしました。せめて精神面においては、どうしても一人前の兵士にならなくてはいけないと心に決めていました。

ひたすら「お国のために」と、全身全霊を傾けて励んだ予科練二学年教程の訓練を終えた仲田練習生は、占領地の上海海軍航空隊へ転隊することになり、1944年11月26日、神戸港で吉林丸に乗船しました。吉林丸は、中国本土と内地を行き来していた客船だったのを、外装は客船のまま専ら軍人や軍属の輸送をする貨客船にされていました。

関門海峡を過ぎた頃から、仲田練習生は断ち切っていた郷愁に襲われました。「九分九厘生きて再び祖国の土を踏むことはないだろうなどと考え出したら、たまらなく切なくなって来るのだった。」

外海に出た吉林丸は折からの大しけに翻弄され、船酔いに苦しむ500余名の予科練生を乗せたまま緊急避難し伊万里湾で二泊しました。

二泊目、隣にいた福岡県出身の藤吉練習生が、くすくすと思いだし笑いをしました。入隊前のある日、中学の先生が宮沢賢治の作品を紹介してくれた時のせりふの言い回しの面白かったのを思い出したのでした。それを聞いた仲田練習生も、似たような経験を思い出して藤吉練習生に話したのでした。


“あれはたぶん中学一年生の時だったと思う。
田中富次郎という東京帝国大学を出て来た国語科の先生が「風の又三郎」の作品を紹介してくれたことがあった。
あんまり川をにごすなよ
いつでも先生言うでないか
又三郎と言われた転校生が、誤ってたばこの葉を落としてしまった。
葉たばこの栽培農家ばかりでなく、専売局でも、たばこの葉が何枚あるかということは厳重に調べてある。その大切な葉を落としてしまったんだから、大変なことだ・・・と又三郎は友達から責められる。
そんな折、村では見かけない人が子どもたちの近くへやって来る。子どもたちは男が専売局の人だと又三郎を責める一方、その男を追い払う算段をする。
そのうちに男が川へ入ってバシャバシャとやり出す。
そこで川下にた子どもたちが、いっせいにはやし立てて、とうとうその男を退散させてしまう時のせりふが「あんまり川をにごすなよ」だ。
そう言えば、田中先生は、私たちを教えた後、長野師範学校へ転出して行った。
私は藤吉の話を聞きながら、田中先生を思い出していた。先生は私たち生徒の顔を見ずに、時々天井へ目をやりながら、ひとり悦に入った表情で「あんまり川をにごすなよ」と話しかけるのだった。もちろん私たちは、この転校生又三郎と、その遊び仲間の日常生活がリアルに描き出されているので、すっかりこの物語に共感を覚えていたから、熱心に先生の語り口に魅せられたのだと思った。
県は違ってもその頃の中学には、同じような先生がいたんだなと思った。
私が藤吉に「あんまり川をにごすなよ」のくだりを話して以来、ふたりはいっそううちとけて話せるようになって行った。
大しけで二日も足止めをくった船旅だったが、厳しい軍隊生活の中で、心休まるいっときであった。
明くる朝、吉林丸は錨を上げて、朝鮮半島を右手に見ながら、ジグザグ航行を続けた。これは、敵潜水艦の追跡をかわすためだと言われた。“


配属将校が誇らしげにサーベルをガチャつかせ、コツン、コツン、と長靴の音を廊下に響かせて行く当時の旧制中学校にも、宮沢賢治を読み聞かせる先生がいたんですね・・・
(238) 三太座敷わらし(その2)

質問が来た―

「ドイツにも【座敷わらし】がいるの?」
ドイツの魔女にお伺いを立てる。

ドイツの魔女から―

ドイツにはポルターガイスト(ガイストは幽霊という意味。精神という意味もあります)という家の精がいますが、これは日本の座敷わらしのようにおとなしいものではなく、誰もいないはずなのにガタガタ音をたてるという目立ちたがりやです。
ポルターはpoltern=がちゃがちゃ音をたてるという動詞からきています。
結婚式の前の晩に花嫁の家の前で壷や食器をガシャンと割って2人の幸せを祈るという習慣があり、これはポルターアーベント(Abend=晩)といいます。
アメリカの「ポルターガイスト」は人を襲う、おっそろしい(※1)。
宮沢賢治さんが紹介してる、四通りのざしき童子(ぼっこ)(※2)は―
子どもたちと一緒に遊んでたり、シカトされて泣いてたり。音を立てても「ざわっざわっと箒の音」がせいぜい、人に危害を加えない。

みーんな穏やかなもんだ。
紋付き袴を着て刀をさし、白緒のぞうりをはいて正装したきれいな男の子は、住みつく家に福をもたらす。
おかあ、つぶやく「福をもたらす座敷わらしになりたい」
おら、大賛成。
おらの医療費で悩まなくってもいい程度の福が欲しい。
おらたち犬もガンになるんだし(※3)、「3・11」以後、地面に近い高さで暮らすおらたちのリスクは高まってるんだから。



※1 映画「ポルターガイスト」
※2 『ガラス絵の宮沢賢治? ざしき童子のはなし』児玉房子、草の根出版会、2008年初版
※3 アワビのつぶやき 4. 誰にでも
(237) 三太座敷わらし

おかあ、バス旅行に行った。77歳前後の兄さん・姉さんたちの会だから、おかあはミソッカス。
懇親会で「私は最年少です」ってしゃべったあと、遅れて宿泊室へ行った。
姉さんたちが、宿の人が敷いてくれてた布団を一組押し入れに片づけてる最中だった。
おかあを見て、姉さんたち「あら、もう一人居たのね」
布団を敷きなおしてくれた。
「遅れて行きます」って言ったのに、誰あれも聞いてなかったんだ。
おかあ、いじけて、布団にもぐった。


うちへ帰ったら、ドイツの魔女からメール―

  ぜひプレゼントしたいものをみつけたので送りました。
  楽しみにしててね!



ピンポーン! 「荷物をお届けにきました」
おら、門へ急ぐ。大きな封筒だ。
おかあが開けると、絵本が出てきた、
『ざしき童子のはなし』(※2)
涙、ナミダ・・・



※1 おかあは台湾での魔女集会で圧倒されて以来、「座敷わらし」と名乗っています。
(148) 三太魔女修行・台湾編「小さな魔女」
(149) 三太魔女修行・台湾編「不言実行」
※2 『ガラス絵の宮沢賢治? ざしき童子のはなし』児玉房子、草の根出版会、2008年初版
(235) 三太ムシロ?

おかあ、五万人の一人になるんだ、って出かけた(※1)。おら、留守番。
近くの駅で落ち合ったのが10人、新宿駅で乗り換えるあいだにも迷子になりかける。
おかあ、プラカードを頭上高く掲げたけど、人、人、人、に埋もれちまう。
千駄ヶ谷駅、改札口をやっと出たところではぐれた。

ずいぶん早めに行ったんだが、明治公園はもう人がいっぱい。
とにかく沢山の人、人、人。ときたま、知ってる顔が見える。
何年ぶりに会う読者さんもある。
ご近所の母娘三世代と思いがけない出会いもした。
新しい知り合いもできる。
約束してたのに会えなかった人もある、この雑踏じゃあ無理ない。
山の家から、うさこオバサンも来てたんだ。黒ラブのベイビー親分は療養中(※2)だからもちろん留守番、こんな雑踏に犬猫を連
れてくるのは虐待だ。
川柳師匠の乱鬼龍さんがいた。
乱鬼龍さん、でかーい旗掲げてる、ムシロ旗だ。
でも、ムシロにしちゃ上品だ。ほんとにムシロか?
乱鬼龍さん「ムシロで作ろうと思ったんだが、ホームセンターにゃ、ムシロ売ってねえんだよ。しょうがないから、ゴザ買ってきた、800円だよ」
おかあ、笑いながら「ムシロ代」ってカンパした。




※1「さようなら原発 5万人集会」2011.9.19@明治公園 
※2 (218) 三太お見舞い
(234) 三太グリーンカーテンの続きの続き

おとうからメール、なんと、北極に近いスウェーデンってとこからだ。長距離バスの中でネット接続できるんだと。
飛行機に乗って行ったそうだが、空中で8時間ミツバチみていにホバリングしてれば、その間に地球が回転するから、着くんだろう?
『ミツバチの羽音と地球の回転』(※1)って、そういう意味じゃねいのか?


うちの外で車が止まる音。
おら、飛び出す。
タクシーだ、おとうが乗ってる、って感じたんだ。
おとうに飛びつく、熱烈歓迎のハグ。おかあが割り込む余地なし。
おらにおみやげ―フィンランドのキツネだ。
早速首のうしろを咥えた、鼻先も耳も、手も足も、シッポの先まで、舐めまわしてやった。
べとべとになったキツネを、おかあ、水洗いしてタオルで水気をとったあと、扇風機の上に乗せた。


おとうの荷物から、もうひとつ出てきた、小人だ。
「トムテだ! 絵本(※3)のトムテときつねのレナードだ!」
喜んだおかあにキツネを横取りされちまった。



※1 『ミツバチの羽音と地球の回転』は、鎌仲ひとみ監督作品のドキュメンタリー映画です。 
※2 キツネとお見合いする三太

キツネとお見合いする三太

※3『The Fox and the Tomten』Astrid Lindgren、Harald Wiberg 
 絵本の表紙を背景に、おみやげ「トムテときつねのレナード」。
 → (93) 三太クリスマス

絵本の表紙を背景に、おみやげ「トムテときつねのレナード

(232) 三太グリーンカーテンの続き

ゴーヤの不作について、


多摩のかぐや姫さん―

世田谷のSさんに会ったら、今年はゴーヤが不作だったということでした。
ひとつには、ブームに乗って悪い種がでまわったことも原因とか。


アキコさん―

「ゴーヤーの不作」。私の友人たち二人は、「去年まではたっぷりなっていたのに、今年は3年目だから連作障害かな」
 といっていたのですが、初心者の人もだめだったということは、やはり放射能ほか、なんらかの天候の原因があるのかもしれませんね。

西側のネットをみたら、トケイソウがグリーンカーテンの主役として繁茂してる。ゴーヤもアサガオも、いっしょうけんめい探さねいと見つかんねい。

おとうのスリッパ

おかあがグリーンカーテンに気をとられてるうちに、おとうが家出しちまった。
おかあの家出は、おらの八つ当たりがきっかけだった。
おら、おとうにゃ八つ当たりしなかったぞ。
おかあが八つ当たりしたんじゃねいのか?

おとう、どこまで行っちまったんだ?
おかあ、「ボスが一人のほうが、君も気ぃ使わなくってラクなんじゃないの?」
そんな単純なもんじゃあねい、
おとうのスリッパの脇で待つ(※)。

おとう、早く帰ってきてくれ。


(231) 三太グリーンカーテン

リカちゃんママ「今年、初めてゴーヤを植えたんですよ。やっと一個実った、紙コップくらいの大きさになったんで、もっと大きくなるだろう、って楽しみに待ってたら、大きくならないで黄色くなっちゃって、崩れた中は真っ赤で」
おかあ「そうそう、まるで、作り物みたいな、真っ赤になるのよね」

5月、おかあもゴーヤを植えた。去年よかグリーンカーテンを広げようって、ネットを増設して、ゴーヤの苗もたくさん買ってきた。根元に、アサガオも植えた。
「ゴーヤが繁るまでが、暑いから」って、ヨシズも垂らして、グリーンカーテンと二重構造にした。
今年、ゴーヤの苗は、ホームセンターも<猛暑と節電にグリーンカーテンを>って宣伝して、例年は連休までしか売らないのに、今年はあとまで追加入荷して売っていた。

6月、7月が過ぎて、8月、立秋。ネットはアサガオのグリーンカーテンになった。
ゴーヤは、去年の半分程度の繁り方、実ったのはやっと2個、大きさは紙コップくらい。去年は毎日1−2個、20センチ以上の実が収穫できたのに、なんという違い!
うちだけじゃねい、近所もみーんな、不作だ。リカちゃんママが初心者だったからじゃねい。公民館も、小学校も、グリーンカーテンはできそこない状態。
今年初めて植えたヒマワリの苗も、思ったほど大きくならないで咲き終わった。

中旬、アキコさんが来た。庭を見て、「緑が繁ってるんで、びっくりした! 前に来たときは、石ころだらけの荒れ地だったのに!」
うん、ゴーヤは不作だけど、ほかの木や草はジャングルに近い伸びようだ。
おかあ「5年間、せっせと落ち葉を入れて土を作ってきたから」 おらも、毎日協力してきたぞ。


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