「900号によせて」&連載「緊急事態宣言から3年半 今、わたしは……」

「むらき数子の情報ファイル900号に寄せて

不定期発信が、そのまま「無期休刊」から「消滅」してしまいそうなときもたびたびありましたが、
サイト「むらき数子の情報ふぁいる」の管理を続けてくださっているSinceさんと
読者のみなさまに支えられて、第900号まで続けてくることができました。
感謝をこめて、寄せられたひとことを紹介させていただきます。

<むらき数子  2023.9.23>


連載『緊急事態宣言から3年半 今、私は…』

前号(第898)☆1.「新しい生活様式」と「生活新体制」でコロナ下3年8か月を経て、
あなたの生活・ふるまい方は素に戻りましたか?あるいは、どう変わりましたか?と問いかけました。
寄せられた文章を、「『緊急事態宣言』の日々「今、私は…」」の続編として連載紹介させていただきます。
寄せてくださった方々にお礼申し上げます。まだの方には。是非一言お寄せくださるようお願い申し上げます。
<むらき数子 2023.9.16>

目次

「新しい生活様式」と「生活新体制」     むらき数子   898号 2023.8.29

 「地球沸騰の時代」に入った(※1)この夏、連日の酷暑の中で、「コロナ厳戒モードを恐る恐る抜けて初めて迎えたお盆である。」(※2)と、行事・イベント・観光の復活のニュースが相次ぎました。
 暮らしは、コロナ以前に戻ったのでしょうか?

 2020年初のコロナ発生以来、「パンデミック」という言葉が耳に慣れていく中で、政府は2月27日「全国の休校要請」、
4月7日「緊急事態宣言」発出(自粛・三つの密)を進めてきました。
5月に入ると「新しい生活様式」「新しい日常」という言葉があふれました。

「新しい生活様式」は、2020年5月1日「新型コロナウイルスの対策を検討する政府の専門家会議」が例示し(※3)、
5月4日厚生省サイトは「【新型コロナウイルスを想定した「新しい生活様式」を公表しました】」「実践例をお示しします」と
【「新しい生活様式」の実践例】を載せました(※4)。
メデイアは「日本政府は「新しい生活様式」の実践を呼びかけている」(※5)と報じ、
岐阜県可児市が「実践例が国から示されました。」(※6)と記したように、全国の都道府県・市町村・保健所・教育委員会・学校などの公式ホームページの多くが、
厚生省サイトから転載して、「長丁場」との言い回しそのままに、<お知らせ・紹介>して【新しい生活様式」を実践しましょう!】(※7)と、よびかけました。

「新しい生活様式」を掲げて、個々の生活・ふるまいかたに国策が干渉してくることに、
私は、1940年・日中戦争中に近衛文麿首相が推進した「新体制運動」を連想せざるをえませんでした。
大政翼賛会をつくり、報道統制を進めながら、日独伊三国同盟を締結し『贅沢』を攻撃して消費生活の統制・低下に慣れさせ、戦時体制を整えていったのでした。(※8)
「新しい生活様式」に、「新体制運動」を連想したのは、私だけではありませんでした。
例えば、大塚英志さんは次のように言いました。(※9)

■日常に入り込んだ公権力 大塚英志さん(まんが原作者)
(前略)…「自粛」から「新生活」へ。手順まで同じです。
 正直に言って僕は、コロナ禍で蔓延(まんえん)した「自粛」や「新しい生活様式」や、そこにへばりつく「正しさ」がとても気持ち悪い。
そう公言しています。けれど「気持ち悪い」と言いづらいような社会の空気がもっと「気持ち悪い」。…(中略)…
生活という個人の領域に、不用意に公権力が介入してくることを「おかしい」と思うのは、民主主義の基本です。「おかしい」と正しく言葉
にするためにも、戦時下の「生活」や「日常」の歴史を学ぶ必要があると思います。」

コロナ下の3年8か月を経て、あなたの生活・ふるまい方は元に戻りましたか? あるいは、どう変わりましたか? 

 ※1 「「過去12万年で例ない」暑い1カ月に グテレス氏「地球沸騰時代」『毎日新聞』 2023/7/27 22:30
 ※2 「番外天声人語」『朝日新聞』2023.8.14
 ※3 「感染減は緩やか、長丁場へ新しい生活様式を 専門家会議」『朝日新聞』2020年5月1日
 ※4 厚生労働省【新型コロナウイルスを想定した「新しい生活様式」を公表しました】
 ※5 「新型コロナ  新しい生活様式 海外では」『朝日新聞』2020年5月20日
 ※6 岐阜県可児市 https://www.city.kani.lg.jp/17857.htm :2020年5月15日
 ※7 山形県東根市 https://www.city.higashine.yamagata.jp/15503.html(2020.6.10取得)
 ※8 『写真週報』第132号、1940.9.4 
    「国民挙げて新体制」「新体制の暖簾を掲げて―米屋さんの企業合同―」
    「ふじんのページ 私たちの 生活新体制 結婚やお葬式はこんな風に」
 ※9 「(耕論)「新しい生活様式」の圧 新型コロナ」(『朝日新聞』2020年6月20日 5時00分
    https://www.asahi.com/articles/DA3S14519314.html?iref=pc_ss_date_article



逃げ切り世代”と呼ばれないように  中林さん(千葉県)    2023.9.16

   「労働相談の現場から」(2020.4.16 第782号)、
      「緊急事態宣言が延長になった労働相談の現場から」(2020.5.14 第787号))
      
 おはようございます。いつも情報をいただき、多くの取り組みの紹介に力づけられます。
私の方も今年に入り変化が連続し、戸惑う日々です。
個人的には終活の時期と考え、その予定を立てていましたが、衆院選・参院選・地方選挙結果や岸田政権の大軍拡推進を目の当たりにして、そうもいっていられない危機感が募りました。
 地元のいちはら協立診療所健康友の会の会長を引き受け、原水禁長崎大会に参加してきました。
街頭宣伝や行事などであいさつを求められる機会が多くなり、腹を据えた話をするように心がけています。
地域の歴史にもかかわりを持ち、歴史面での劣化・後退の場面を痛感させられています。
 堤未果さんの「おかしいことをおかしいといえる自由が残っているうちに、おかしいと声を挙げよう」を引用し話をまとめるようにしています。また、核兵器廃絶の訴えでは、「あるから使う」の例としてアメリカがクラスター爆弾をウクライナに提供し使用した事実を強調しています。非人道兵器として世界が廃絶に取り組んでいる兵器が、アメリカにあるからウクライナで使う、廃絶条約に批准していないから許されるということから、核兵器禁止条約の署名・批准を求める署名活動時にも強調しています。
現状は、リタイアどころか逆に目立ち始めていることに忸怩たる思いですが、老害といわれるまで限られた自分のポジションの中で頑張る決意に至りました。

 「むらき数子 情報ファイル」に返信を怠っていますが、大変ありがたい情報として活用させていただいています。今後ともよろしくお願いいたします。
原水禁大会の分科会で、我々の世代を“逃げ切り世代”と呼ぶそうです。そうよばれないように、ジタバタしようと考えています。

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ステイホーム  育ジー先生   2023/09/14 (木)

   「おらあ三太だ!(554)アルフレッド・平常心」(2020.5.6 第785号)

 コロナ禍でクローズした公営テニスコートもその6月には人数制限、消毒実施、ディスタンス確保のもと使用可となりました。
しかしそれ以降新年会・合宿や各種大会は中止が続きました。年度初めの定期総会は応援席での簡単な説明と書面決議となり今年度までそのままです。
翌2021年以降は当クラブ内のテニス大会は注意しながら実施となりましたが、松戸市テニス連盟の大会はやっと今年復活しました。
 不思議なことにこの間、当クラブでは感染者は出ていませんでしたが、5類移行となり全数調査が行われなくなった最近二人も感染者がでました。そうした中、異例の猛暑でもシニアの皆さんは熱中症に注意しながら楽しんでいます。
そして昨年ミニダックスの愛犬ショコラは16歳で亡くなりました。平均寿命を越えていてもやはり悲しいことで、霊園の住職の「虹の橋を渡って行きました」という言葉に少し癒やされました。
言葉の力を感じたときでした。

 そして後期高齢者となった私は「後期を好機ととらえ、高貴なプレーをめざそう」などと自ら言い聞かせている昨今です。なんたって93歳でも自らコートに立ちプレーしながら皆を叱咤し続ける顧問を目の前にしているのですから。



Since    2023.9.24

900号おめでとうございます。
「900」はすごいインパクトのある数字でもはや驚異的!と感じます。
ずっとフォローしてきた身としても誇らしい気分です。
 800号は2020年9月19日でした。
きっちり3年で100号を発信したことになります。
1000号は2026年9月ですね。(なんだかわくわくしてきます!)
どうか健康に留意して、変わらぬライフスタイル、信念を貫き、その素晴らしい精神力で「情報ファイル」の発信を続けてください。
 私は「おらぁ三太だ!」が好きです。
三太君情報だけでなく、お堅い政治情報や社会現象をアルフレッド、羊の若葉、おっかぁ、おかみさんとのやり取りで
わかりやすく伝えてくれるし、時にはむらきさんご自身の様子も知ることができます。
インスピレーションや時には勇気をいただいています。ありがとうございます。


猫のウメちゃんのおかーさん  2023.9.24
 
情報ファイル、いつもお送り頂きありがとうございます。そして900号達成おめでとうございます!
産みの苦しみ、ギックリ腰、悲しいお別れもあったのに情報アンテナを折らずに続けて来られたむらきさんを尊敬致します。
そしてこの偉業に読者としてシビレています。
これからもむらきさんのペースで無理なく続けて下さいね。楽しみにしています。


コスモスさん    2023.9.24

 まずは、900号おめでとうございます。
「900」という数字にはひるんでしまいます。恐れ多い。
仮に月に2回発行としても、37年半の年月がかかり、ちょうど人生の半分ぐらいではないか?
しかも1回1回、情報をかき集めたり、いくつか生記事を書いたり、写真を載せたり、めんどくさいことをこなして、
一つのファイルをつくる。これは結構重い作業なのでは?
なのに受け取っている当方でからはあまり反応を示さず、申し訳ないと思っています。
しかしむらきさんとほぼ同年代を生きる者として、このトシを生きることがこんなに生きずらいことで、
すべてのことが不安となって襲いかかり、どうにか自分自身の精神のバランスを取ることで精いっぱいだという日々にあります。
そんななか、どこかで(ここで)淡々とこんな情報ファイル発信を続けている人がいることは、数少ないホッとする慰めです。

 すみません。これからはちゃんと読みます。


高橋晶子さん   2023.9.24

 900号おめでとうございます! 
コロナ禍で鬱々としていた日々にも、このお知らせでいろいろな取り組みがあることを知り、「世の中、捨てたものではない」と勇気づけられました。
私はワクチンは一度も打っていません。
 コロナにかかるのは仕方ないけれど、得体のしれないワクチンで具合が悪くなったり、死ぬのはまっぴらごめんという、単純な気持ちからです。
何が真実なのかを知ることは非常に難しい。
2000年以降は、特に自分で咀嚼できる範囲をはるかに超える量の情報があふれています。
 その中で、むらき情報は、「選別していません」という前提はあるものの、私にとってヒントになるものが多数あり、とてもありがたい存在です。
寄せられる情報を日付順にして、必要最小限にまとめ直し、送信する、という地道な作業を継続してくださることに、深く感謝しています。
もちろん、情報のみならず、むらき数子さんのユーモアあふれる文章があるからこそ、楽しみに読み続けられています。
これからも、続けてくださると幸いです。
でも、けっして無理しすぎないでください!
 一言お祝いまで。

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コロナとは何だったのか  ドイツの魔女さん   2023.9.24

「コロナとは何だったのか」ということですね。未だに誰も明確な答えを出すことはできないと思います。
わたしについていえば、熱もたいしてでなかったし、これといった苦痛もなかったので10日間のお休みを頂いて有難く休養させていただきました。
閑になったら読もうと買って置いた全3巻、総重量5キロの本(※)に手をつけたものの、10日間の休みではさして捗らず、2巻の真ん中あたりでストップしています。
物理的な時間の問題だけではなく、活動が始まると頭の構造が切り替わって、「冠詞とはなんぞや」なんて考えられなくなっしまうようです。
気になったのは「不要不急」という言葉の氾濫でした。文化関係のお仕事に従事されている方は、政治の貧困がまかり通っているこの日本ではとくに、精神的にも経済的にもどんなにご苦労なさったかと思います。
実は最近嬉しいことがありました。私の属している「調布平和を歌う合唱団」の演奏会を聴いて感激して入団された方がお2人あるのですが、そのお一人は外環道工事の被害者で、殺伐とした日常とは全く違った世界に出会って
「音楽とはこんなに快いものかと思った」とおっしゃったのです。
音楽は決して不要なものでも贅沢品でもないと、実証してもらえたんです。
 コロナが終わったかといえば、「終わりに向かっている」のではないかと思います。
今感染者がすごく増えていると聞きますが、そうやっていわゆる「集団免疫」ができてくるのではないでしょうか。
あの極端なやり方をした中国から、今何も聞こえてこないところをみると。

「おらあ三太だ!(579)アルフレッド・卒業」
 全重量5キロの本とは、関口存男著『冠詞』。3巻で総重量5キロ。


「老いの感慨」に耽っていられない    鈴木彰さん  2023.9.24

 落日は「つるべ落とし」というが、自身が80代を迎えて3年になる私は、晩年の人生もまた然りとの感慨をしみじみと味わっている。
100年に1度と言われるパンデミックに驚き、マスクの陰に閉じこもる「自閉・自粛」の日々を耐えている間に、同世代のなかまたちは、耳目・心肺の「フレイル」症状に侵され、熱い血潮で結ばれた青春と長年つちかった絆を語り合う暇も、別れを告げる機会も持てぬまま、次つぎとこの世から立ち去って行った。
 しかし私は、この愚痴っぽい「老いの感慨」に耽っているわけには行かなかった。いま900号を数える「むらき数子情報ファイル」と一緒に見つめてきた3年間の無残な日々は、繰り返し「愚痴の感慨」を目覚めさせたが、対処すべき切迫した課題がこれを押しのけたからだ。
 
 2019年の台風19号で「避難命令」というものを始めてわがこととして体験したのが無残な日々の始まりだった。愛用するパソコンやそれを通して築いてきた多くの人びととの共有財産が水没することを覚悟して家を出て、友人宅に身を寄せた(翌朝無事に帰宅してから機材や資料を2階に移動させることになったのは幸運だったが、過酷な作業と不安がつきまとった)。

 いらい「恐怖のメニュー」が「年替わり(日替わりとは言わない)」で現れた。
新型コロナウイルスの襲来、外環道の陥没事故、発効した核兵器禁止条約への日本政府の妨害、ロシアによるウクライナ侵略戦争と中国・北朝鮮の軍事動向を口実とする「原発政策」「安全保障政策」の大転換というメニューを、正面から日々の暮らしに突き付けてきた。

三密回避・マスク着用・手洗いうがいを強いられるのはガマンできても、外出制限・会場閉鎖には悩ませられた。為政者たちは、放射能汚染にもコロナ感染にも無為無策という醜態をさらしたが、それは、長年にわたっていのち・暮らし・福祉・安全を犠牲にして効率と開発を最優先してきた「新自由主義」の脆弱性を白日のもとにさらし、内閣支持率の長期低迷を伴なって、私たちの積年の願いと主張に確信を抱かせてくれた。
しかしこの国の政府は、原発の積極推進からフクシマ汚染水の海洋投棄へ、防衛費倍増・専守防衛放棄・攻撃能力拡大からその財源確保のための税・社会保障のデジタル管理による圧縮へ、髪振り乱して暴走している。
 いま世界に浸透する戦争機運、地球沸騰化が勢いを増し、憲法九条も反戦・平和も核兵器禁止条約も炎天にさらされている。
これでは、別れも告げずに逝ってしまった人びとも浮かばれないよなあ。
わが「つるべ落としの落日」が野末に没するまでの時間はわずかでも、ジタバタと抵抗せずにいられない私である。


すっきりしない毎日  大松由紀子さん    2023.9.24

 むらきさんの情報ファイルは、その時の社会の動きに的確にコメンするとともに、様々な企画の案内を発信し続けられて900号になると知り、その地道な努力と多才さに敬意をお伝えしたいです。
この多摩地域で企画されている行事内容の案内は、参加することは少なくても、興味を持って見ているだけでも世の中の動き、市民の空気を感じることができます。
 さて新型コロナ感染症により、言葉でしか知らなかったパンデミックに向き合う生活を強いられ3年半余り。
あの時、私たち高齢者は、医療の逼迫を避けるために非常事態宣言下、ただひたすら行動を制限するしかなく、先の見えない不安なステイホームの毎日だったことを思い出します。
それが今や普通の生活に戻されつつあります。
というか感染法上の扱いが変わったというだけで、今までの規制が解かれ自己管理といわれても何となくすっきりしない毎日。
現にコロナは終息したわけではなく、今では感染者は増加傾向にあります。
いつまた変異して感染爆発の状況にならないとも限らないのではと思ってしまいます。
少なくともコロナ終息して、様々な分野での対応はどうだったのか、分析されて明らかになっていくことでこれからの生き方も見えてくるのではと今は考えています。

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「陥没」  入間川沿いのおばさん   2023.10.1

 900号おめでとうございます!
むらきさんとの出会いは15年ほど前、品川通りが国分寺崖線を貫く延伸計画として具体化の危機に立ち向かった時からです。
のほほんと緑豊かな環境を享受してきましたが、今度は2020年10月に、我が家のすぐそばで外環道工事による陥没事故が起こり、この3年はその渦に巻き込まれ、右往左往の日々を送っています。
 「情報ファイル」では何度も外環に関する情報発信をしていただき、被害住民がお届けできない広範な地域のみなさまへもお伝えくださり、そのお力添えに大変感謝しています(※)。
今の生活の中では、自身の活動で精一杯ですが、お送りいただいている「情報ファイル」を覗いて、ユーモア溢れる語り口で、世の中で起こっていることを教えていただいています。
月に2回の発行は非常にハードだと思いますので、ゆるゆるとしたペースでもお続けいただけますと、嬉しいです。

※ 外環、陥没その後(第899号 2023.9.16「むらき数子 情報ファイル」)など 

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 映画「敵の子どもたち」、コロナワクチン  加藤珠子さん  2023.10.1

 いつも情報ファイルをありがとうございます。そして900号おめでとうございます。
コロナ禍の間は、高齢者の1人としておとなしくしていましたが、それ以前は「情報ファイル」で知った講演会やデモなど、いろいろ利用させて頂きました。
「継続は力」ですね。
むらきさんの発信した情報で、多くの人が私のように行動を促されたことと思います。
護憲+掲示板にメルマガ900号をご紹介いたしました。
https://blog.goo.ne.jp/rojinto_goken
行動には責任が伴いますから、思考せずにはおられない。
そうしたことが「流されない市民」につながって行くのかなと思い、感謝しています。

仕事もリタイアした今は、私は映画鑑賞を楽しみにしています。
先日、観たドキュメンタリー映画をご紹介します。
映画の出来としてはさほどではありませんが、考えさせられました。
「敵の子どもたち」https://unitedpeople.jp/coe/

スウェーデンのある夫婦がISに加担してシリアに渡りますが、掃討作戦に会い、夫婦ともども死亡。1歳から8歳までの子ども7人が、シリアの難民キャンプに残されます。
殺された妻方の父にあたるミュージシャン、パトリシオは7人の孫をスウェーデンで育てたい。しかし政府は協力してくれない、世論も「敵の子どもたちをスウェーデンに入れるな、連れ帰るな」と厳しい声もある。しかしパトリシオは「子どもには罪はない」と 、シリアを目指すのです。

シリアでも、平和を願う声は大きいでしょう。ただ、キャンプで「お前の親は、反ISの組織に殺された」と聞いて育ったら…。子どもの柔らかな心を、平和を愛する人に育てたい、祖父としてのパトリシアの願いもそこにあったように思います。

ISについては、日本では「暴力的で狂信的なイスラム組織」という捉え方が多いと思います。私もそう思うのですが、しかし、なぜ、ISという組織が生まれたのか、なぜ彼らは力を得たのか、それを学ぶことが「平和」をもたらすためには、何が大事なのかを知る手掛かりにもなるようにも思います。

 コロナとワクチン―私は統計で判断します
私は高齢者でもあり、まだ人混みでのマスク、帰宅時のうがい手洗いは、きちんと続けています。流行してきたインフルエンザ対策にもなるでしょう。たぶん、コロナやインフルが終っても、帰宅時のうがい手洗いは、高齢者の感染予防対策として続けていくと思います。
 コロナワクチンは、コロナ感染者の死者数に対し、コロナワクチンでの死者数の割合を考えれば、コロナ感染での死者数の方がはるかに高いことが分かります。
コロナ死者数は日本全国で感染者数33,803,572人中74,694人(23年5月まで)、コロナワクチン死者数は41人と言われましたが、厳密にワクチン関係とされたのは2人と聞いています。
  https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/data-all/
  https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/vaccine/progress/
厚労省統計やNHKそのものを疑えば、話はそこで終わりますが、私はそこまでの操作をする必然性は少ないだろうと見ています。
コロナワクチンは自ら求めて接種するものですし、コロナ感染は偶発的です。人は後者は仕方がないと諦めても、自分の行為 から出た結果については激しく後悔する心理が働きますから、それを避けるために「コロナワクチンを打たない」という心理は理解できます。
  けれども、死者数の割合を考えれば、私はワクチン接種を選びます。ワクチン接種をすることは、社会的にも感染拡大防止に寄与するとも思います。
 なお、ワクチンは、感染予防にはさほど効果はないのですが、重症化は防ぐと言われています。コロナ感染をした知人は多いのですが、ほとんどの方がワクチン接種をしていて、せいぜい発熱1~2日位で済み、感染予防のために5日を休んでいます。
 私が勧めてもワクチン接種を一家でしなかった方からは、全員がコロナ感染をし、かなりの重症、ことにお1人は集中治療室となり、予後も悪く半年ほど後遺症の咳と胸苦しさが続いたと、教えて下さいました。
持病を持っていて、コロナ感染すると危険なのに、ワクチンすら打てない人もいます。そういう人を感染から守るためにも、幸いほぼ健康な私は、毎回ワクチン接種をし、社会的に感染拡大をも防ぐ方を選んできました。今、第7回のワクチン接種案内が届いていますが、当然、受けるつもりでいます。

猛暑で体が弱っていると聞きます。くれぐれもインフルやコロナにお気をつけて、無理なくお過ごしくださいませ。


略奪文化財  角井敦子さん     2023.10.1

  いつもいつも情報を送っていただきながら、失礼しております。
最近は体調を考えて遠出が少なくなっていますので、むらきさんからの情報に助けられております。
専ら足元を見つめるということで、歩く、自転車の範囲が多くなりました。
調布の「憲法ひろば」のニュース(※1)を読ませていただきました。  
東海林次男さんの話を興味深く読みました。

 数年前、満洲旅行をしたとき、東海林さんとご一緒でした。
その時にも丹念にカメラで記録に残されていた姿が印象的でした。
情報を送っていただき感謝しております。

※1  第899号 2023.9.16「むらき数子 情報ファイル」「おらあ三太だ!(666) 柔らかい犬、硬い犬」


コロナは続くよいつまでも…     猫のウメちゃんのおかーさん   2023.10.1

 コロナ禍でのマスク生活、他人と会わない喋らない、笑うことが無い生活ですっかり自他ともに認める老け顔になりました(涙)。
週一の生協のお兄さんと軽いジャブ程度の会話が唯一でしたからね。

 静かに自粛生活をしていたのに去年狭心症の再発で手術、ステントは4本目が入りました。コロナ禍での入院はPCR検査をして陰性を確認してからの入院。
手術の付き添いや面会も基本ダメ。コロナの入院でなくても家族の面会はリモートのみ。家族の付き添いや見舞いもなく寂しく亡くなられた方が沢山おられたと思います。

 運動不足で転ぶと簡単に骨折をする。
2年半前の手首骨折から今年は2度も肋骨を骨折し骨粗しょう症の病名も追加されました。
公共施設が開放されてから講演会や趣味のサークル、筋トレも再開しました。
会員さんとの会話でコロナワクチン7回目8回目をどうする?の話題が出るとちょっと困る私。
 実は3回目のワクチン接種後副反応が強く出てしまい怖くて4回目の案内が来た時に主治医に相談したら「そんなに苦しかったのであればワクチンはしないで良い」との返事をもらいました。

と、会員仲間に話すと迷っていたけど主治医に相談してみる人とか5回目で止めた人とかみんなそれぞれでした。
ワクチンはいつまでやるように言われ続けるのでしょうね。

暑い毎日、地球沸騰の時代に入ったとの事。
戦争している時代じゃないよ。と言いたいです。


コロナ禍での人権を考える     調布市 石田さん    2023.10.1

  私は2020年2月に退職し、年金生活に突入すると同時に、コロナ禍にも突入した。
 北海道の老人ホームで生活する義母とインターネット越しでの面会、息子の結婚式の延期、ささいなことでは友人の退職に当たっての慰労会の中止など様々なことが余儀なくされた。
 この3年を超えるコロナパンデミックで考えさせられたことは、人権にかかわることだ。

 私たちは「良質かつ適切な医療を通じて感染を予防する」権利がある。しかし、適切な医療どころか、後手後手の施策、逼迫する医療現場、医療従事者や感染者への誹謗中傷、持続化給付金事業などの対応(委託費をめぐる利権など)を目の当たりにしてきた。

 そのうえ、5類移行後、患者負担の軽減措置や診療報酬の特例の多くを、9月末を期限としている。経口抗ウイルス薬は公費適用がなくなると、最大3万円超の窓口負担と言われている。薬価が他の感染症の治療薬と同水準になるまで国の支援を継続すべきだ。

 5類移行にあたり、厚労大臣は「個人の選択を尊重し、国民の皆様の自主的な取組を基本とする対応に転換する」と国の責任を棚上げし、個人の責任に「転換」したのだ。

 そもそも、日本国憲法の第3章「国民の権利と義務」の25条には「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあり、「健康」が権利である。
 一人ひとりが健康に気づかいマスク生活してもコロナに感染することもある。

 夏前から感染者が増え、医療現場の逼迫の報道も増えている中、政府の具体的な施策は見られない。
厚労大臣は最近「一般的に言えば第9波が来ている」と指摘したが、医療機関と国民に注意を呼びかけるにとどまり、国民の健康に向き合っているとは言えない。そのうえで、コロナの初動対応について「デジタル化の遅れを痛感した」と述べ、医療のデジタル化を進めることを強調することは忘れなかった。

 医療のデジタル化を否定するものではないが、コロナ対応での「デジタル敗戦」を口実に、健康保険証を廃止し、任意であるマイナンバーカードに紐付けした「マイナ保険証」を強要するのは筋違いである。財界はコロナ禍以前から、民間利用が制限された住基カードの失敗からマイナンバーカードの民間利用を求め、財界の利益追求に躍起になっているにすぎない。

 保険証の廃止も健康につながる問題である。このように我が国は多くの面で人権後進国であるが、この根本は新自由主義の暴走にあると考える。

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近況報告  米田佐代子    2023.10..5

 2021年2月「おひとりさま」で暮らしてきた89歳の姉を見送りました。中学教師を務め、組合活動にも参加して、母を看取ってくれた「長女」です。再三入院を繰り返しましたが、最後はコロナで救急車を受け入れてくれるところがみつからず、「見知らぬ病院」で面会禁止のまま3日後に死を知らされたときは間に合わず、だれにも会わず遺書も書いたものも残さずに亡くなってしまったのが強烈な喪失感になってしまったのが始まりでした。
 その始末をつけたいと思っているうちに同年10月夫が半身まひで倒れ、半年入院後22年4月に「在宅介護」を選択して退院、「要介護5(今は3)」で地域ケアにゆだねているうちに22年暮れからわたしが圧迫骨折で動けなくなり要介護認定を受ける身となりました。骨折自体は半年かかってこの夏には治ったのですが、その間に体力低下で歩行困難になり、今はデイケアに通ってリハビリ中です。

 かくなる上は「大江健三郎さん(同年齢)だって老衰で亡くなったのだから老化は世の必然」と思い決め、しかし書かねばならぬ原稿を抱えて、これを書かずに死んだら「化けて出るかも」と成仏できない心境です。夏に共同通信のインタビューに応じたのが地方紙10数紙に配信され、ブログ「やまんば日記」(※)が中断していることを気にかけてくれていた方から連絡をいただいたりして、「まだ死ねない」と思いつつ9月に89歳になりました。

10月4日、「女性文化賞」(わたしが引き受けてから7回目)を発表しました。6回88歳までが目標でしたが、創設者の高良留美子さんが亡くなってしまわれたので、もうすこしと思って悪戦苦闘してきました。
ほんとうは、今年中に「平塚らいてう」評伝を1冊書くはずだったのが殆ど書けず、勝手に「後2年生きて書きたい」と決めていますが、出版社が待ってくれるか、カミサマが待ってくれるか、どちらも保証がありません。
「ウツになりそう」とかかりつけのお医者さんに訴えたら、内科なのに何でも診てくれる「名医」の先生に「あなたはやる気があるから悩むのでしょう。ウツになるとやる気がうせるのだからまだ大丈夫」とヘンな激励をされてしまいました。それで今がんばっています。

 姉についてもわずかに残っていた写真などを集め、わたしが看取りの日々をブログなどに書いたものも入れてちいさな冊子にし『私には40人の子どもがいた―平和と子どもを愛したひとりの女教師の記憶』という題をつけてせめて「生きたあかし」を遺してやろうと友人の編集者を煩わせて進行中。
でも、ほとんどわたしが書いて百数十ページになりました。これを自費出版します。

 介護保険が改悪されそうなので、せめてと思いネット署名などに応じていますが、わたしと夫がお世話になっているところはかかりつけの診療所が取り組んでいる地域医療とデイケア、そしてヘルパー派遣は提携事業所と組んで実によくやってくれています。
感謝のほかないのですが、訪問医療を含めて自己負担はバカになりません。
これ以上負担が増えたらどうしようと思う毎日です。
それでも、「死ぬまでは生きて行かねばならぬ」「モノいわねばはらふくるる」と叫んでいます。

※ 自己紹介 | 米田佐代子の「森のやまんば日記」 (wordpress.com)


女将とアルフレッド、気に入っています。  でこちゃん    2023.10..5

 900号おめでとうございます。こんなに続いているなんてすごいです。見事です。
情報ファイル参考にさせて頂いています。
かつてだったら、どんどん出かけて行ったでしょうが、今は出かけたいなー その話聞きたいなーと思いつつ、我慢しています。
やっぱり体力がなくなったのでしょうね。
でもこの情報ファイルで、あちこちでいろんな人が頑張っているんだなーというのがわかって 勇気づけられます。
それから 本の紹介もいいです。参考になります。

 「おらあ三太だ!」、女将とアルフレッドもいいですね!気に入っています。さりげないやり取りが面白い。
われもこーさんの玉ねぎスープ(※)、とてもおいしそうだったから挑戦して作ってみようと思ったのだけれども、タマネギの皮を集めるのがちょっと面倒になって諦めてしまいました。
いつかは作ってみたいと心に残っていて憧れています。

コロナは幸いなことに 今のところかからずに済んでいます。
身近な人が感染しているので油断できないなーと思っていますが、私はワクチン接種は3回で止めています。
今までインフルエンザ予防接種を一度も受けたことがなくても インフルエンザにはかからなかったので、勝手に私は大丈夫と思って コロナワクチン接種も3回で止めています。
単純に 副作用が怖いなーという理由です。

マスク着用はどちらかというと嫌いで 今年の夏の暑さには耐えられずしていませんが
これから寒くなって来たら 防寒対策にもなるのでするつもりです。
又春の花粉症対策でもするつもりです。

今年に入ってから 身近な人が突然亡くなったり病気になったりということが続き 自分も高齢者なのだと思わされることが多くなりました。
体力は確実に落ちて来ており無理がききません。
今 本格的な年寄りになる一つの壁が来ているのかなと思っています。
これを上手に乗り越えれば元気な年寄りになれるのではないかなと思っています。

「むらき数子 情報ファイル」はその意味でも 元気な高齢者になる良い刺激です。
むらきさん これからもよろしくね!

(658)玉ねぎスープ おらぁ三太だ24 (murakifile.noor.jp)


 ただいま、発熱中  海辺のうづら    2023.10.5

 海辺のうづら、
ただいま、熱を出してます。
コロナ?インフルエンザ?
膀胱炎?気管支炎?
わかんないですが、
コロナは、検査キットで、検査してもらったら、違いました。念のため、薬局で検査キット買ったら、2000円....
たかい…

 ところで、今中哲二先生が、東京新聞に意見を載せました。9月7日の夕刊。
簡単にいうと、“処理水は、放出しないで、もっと大きなタンクで、貯留するか、固化するべきだ。場所なら、福島第二原発のそばがある。時間がたてば、放射能は低くなるのだから。“
というもの。
今中先生は、『自分と子どもを放射能から守るには』(※)という本が日本で出版されたとき、監修をやった人。
あのときだよ、2011年。9月に、この本が出ている。
チェルノブイリからの、料理や生活のアドバイスだった。
(正確には、ベラルーシの、ベルラド放射能安全研究所。そこの、ウラジーミル・パベンコが書いた)
これがいい本なの。海の魚、また、塩水に切り身を漬けて、料理するのが。

※ 『自分と子どもを放射能から守るには:今日からできる! キッチンでできる! チェルノブイリからのアドバイス:日本語版特別編集』
    ウラジミール・バベンコ、ベルラド放射能安全研究所著、辰巳雅子訳、今中哲二監修、世界文化社、2011年9月。

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井上昭子さん        2023.10.10

 900号って、凄いことですよね?
あちこちで活動している人達の情報を拾って関心の有る人達に報せるって。その発想がすばらしいです。
そのお陰でお気楽主婦だった私がモヤモヤを吐き出したり、同じように考えている人達がこんなに居るんだと力付けられたりしました。
 『アベ政治を許さない!』と怒ったあの頃より岸田政治は悪質です。これもコロナ禍ではないかと。
街に出て反対したり集会に出かける習慣が多くの人からなくなったのも要因の一つかも。
朝から晩までウクライナの惨状を見せられ、北朝鮮のミサイル発射が相次ぎ台湾有事があれば共に闘うなどと口走るなど、世間は軍備止む無しのムードに
政府はひたすら欧米の仲間入りに励み、当事者ではない朝鮮戦争の最前線に成らざるを得ない法整備までしたり、もうめちゃめちゃ!
気候変動は引き返せない時点まで来ているのに対応策が原発だと。もうめちゃめちゃ!
言い出せば切りがないほどで怒り狂って、ついにもうあかんわと。無力感で一杯。
 グランドゴルフで足を鍛え、ここぞという時に、またデモに参加したいと思ったりしてます。
むらきさんこれからも宜しくね。感謝してます。


茨城県境町から コロナ禍の私     内海和子さん     2023.10.10

900号おめでとうございます。こんなに長く続けている、むらきさんの心意気に脱帽です。私のようなナマケモノには到底できないことです。
本当におめでとうございます。
そしてまだまだ、私より若いあなたですので、続けていかれることを祈っています。
人生100年時代ですからね!十分に可能です!
でもお互い年齢を重ねていますから、無理せずにですよ!

 2020年の1月ごろから中国をはじめ世界各地でコロナウイルスが現れ、あっという間にパンデミックになってしまったと思います。
 その頃私は自分の体験記の執筆に忙しく、2020年の夏には編集作業に追われていました。
 長年の友人である宮崎黎子さんに東京の梨の木舎を紹介され、二人で社長の羽田ゆみ子さんにお会いしたり、我が家で3人で協議しながら編集したり、とマスクをしながらの会話ながら、結構充実した時間を過ごしていました。
 そして2021年の3月に『ラブコールさかい 女に議員はムリですか?』(※)を刊行することができたのです。

 なのでコロナもそれほど脅威と感じていなかったのですが、町からのコロナ対策で、2021年5月に第1回のワクチンを受け、以後現在に至るまで、なんと6回もワクチンを受けました。
 そして今はまた7回目のワクチンが予定されています。
 友人の中には受けていない方もいますが、私は高齢者となっていますので、拒否する勇気はありません。後遺症が結構大変ということで、夫と二人で、仲良く受けている次第です。本当にいつまで続くことやら・・・・。

 現在町では恒例の花火大会が終わった直後で、コロナが少し増えていると聞きます。
 昨年も花火後に増えていましたので、やっぱりという感じです。ですので、いまだに病院はもちろん、スーパーへの買い物でもマスクと消毒は欠かせません。

 これがこの時代の日常ということでしょうか。

 残念なことに、編集に協力くださった宮崎さんが2021年6月30日に急逝されてしまいました。大変お世話になりながらお電話でのお礼のみで、多くを語らずじまいになってしまいました。
 何も語れず心の中に寂しさをしまい込んでしまったこの2年間は私自身の生きる気力もなくしてしまった時間でもありました。
 それでも生きていかなくてはならないということに、今、改めて向かい合っている私です。
 「むらき数子 情報ファイル」はこんな私にいつも何かを教えてくれます。900号を超えて、生きるエネルギーをこれからも私に送ってください。

※「内海和子『ラブコールさかい 女に議員はムリですか?―境町初の女性議員の体験をあなたにつなぐ』梨の木舎、2021.3.15 


ワクチンとマスク    ハクション大魔王   2023.10.10

 母と叔母、二人の世話で家をあける時が多い日々、返信が思うようにできない状態がありますが、お許し下さい。
考えてみたら、むらきさんと、長~く会っていないな~ 
「情報ファイル」のおかげで お会いしているような?思いが、いつもあります。
いつも情報 活用させて頂いています。

 コロナ対策?は
マスク、手洗い、うがいを、しっかりしながら普通に生活しています。
施設にいる母とは、私がワクチン接種していないので、直接会うことは、できない状態が続いています。
(入室はワクチン接種が条件だそうです。)

 ワクチンの事
私はアレルギー体質もあったりで、ワクチンに疑い等々感じ、接種はしていません。
全身麻酔薬(42歳時)の事故にあってからは、薬に対して敏感になった私がいます。
ワクチン接種できない、したくない私は
感染源(コロナ)になって他人に感染させてしまったら、イヤだし
反対に 私自身が 感染したくないってことで、マスク着用しています。
友人たちが不安じゃない?等々言ってますが、「コロナお断りと体中で表現している」と
言うと、「強いね」等々言われています。
私は外出時は、バッチリマスク着用しています。
合唱練習時、全員マスク着用でやっています。
(口をパクパク開けて歌うので、マスク着用で歌うのは疲れますが 安心を覚えます。)
今年の猛暑には、マスク着用は、少々疲れましたが・・・。

 私は花粉症なので、例年は、花粉飛散時期 二月から五月連休のころまでは、抗アレルギー剤を服用し、マスク着用していましたが、コロナ感染が始まり、外出時は年中マスク着用しています。
コロナ以前はマスク着用していることを「花粉症なのですみません」など、言った時もあったかな?と思いますが、最近は、人前でマスク着用が失礼とは思われない状況を感じます。
むしろ、電車の中で、マスクなして咳き込んだりする人に対し、睨みつけるような事をする人に出会うことは、時々あります。
今はインフルエンザ、コロナと流行しているようで、ホームではマスク着用していない人が、乗車と同時に着用する姿をよく見かけます。
コロナ流行、初期のころは同調圧力のような感じもありましたが、最近はそんな感じは、ないような気がします。
特に最近は、皆バッチリマスクしているような感じが増えてきたような気がします。
  この秋は、ブタクサ花粉の飛散が、ひどいかな?ってな日々です。


「脱原発・放射能汚染を考える」No300が出来ました
    脱                      原発・放射能汚染を考える北摂の会(永島昇)    2023.10.10

2011年の福島原発事故から2ヶ月後の5月14日に2号を発行してから、今号で300号となりました。 
hokusetsu299.pdf (npg.boo.jp)
月に2回、入院した時もなんとか発行してきました。
残念ながら全原発の廃炉にはまだまだ月日がかかりそうですが、力の限り頑張りたいと思います。
続けてこられたのは、皆さんのご協力と激励のおかげです。今後ともよろしくご支援をお願いいたします。

季節もよくなり、関西でも多くの集会や行動が提起されています。
9日までの連休中だけで7つの集会に参加しました。
多くの友人とお会いし、楽しい時間を共有して元気をいただきました。
また若い学生たちが参加してくれているのに激励されました。

10月、11月と反原発、汚染水放出反対、反戦・平和と護憲,そして辺野古新基地反対、沖縄での戦争準備反対の闘いなどが提起されています。

新型コロナが再拡大しています。用心して人の多い所ではマスクを使用し、外出から戻れば手洗いを励行しましょう。
お体を大切に。

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情報ファイルいつもありがとう!  「川口さん」    2023.10.16

 情報ファイル900号すごいです。
 長く続けられていらっしゃること、頭が下がります。
 私は、ただ読むだけですが、つながりを感じます。
 ありがとうございます。
 ご苦労が多いと思いますが、無理せず続けて欲しいです。


草野好文さん   2023.10.16

大変ご無沙汰しています。
 まずは「情報ファイル」900号達成、おめでとうございます。
 この間の私の癌との共生とコロナ関連生活の一端をご報告させてください。

 私は5年前の2018年年末に食道がんを発症し手術を受けましたが、食道切除手術の途中で癌の浸潤がひどいことが判明、他の臓器への影響を考慮して手術を中断せざるを得なかったのでした。(この段階でステージ3と診断されていた癌はステージ4となったのでした。)
 以来、外科手術を中断した後は抗癌剤と放射線治療によって小康状態となりましたが、毎年のように食道がんの再発、咽頭への転移もあり、その度に入院・手術を繰り返してきました。
しかし幸運にも、この5年間生きながらえ、なんとか日常生活を送ることができています。むらきさん始め、長年の友人知人たちには今後は年賀状も出しません、永い間ありがとうございました、とのお別れのご挨拶も出したのでしたが…。

 そうした癌との共生の最中に、コロナパンディミックが起こったのでした。
 当初は新型コロナウィルスが強毒性だったのでしょうか、有名人のコロナ死などもあり、とりわけ基礎疾患のある高齢者は危険とされたものですから、ようやく癌と共生して生きながらえているのに、コロナに感染して死ぬことになるのか…、と思ったものでした。
 そんなわけでしたから、マスクはもちろん付けましたし(5類移行後ははずしています)、ワクチンも4回も打ちました。
 しかし、癌患者としては大勢の患者が集まる病院への通院をやめるわけにはいきません。電車やバスにも乗らないわけにはいきません。感染は避けられないものと腹をくくりました。が、これも運がよかったのか感染せず、はたまた感染はしたが発症しなかったのか(多分、コロナ初期に軽い風邪症状がありましたから感染したが無症状だったのでは、と思っています。)、無事にコロナ禍を乗り切ったと思っていました。

 ところが5類移行目前の今春3月末、異変が起こったのでした。
 朝方、咳とともに微熱ながら発熱、コロナ感染を疑い用意してあった簡易検査キットで調べたところ陰性。一安心したのですが翌日38℃に上昇、頭痛もあり、近くの小さな発熱外来クリニックを受診。PCR検査の結果陰性との判定。クリニックの医師は陰性にもかかわらず発熱があることから、老人性の肺疾患を懸念、大きい病院で胸のレントゲン検査を受けるよう紹介状を書いてくださったのです。
 翌日、熱は37度台の微熱に下がったが、早速、紹介状を持って大きな病院を受診。受付で紹介状を提出するとともに発熱があることを告げると、通常の受付窓口から発熱外来の受付に回され、またしてもPCR検査をすると言う。町のクリニックで検査の結果陰性と判定されたばかりで、念のため胸のレントゲン検査を受けるよう紹介状まで持ってきたのだから検査の必要ないと断ったのだが聞き入れてもらえず。再度のPCR検査の結果、なんと、コロナ陽性の判定。診察した医師にレントゲンを撮って欲しいと言ったが、発熱はコロナのせいで、微熱でもあるからレントゲンの必要なしと言い渡され、そのままコロナ感染者として病院の一室に隔離され、専用のタクシーで自宅に送り返され、自宅療養者として「神奈川県療養サポート」機関によるオンライン体調確認観察下に置かれたのでした。

 この時期、自宅療養期間は5日間とされており、毎朝体温とパルスオキシメーターの数値を報告。5日目の4月5日には「療養サポート」機関から「本日が自宅療養最終日となります」とのメールが届き、在宅解除となったのですが、この間も平熱に近い微熱が取れず、10日経ってもこの症状が続いたため、あらためて前述の同じ大きな病院を受診。担当医師にレントゲンを撮ってくださいと要請。
結果はなんと肺に膿が溜まっているとのこと。即刻入院を宣告され、自宅に帰って入院の準備もできないまま、10日間もの入院・治療となったのでした。治療は一日3回の点滴による抗生物質の投与と飲み薬。1週間の投与の結果ようやく危機を脱したのでした。
 病名は老人に多い、肺に細菌が入って化膿する「肺化膿症」とのこと。町のクリニックの医師の懸念が正しかったのでした。しかし大きな病院の医師はコロナ感染が誘因となって「肺化膿症」を発症したとの見解でした。症例も多くあるとのことでした。

 しかし私としては、同居している家族(妻と息子)はコロナを発症していないこと(妻は一度もワクチンを打っていない)、一緒に呑み会をやった友人4人も誰一人発症していないこと、簡易検査キットでの陰性、町のクリニックでのPCR検査結果陰性という結果を踏まえれば、大きな病院のPCR検査結果が偽陽性だったのではないか、との疑念はぬぐえません。
それに何より、レントゲン撮影をするべきとの紹介状をもって受診したのですから、たとえPCR検査で陽性判定が出たとしても、胸のレントゲン検査は不可欠だったはずです。当時、すでに肺化膿症は進行していたにも関わらず、長期の「自宅療養」によって症状の悪化をもたらし、危うく命を落とすところでした。

 以上、これがコロナ関連異変の顛末でした。

 私は今回の新型コロナパンディミックにおいて、前述しましたように高齢かつ基礎疾患を持つ身として、マスク着用を継続し、ワクチンを4回も接種しました。しかし今回の新しい遺伝子型のメッセンジャーワクチン(mRNAワクチン)は危ないのではないか、との疑念を持っていないわけではありませんでした。少なくとも健康な人や子ども幼児たちにはこのワクチンを投与すべきではない、という見方をしていました。
 しかし、政府を先頭に医療界・医師たちは接種を義務であるかのように推奨していました。私は疑念を持ちつつも、高齢基礎疾患の持ち主として、世界中でこの新ワクチンを投与しほとんどの医学者が推奨しているのだから、まさか一部の人々が主張しているような危険ワクチンであるはずがない、との判断で4回ものワクチンを接種したのでした。幸い私の場合、4回とも副作用もなく腕の筋肉痛程度でした。

 ところが、その後、この全く新しいワクチンの危険性を示すデータや世界のワクチン投与の実態などの情報を得て、当初、私が抱いていた疑念が的外れなものではなかった、との認識に至りました。
 というわけで、私はこの新型ワクチンを4回も接種したのですが、5回目の案内状がきても接種をしない選択をしたのでした。自分がこのような選択をした以上、家族にも友人たちにもそれとなくワクチンの危険性を訴えているのですが、あまり聞き入れてもらえません。私も自ら4回も接種した身として、強くは主張していないのですが…。



マスクの功罪   S.C.(東京都)    2023.10.25

情報ファイル900号達成!地道な情報発信は、まさに世相の貴重な記録ですね。
2020年春に寄稿させていただいた拙文「娘の臨月を迎えて」(※)を改めて読み返してみても、当時の自分の心情がありありと蘇ります。
あれから3年、娘はお陰様で無事第二子を出産し、今は育児と仕事に追われる日々ですが、日本では未だに半数以上の人がマスクをしているように思われます。

今、コロナを振り返って感じるのは「マスクの功罪」。
特に言葉を覚える時期の幼い子供、そして認知症のお年寄りにとっては、顔の表情はコミュニケーションの重要な要素で、笑顔をつくる口の動きによって安心感を得つつ、言葉の意味を理解する助けになります。
3歳になった孫は今では急におしゃべりになってきたものの、何らか影響はあったと思いますし、何より、介護施設で認知症の義母と面会する時に、こちらの表情が伝わらないもどかしさを私はいつも感じていました。感染予防の名のもとに犠牲にしているものも確かにあると思います。

むらきさんは私が関わっている活動をいつもさりげなく強力にサポートしてくださっているのですが、取り分け感謝していることがあります。
それはむらきさんのライフワークである出産や育児に関する調査レポートを読ませていただいて、私自身の出産のわだかまりに気づいたこと、それをきっかけに娘が自ら助産院を選択して納得いく出産を経験できたことです。
これからもさまざまご教示よろしくお願いします!


「危機」は続く      西尾嘉美    2023.10.25

 2020年に投稿した「『不要不急』と言われた職場にて」(※)では、コロナの緊急事態宣言下での博物館等での対応と、博物館を取り巻く状況について記しました。
その最後で、近年、国家戦略で「文化財で稼ぐ」ということが大きく取り上げられるようになり、稼ぐということからは遠い存在の博物館のおかれている状況は厳しく、『博物館と文化財の危機』(岩城卓二・高木博志編、人文書院、2020年2月)という本のタイトル通り、博物館と文化財の危機がコロナで一層早まったように思うとご紹介しました。
 今回は、その後の博物館や文化財を取り巻く状況の一端をご紹介します

 2020年3月から始まった「不要不急」の施設の休館は、5月に一旦終了しましたが、施設により開館状況はさまざまでした。
勤務先の資料館では、開館時間は従来通りですが、館内に職員が常駐し、来館者には氏名・連絡先、発熱等の身体状況、来館直前の立ち寄り先を記す「来館者カード」を記入してもらいました。カードには個人情報が入っていますので、ロッカーなどの施錠できる保管場所を用意し、厳重な管理が求められました。
 また、非接触体温測定器を急遽購入し、手指の消毒剤も設置しました。
それまで、施設管理の清掃担当の方が展示ケースなどの掃除をしてくださっていたので、職員が日々の清掃をすることはありませんでしたが、再開館後は毎日職員総出で、展示室・事務室の清掃・消毒をしました。
 来館者カードの記入は1年余り続け、清掃・消毒作業は毎日から週2回に緩和しながらも、コロナ感染が5類へ移行した現在でも続いています。
 こうした作業も、主要な展示室が1室という小規模館だからこそできたことで、大型館は大変だったと思います。

 資料調査などの対外的な業務は、ほとんどできませんでした。出かけるのは市内限定、個人宅はNG。個人的な外出も東京や大阪などの感染集中地域へ行くこと、泊りがけで出かけることもはばかられました。
 業務として出かけ、地域の方と出会うことは、感染に注意しながら少しずつ続けていましたが、再開館すれば元通り~というのは夢物語で、「自粛」という金縛りにあっていました。
 折しも、市内の民俗芸能(獅子舞・盆踊りなど)の調査が予定されていましたが、行事そのものが相次いで中止になり、まともな調査ができませんでした。
 感染を理由に中止になったのは、全国の大半の民俗行事に及びました。
 実は、この状況が民俗行事そのものへ深刻な影響を与えました。

 2021年4月に、文化財保護法が改正され、日本の衣食住・生業・信仰・年中行事等に関する風俗習慣、民俗芸能などの無形の民俗文化財を保存・活用のための措置として「文化財登録原簿」に登録するという制度が設けられました。
 これは、ユネスコの無形文化遺産に「山・鉾・屋台行事」(2016年)、「伝統建築工匠の技」(2020年)などが登録され、日本の民俗文化に関心を高めたいという気運に反して、コロナの感染拡大を理由・契機に中止・廃絶する行事が続出し、保存・活用の意義を高める意図もあって、登録制度が創設されました。
 国・文化庁もかなりの危機感をもって対応したのですが、現場の混乱はもっと生々しかったです。

 ここ何年も、伝承者・担い手の高齢化、後継者不足、材料等の入手困難などで中止・休止・廃絶を検討しながらも、地域の方々の努力で続けてこられた民俗行事が、まずは自粛の名のもとに2020年は中止し、2021年も中止し、2022年も復活できず…そのまま休止になるか、止めてしまう行事が続出しています。
 長年続けてきたことだし、2年や3年の中止なら簡単に復活できるだろうと思われるでしょう。
 たとえば、京都の祇園祭などの山・鉾や屋台は、組み立てや飾りつけ、曳行のスピードや曲がり角の調整の呼吸を合わせることなど、続けてきたからこそできたことができなくなるのです。昨年の屋台・ダンジリの曳行などでは、横転などの事故が多発し、死者も出ました。3年ぶり~などで曳き手の気合が空回りしたこともあるでしょうが、阿吽の呼吸でこなしたスピード調整などが不十分で、事故を起こしてしまったことは否定できません。
 そこまで大きな行事でなくても、地域の伝統的な行事(伊勢講など)も中止・廃絶に追い込まれました。伝統的な供物(餅などの飾り物など)の用意が大変になっていて、いずれは、いつかは、簡略化したい、取り止めたいが、地域全体で関わっているので「止めよう」という声を上げにくく、なんとか続けていたけど、「コロナだし、感染が心配だし…」という強力な口実が出現し、中止・廃絶を決定づけたのです。

 これまでも、民俗行事等では伝承の危機がありました。大きなものでは第二次世界大戦です。戦時中を理由に休止・廃止になった場合もありますが、主要な担い手が出征・戦死し戦後に復活でき なかった例や伝承ができなかった例もありました。さらに戦後の復興期は忙しさから伝統を顧みる余裕がない、経済活動の変化(専業農家の減少、勤め人の急増など)、家族構成の変化(核家族化、少子化)など、複合的な要因で伝統的な行事は衰退しました。
 そんな中でも、辛うじて伝承してきた地域の行事の息の根を止めたと言えると思います。
現在編さんに関わっている自治体史の民俗編では、6年ほどかけて地域内の民俗行事・伝承の調査をし、執筆する予定でした。これまでの自治体史では、伝統的な行事・伝承を主に、地域的な歴史・特色について詳しく触れ、現代の様相は深くは触れないのが通例ですが、コロナという特異な時代に編さんすることから、コロナ前の伝統的な民俗行事・伝承と、それがコロナでどういった影響を受けた(中止・休止・廃絶)かも記録しようと考えています。
 歴史的にさかのぼれば、戦乱や天災、この度のような疫病流行を経験してきています。その経験を踏まえて、営々と民俗行事が継承されてきています。

「コロナで大変だった」と嘆くだけでなく、次の時代へ、その嘆きも含めて記録していくことも必要だと考えています。

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コロナ禍は収束したけれど  スーシー・オング(インドネシア大学)   2023.11.4   

 インドネシアでは2020年3月に政府が新型コロナウイルス感染症緊急事態を宣言し、日本で言う三密の回避を呼びかけ、その結果、多くの人々がビジネスチャンスや生計を失った。
  政府は生命・健康第一を呼びかけ、失職・事業が倒産した人々に補償金をばら撒いたが、焼け石に水をかけるようなものだった。
  生活に途方にくれ、しかも金融に関する知識が乏しい人々に付け込んで、法外な利息をつけてのオンライン闇金融が横行している。

 2022年12月、ジャカルタ近郊の名門農科大学で、百数十人の大学生が集団でオンライン闇金融の被害を受けた。マスコミの報道によると、学生たちはとあるプロジェクトに投資すれば高い 利潤が保証され、その投資のための資金をオンラインの貸し金業者に申し込んで融資してもらう、といううまい話を持ちかけられ、まんまと嵌められた。
 2023年8月、今度もやはりジャカルタ近郊にある国立名門総合大学の一年生がキャンパス付近にある下宿先で惨殺され、ノートパソコンと携帯電話が奪われた事件が起きた。遺体が発見されてから数時間後、犯人が割り出され逮捕された。なんと被害者と同じ学科の先輩(四年生)であり、つまり知り合いであった。逮捕後の取調べによると、犯人も被害者も仮想通貨に投資したが、犯人は大損をし、損失額を取り戻すためにオンライン消費者金融に借金して再度投資したが、損失額が膨大になった。一方、被害者のほうは幸運に恵まれ、仮想通貨投資に儲かったようだ。被害者は自分が儲かったことを吹聴し、犯人はそれを聞いて妬みを覚え、殺意が湧いたと噂されている。

 上記の二つの事件に関し、警察が捜査や犯人の取り調べのみがマスコミに報道され、教育を担当する官庁の官僚や被害者が在籍している大学側は一切コメントなし。キャンパス外の、しかも大学教育と関係のない活動は全て学生たちの自己責任である、と見ているからだろう。
 まず、金融商品詐欺事件は確かにコロナ禍以前も発生していたが、コロナ禍によって業者が一層攻勢を強め、且つ、現金を簡単に入手したいが金融商品に関する知識が乏しい若者も増え、大きな社会問題となった。

 教育機関は自分の学生を守るために、金融に関する知識や注意事項などを周知させるべきではないか。なぜならば、金融に関する知識はいまや学問・学位と同様に、現代社会を生きていくために必要不可欠の知識となった。詐欺の被害を未然に防止するのは、警察の仕事ではなく、教育機関の仕事である。

 更に、上記の殺人事件の背景には、もう一つ、「コロナ禍関連」の事情がある。即ち、経済の低迷化と就職難により、教育省が「開放されたキャンパス」というスローガンを打ち出し、諸大学も積極的に適用している。どういうことかというと、学生は大学在学中に例えば一年間キャンパスを離れて、会社などにインターンや就労し、経験を積んで卒業後はすぐに就職できるようにすべきである、ということである。また、就職できない場合に備えて、自分でビジネスを起こすことは大いに推奨されている。そのビジネスとは、金融投資も含まれている。ようするに、稼げる者は偉い、という風潮となっている。

 確かに大学で社会に出てから全く役に立たない、あるいは時代遅れの知識を学生たちに詰め込むという従来のカリキュラムは反省・改定すべきであると思う。しかし、就職率を重視するあまり、いわば「学問・知識不要論」に陥り、様々なことを学んで思考力や判断力を高めることも不必要とされたら、今後ますます複雑化する社会を若者たちはいかに生きていくべきか。全てが自己責任にすることはあまりには残酷だ。

※1 「インドネシアの大学で スーシー
     http://murakifile.noor.jp/m4/kinkyu.html#su-si
     http://murakifile.noor.jp/m4/kinkyu.html#su-si2
※2 インドネシアのオンライン闇金融と被害については日本の学者も書いています。
    ご参照ください。(スーシー) ⇒ https://www.jakartashimbun.com/free/detail/57351.html 

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原 幸子さん    2023.11.4

 『むらき数子 情報ファイル』には、いつも、こんなにも沢山の草の根の活動があるんだと、勇気づけられています。
私は1941年に生まれ、1960年に大学生になって、右も左も解らないまま安保闘争のデモに参加して現在は、戦争しないと決めた憲法九条を護るため、地域の「九条の会」で活動しています。
記憶力も足腰も老化した上に、一人暮らしの姉のサポートも必要になりましたが、
野党共闘で頑張って、戦争しない政権をつくるために、最後まで?頑張りたいものです。


コロナ感染は、私に何をもたらしたのか?  となりのおばちゃん    2023.11.4

 コロナ感染は、私に何をもたらしたのか?どこを切り口に考えていこうか。
2020年のコロナが何者かまだわからず、怯えて世界中が家の中に引きこもった頃、こんなことが現実に起きるのかと、驚きの連続だった。
私の家の前の道路は、それまで毎朝渋滞が起きていたのに、車の台数が目に見えて減り、渋滞が起きることは全くなくなった。
 目の前で、奇跡が起きていると感じる毎日だった。
友だちから教わり手作りマスクを作り、時折行く喫茶店に入ると、話したことのなかった店の人とマスク談義が始まった。
家から出る回数はめっきり減り、健康が気になり、今までになく少し遠くまで散歩がてら足を延ばすと、同じようにジョギングや歩きに励んだり楽しんだりする人々に多く出会った。
 スーパーや病院、学校や保育園、役所など人と対面する仕事についている方々、感染という人の接触が発症の原因でありながら、そういう現場で働かざるを得ない人々に、私たちの生活がいかに支えられているかを再認識させられた。
仕事に優劣はない。どんな仕事も社会を支えていると。通勤で混んだ電車に乗らざるを得ない人々にも感謝。

 市民の活動がぽつぽつと開始されたころ、ある集会で年配の方が、「こうしてみなさんのいる場所に出てこられてうれしい。」と発言されていたのが印象的でした。人と会うこと話すことに焦がれていたのでしょう。会える時は煩わしいと思うことがあるが、人と会うこと話すことを欲するのだなと改めて思った。
感染が広がり始めたころ、コロナの検査薬が不足したり、保健所等の連絡がなかなかつながらなかったり、病院にかかれなかったりと、コロナ対応の遅れや対応する病院の不足などが露見していった。
 これが本当の日本の姿かと、私の日本政府への信頼が大きく揺らいだ。この国は、国民ひとりひとりの命を守ろうとする国なのかという疑問だ。国民のひとりひとりは、この最悪の状況の中、それぞれの持ち場で、暮らしの安定に尽くし努力しているが、政府はこの国難から国民を救うべく最善を尽くしていたか。
 私のこの疑問は、まだまだ暗いトンネルの中にいる。トンネルから抜け出すために、あるいは解明するために、さらにもがき続けるしかない。

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山梨のジンさん     2023.11.16

   ただひたすら「継続は力なり」の意味を教えられております。
このような通信があると、どこかで誰かとつながっているのだと、独居老人の孤立感が癒やされます。
ほんとうにありがとうございます。
ところでコロナ下で一番いやだったことは、リモートの普及です。
足を運ばず、パソコン画面で話す。
便利ですが、人と接することを遠ざけているようで、ますます世間や社会が私と関係のない世界のようになってしまった感がすることです。
それに付随して、人と接し話を聞く民俗学がますます衰退していくことが悲しいです。
ということでむらきさんと出会った「古々路の会」のような人を集める民俗研究会が延命することを願っております。
むらきさん「古々路の会」も「むらき数子 情報ファイル」同様に大切にしてください。

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情報ファイル900号に寄せて 近況報告  吉田哲四郎さん    2023.11.16

これまでも大台替わりはありましたが、正直、はや900号かという感があります。
ここまでの数子さんのご尽力にはただ感謝のほかありません。まだまだ行動力も旺盛であちこちにお出かけになったご報告を拝読すると感心するばかりです。
記事では「おらあ三太だ」が三太世代の私には懐かしくおかあの本音もわかって楽しく読んでいます。いつまでも続きますよう健康に気を付けてください。

 さて、大変ご無沙汰ばかりしていて申し訳ありません。
私はもう終活モードに入っています。
身体的には心疾患、腰痛などが持病として通奏低音のごとくあったのですが、この10年来は耳の不調にも悩まされていてうん十万とする補聴器を作り、調整に調整を重ねてもらったのですが、人の声は耳まできちんと届いていても、その意味を正しく聞き取れなくなってしまいました。聴力情報処理障害というのだそうで、裁判の傍聴、集会・学習会・デモ、どこに行っても周りの反応に同期することができなくなりました。
 勤めていた会社を定年退職後続けていた平和遺族会の活動は他県の仲間の会が高齢化で活動を中止しても、自分の属する遺族会は健康が許す限り続けようと会員と励ましあっていたのですが、新型コロナで活動キャンセルが続く中で遂に昨年12月最終的に活動を中止しました。それと前後して自分が原告の裁判にも傍聴に行かずその他の行動は不参加の状態で、会費やカンパの支払いをするだけとなりました。
 日常は週一回の鍼治療で歩く力を何とか保ちその他の病院通いと、月に一回、会員となっている交響楽団の演奏会に出かけるのが家の外に出る機会となりました。
ただ、目だけはまだ生きているので社会への関心を閉ざしてはいません。新聞2紙を購読し、これは黙っておれないと思ったときにはたまに投稿をしています。
 また市民運動には無関係ですが、学生時代いたサークルの同期会の幹事も20年来続けていて、11月には4年ぶりの会合を計画しています。この仲間からバラの苗をもらい狭い家の周りでささやかに花を咲かせるのが楽しみとなっています
 私の生まれ育ったのは四国愛媛の南の果てで政治的には超保守の土地柄。
子供心にもこんな社会ではだめだけれど自分たちが大人になったら世の中変わっていくだろうと思っていましたが、日本の戦後の歴史はそんなに甘くありませんでした。
教職員の勤務評定が始まったのは愛媛県が最初で、父の戦死により10代で代用教員になり教員をしていた兄と姉が日教組からの脱退を強要されたのを身近に見ていましたので、私の反権力志向はこの頃出来上がってきたのかと思います。
馬鹿正直・頑固な性格は私を含めきょうだいに共通しているようです。と言う訳で老いようが、病気になろうが反権力志向は死ぬまで変わらないと思っています。市民のみんなとの共同行動には残念ながら参加できませんが…。
 戦後の自民政権は憲法を変えて戦争をできる国にすることを最大の目標としていましたが、安倍政権以来それが加速していよいよ憲法など無視しても戦争をやろうとしています。
これも有権者が許していることなので、どうしようもないと半分諦めていますが、私が生きている間は何としてもこの流れをくい止められたらと願っています。


 終わるどころか、悪夢のロング・コビット  A.Y.(東京都)(※1,2)   2023.11.28

友人から望年会の誘いがきました。
私もそろそろやりたいなぁと思っていたところですが、12月15日迄のシフトは締切終わってしまいました。調整試みてみます。
職員で1人二回目のコロナに罹り、半月経っても復帰できてません、咳をしだしたら止まらない、だるくてだるくて動けないということです。
この方はコロナとインフルAの同時感染でした、ある番組で見たコロナ後遺症の報道で、アメリカではロング・コビット(※3)と言うそうです。
この言葉の方が説明がつく気がします。
皆様も気を抜かずお気をつけてお過ごし下さい。
私は昨年末から正月にかけてコロナでしたので、今年末と正月は美味い酒でも飲みたいと思ってます。仕事あるけどね…

※1 「医療を支える毎日  A.Y.(東京都)」
※2 「コロナによる悪夢の勤務はまだまだ続く―A.Y.(東京都)」
※3 新ット」は軽症者でも長期化 | メディアスホールディングス株式会社 (medius.co.jp)型コロナの後遺症「ロング・コビ

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muraki kazuko