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<その25>
(688) 黒猫の仕事その2
(689) 黒猫の仕事その3
(690) 黒猫の仕事その4
(691) 農繁期託児所
(692) スズメバチ、みたび
(693) 犬を飼っている人は…
(694) 農繁期託児所その2
(695) 酷暑見舞―山の上・植物篇
(696) 酷暑見舞―山の上・動物篇
(697) 農繁期託児所その3
(698) 農繁期託児所その4 モンペ
(699) 農繁期託児所その5 モンペ讃歌
(700) 農繁期託児所その6 きもの文化検定
(701) 農繁期託児所その7 学校で何縫った?
(702)「光る君へ」
(703) 久々の魔女集会」
(704) ヤク
(705) 薬漬け
(706) 給食のおにいさん
(707) 給食―パンか米か―
(708) 完全給食」
(709) (709) 給食のおねえさん
(710) (710) 給食のおじさん




(710) 給食のおじさん

アルフレッド―
女将さん、トンデモ年越しでしたね。

三太―
年末から住所録が読み出せない、って…
長年使ってきたパソコンが、とうとうパンクしちゃったんだ。
プリンターまでおかしくなっちゃった。
年賀はがきを誰に書いて誰に書いてないか、わかんない、って、大混乱に陥った。
「情報ファイル」の読者さんには、メールでごあいさつしたものの…

おかあ(=女将)―
賀状を「卒業」するつもりはなかったし、郵便料金が値上げされたからって「廃止」するつもりもなかったんだけど。
この1、2年、身辺の道具類あれこれが劣化著しい。
使う本人の劣化も著しい、指がキータッチを度忘れしちゃったり。
リタイアしろって、天の声なのかなァ…

アルフレッド―
女将さんの落ち込みを見かねて、おとうさんが、正月いっぱいかけて、環境修復に取り組んでくれました。
機械オンチの女将さんがメールで発信できるのも、「むらきペデイア」を使えるのも、
すべて、おとうさんの後方支援のおかげです。

おかあ(=女将)―
深く感謝しています。
新しいパソコンに慣れようと、いっしょうけんめい努力しています。

アルフレッド―
ところで、「給食のおにいさん」「給食のおねえさん」「給食のおばさん」のことは聞きましたが、「給食のおじさん」はいないのですか?

女将―
いました、います。
日野市では(※1)、1948年=昭和23年に週3回のおかず給食を始めた小学校では、先生たちがカマド作りから
調理当番までやったんですって。
保護者の奉仕とPTA雇用のパート2人が来て「調理当番から開放されました」って、男の先生が回想してる。
1977年、昭和52年に「初めて男子調理員2名を採用」したけど、トイレ・更衣室等不十分だったって。
1988年、給食を一番楽しみにしていた男子児童の一人が、作る側「給食のおにいさん」になった、
今頃は「給食のおじさん」になってるでしょうね、「給食のおじいさん」かな。

三太―
去年夏に、おらんちの郵便受けに「小学校での給食調理補助 大募集」ってパート求人のチラシが入ってた。
性別は書いてなかった。

おかあ―
調布市の1981年の『20年のあゆみ』の写真に「そして男性も登場…」ってキャブションがある(※2写真)。
「学校給食40周年「給食展」関係職員」(※3)という2001年の名簿を見たら、小学校20校の調理員72人のうち、男と思われる名前が30あった。
今どきのキラキラネームじゃ性別は読み取れないけどね。

※1 『学校給食のあゆみ-40周年記念誌-』日野市教育委員会編
   日野市学校給食会編、1989年   
    『自治労日野市職員組合学校給食調理員部会 10年のあゆみ』
   自治労日野市職員組合学校給食調理員部会、1985年
※2『調布市学校給食20年のあゆみ-昭和36年-昭和55年-』  
   調布市学校給食研究協議会、1981年
※3『学校給食40周年調布市学校給食展報告書-21世紀・子どもたちの食卓へ-』
   2001年


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(709) 給食のおねえさん

アルフレッドー
年末に、てんとう虫さんから年に一度のおたよりをいただきました。

てんとう虫ー
今年のTVドラマは、何といっても、NHK「虎に翼」、すごい朝ドラ!でした。
朝から、日本国憲法の勉強をしているような。
改憲の流れに抵抗する、すばらしいドラマでした!!
第14条「法の下の平等」の条文が壁に書かれた法律事務所で語られる話が心にしみました。
戦前、男性と同じように司法試験を合格しても、女性は裁判官になれなかったんですね…
尊属殺人の判決…
福島原発事故賠償裁判の最高裁判決に対する少数意見…
少数意見によって、「判決がくつがえらなくても、おかしいと声を上げた人の声は決して消えない。
その声が、いつか誰かの力になる日がきっとくる」
脚本は吉田恵里香さん、「恋せぬふたり」の脚本を書いた人だと知って、なるほどと納得。
「恋せぬふたり」も面白いドラマでした。


2013  『佳代のキッチン』 原宏一、祥伝社文庫アルフレッド―
女将さん、図書館のジロちゃんから何を借りてきたんです?

女将(=おかあ)-
『佳代のキッチン』(※1)

三太―
佳代さんは、黄色い軽ワンボックスカーのサイドミラーに「いかようにも調理します」っていう札を掛けて、
食材を持参してくれればどんな料理でも作る、ってえ商売してる。
今日は小学校一年生の男の子が、キャベツまるまる一個を持ってきて、
「おいしいもの作って」って注文だ。

女将―
佳代さんは、「移動調理屋」を始める前には、給食センターで働いていた。
幼い頃から、両親がしょっちゅう不在なんで、自分と5歳下の弟のめんどうみて、食事も作ってきた。
中学3年のとき、出かけた両親がそのまんま帰ってこない。身寄りは一人もいない。
未成年の姉弟で保護者がいない、って、寅ちゃんの「家庭裁判所」の担当で、児童養護施設の対象だと思うけど―。
佳代さんは、進学やめて給食センターで働き始めた。

アルフレッド-
「給食のおねえさん」になって、弟を扶養したんですね。
食いしん坊で料理上手だからこそ、の選択、女将さんにはとうてい無理な道ですね。

※1 『佳代のキッチン』原宏一、祥伝社文庫、2013年


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(708) 「完全給食」

アルフレッド-
女将さん、学校給食のお話で、「完全給食」とか、「A,B,C,D」とか言いましたが、なんですか?

女将―
日本の戦後の学校給食についての、お役所用語。
「完全給食」というのは、「主食・副食・ミルク」が揃っているもの。
「A型」は週5日、「B型」は週4日、「C型」は週3日、という実施回数による分け方。
「完全給食A型を実施した」と、自治体史なんかに記されているのは、つまり「主食・副食・ミルク」の三点セットを週5日子どもたちに昼食として食べさせた、ということ。
1960~70年代にかけて、実施回数は週5日があたりまえになり、献立も豊富になっていった。いまじゃ、デザートも付いてたり。

三太―
おら、どこの学校でも、毎日三点セットを食えるんだと思ってた。一日おき、とかあったんだ。
そういや、ミルクだけ、あいだの休憩時間とか下校前に飲まされた、と聞いたことがあった、それが「D型」の「ミルク給食」だったわけか。

アルフレッド-
A,B,C,Dは、献立の名前じゃなかったんですね、「Aランチ」「Bランチ」みたいな。
僕はロンドン育ちですが、学校へは行ったことがありません。
イギリスの学校給食も日本と同じようなものですか?

女将―
私は、よその国の学校の昼食は、児童文学に描かれているシーンしか思い浮かばない。
世界のいろいろについては、藤原辰史さんの『給食の歴史』(※1)とか、図書館の子ども室の『世界の食べもの』というような本を見るくらいで。
ロンドンについてはブレイデイみかこさんが書いてるかもしれない(※2)。

アルフレッド-
「完全給食」と聞くと、一回食べれば一日分の栄養がすべて摂れる、みたいに感じます。

女将―
石毛直道さんが、「主食という観念は世界の民族に共通するものではない。」って言ってた(※3)。
食事というものは主食と副食の二種類から構成されるものだという観念は東アジア、東南アジアのものなんですって。
戦後の日本の学校給食が、アメリカの強い影響下で実施されて、日本人の食にパンと洋風料理を浸透させた、ということから、
「完全給食」という用語もアメリカ由来だと思ってたけど、「主食+副食+ミルク=完全」というとらえ方そのものは極めて日本風だったんだ。

アルフレッド-
石毛直道さんという方は、世界中を歩き回って、自分で食べて料理して、食文化研究を築き上げた文化人類学者だそうです。

女将―
そう。私は、若い頃、石毛直道さんの本を読んで、『食』については食いしん坊にはかなわない、って痛感して、『衣』をやることにしたんだった。

※1 藤原辰史『給食の歴史』岩波新書、2018.11
※2 ブレイデイみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』新潮社、2019、『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』みすず書房、2017、など。
※3 『東アジアの食の文化』平凡社、1981年など。
石毛直道『世界の食べもの 食の文化地理』講談社学術文庫、2013年、p。11(原本は『食の文化地理』朝日新聞社、1995年)


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(707) 給食―パンか米か―

アルフレッド-
で、女将さん、真面目に報告したのは?

女将―
給食の話っていうと、献立のことで必ず盛り上がる。
ある小学校の献立の移り変わりを見てみましょう、私が卒業した学校っていうわけじゃないんだけど。
東京都日野市立第七小学校の献立。(※1)
1975(昭和50)年9月9日、「パン、マーガリン、カップむし、ウインナケチャップ煮、生野菜、牛乳」。
9月は、パンが月15回で、米飯が月1回です。
この1975年度には、日野市では小学校14校にはすべて給食が実施されていましたが、中学校では給食なし・弁当持参でした。

三太―
給食って、全国一斉にどこの学校でも実施してたんじゃないんだ!(※2)
だいたい、給食ってえと、「コッペパンに脱脂粉乳」って聞かされてきたぞ。

おかあ―
「コッペパンに脱脂粉乳」って反射的に言うのは、もっと年上の人たち。
1960年代後半(昭和40年代)には、冷凍食品の使用が始まったし、米利用も始まった。
1970年(昭和45年)から減反政策が開始されたように、政府は米を持て余すようになっていたのね。
1975年には文部省の審議会が「米飯導入は有意義」だって答申して、日野市でも、月1回の米飯実施を始めた。
米飯を実施するには炊飯のための設備も人手も必要なわけだけど、その対策もないままに新しい仕事が増えた現場では、
労働強化になって職業病の発生が増えた。
米飯の回数は、月1回から、月2回つまり2週間に1回に、さらに週1回に…と増やされていった。
日野市の小中全校に自動ガス炊飯器が設置されたのは1986年、全国農業協同組合中央会からの助成金を受けた年だった。
2001年(平成13年)には、「米飯給食週3回実現に向け推進計画策定を」って、食糧庁が通知した。

アルフレッド-
食糧庁? 食糧庁というのは、農水省の外局だったそうです。
学校給食は文部省の管轄ではないんですか?

女将―
そう、給食は1968年の「学習指導要領」に「特別活動の学級指導」と告示したように、文部省(今は、文科省)の管轄だけど、
米=食材=食糧は農林省(農水省)の管轄。
2005年(平成17年)以来「食育の推進」が国策になった、食育基本法に基づいて閣議決定される「食育白書」をプレスリリースするのは文科省ではなくて農水省。
で、米飯回数は着々と増やされてきて、昨2023年(令和5年)には、全国で「米飯実施率(校数)100%。週当たり平均3.6回(うち、週3~週5が98.3%)」(※3)
つまり、日野市立第七小学校でも、米飯は1975年に「月1回」だったのが、今年2024年9月は「週3回」。
1975年に「月15回」だったパンは「月3回(週1回未満)」になってます。
2024年(令和6年)9月9日、日野市立第七小学校の献立は
「重陽の節句」ということで、「菊花ごはん、おから入りつくね焼き、野菜のみそ和え、五目汁、牛乳」
(←写真)

アルフレッド-
パンか米飯か、って、単純に日本人の嗜好の問題ではなかったんですね。
「小麦戦略」(※4)という言葉を聞いたことがあります、国際的な食糧戦略が子どもたちの昼食を左右してきたんですね。
食品関連企業の市場である、くらいまでは想像つきましたが。

※1 『10年のあゆみ 自治労日野市職員組合学校給食調理員部会』1985年、62頁
※2 藤原辰史 『給食の歴史』 岩波新書、2018年
※3 文部科学省初等中等教育局健康教育・食育課「学校給食実施状況調査結果(令和5年5月1日現在)」
※4 鈴木猛夫『「アメリカ小麦戦略」と日本人の食生活』藤原書店、2003年


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(706) 給食のおにいさん

アルフレッド―
「女将さんの具合はいかが?」っていろいろな方から聞かれます。

女将―
おかげさまで、薬で痛みを抑えているうちに、ウイルスもおとなしくなったみたいです。
帯状疱疹の発症には、ストレスが大きいって分かってたんです。
7月半ばに、サチコ先生に、「報告、やります」って言ってしまった。
10月初め、サチコ先生に、「何もしていないわけではありません」って、言ったものの、まだ全然準備できてなかった。
焦りはじめたら、帯状疱疹につかまっちゃった。
薬飲み、飲み、呻吟の日々。
ようやく、パワポを仕上げたのが前日の朝だった。奇跡!

アルフレッド
いったい、何の報告したんです?

三太―
「学校給食と調理員」だと。(※1)
おかあのこった、『給食のおにいさん』を紹介したんだろ、
29歳の調理師・佐々目宋(ささめ・そう)。(※2)

女将―
『給食のおにいさん』も紹介したけど、本命は、給食のおばさんです、(※3)
小学校の給食室の窓の下に、とら猫イッパイアッテナが黒猫ルドルフをつれて行くと、
「なんで、今日がクリームシチューだって、わかるんだろうね」
って不思議がりながら、肉をくれるひと。

三太―
マジか?
「ふざけないで」って、サチコ先生に叱られたんじゃないのか?

女将―
ダイジョウブ。
これも、レッキとした資料です。

アルフレッド-
女将さんの報告を聞いたアキコさん、
帰り道、さっそく、『給食のおにいさん』を借りたそうです。

※1 2024年11月16日「学校給食と調理員」(『近現代女性史研究会例会』での報告)
※2 『給食のおにいさん』シリーズ、遠藤彩見、幻冬舎文庫、2013~。
※3 『ルドルフとイッパイアッテナ』シリーズ、斉藤洋、杉浦範茂え、講談社、1986~。


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(705) 薬漬け

アルフレッド-
女将さんが帯状疱疹だ(※1)と書いたので、読者さんたちからお見舞メールをいただいています。

女将―
ありがたいことです。
持つべきものは友。
帯状疱疹も、いろんな現れ方をして、後遺症に苦しんでいる人もいて…。
メデイアを通じて情報は得られるけど、やっぱり、直接知っている人の体験・声によって、気持が落ち着きます。
何十年も前から、ガンについて、直接知っている人の体験と言葉の大事さを、
「アワビのつぶやき」(※2)に書いてきたけど、ガンと限らなかったんだ。

三太―
とか言いながら、おかあ、薬の袋をたくさん持って来た。
いったい何種類飲んでるんだ?

女将(=おかあ)-
1、2、3、…6種類。
久々に、衆議院選挙の開票速報をワクワクしながら見られた。(※3)
最高裁裁判官の国民審査も、4人が罷免率「×」が10%を超えたんだって。(※4)
けど、現実は薬漬けの日々。

※1 (704)ヤク 第938号 2024.10.24
※2 「アワビのつぶやき」は、乳がん患者と家族友人のためのコーナーです。つまり、すべての人のためのコーナー。
※3 「衆院選、自民・公明与党が過半数割れ 立民など大幅増」
  https://www.bbc.com/japanese/articles/ckg779kw932o
※4 「最高裁裁判官の国民審査、解職なし 長官ら4人が「×」10%超」『朝日新聞』  2024年10月28日 20時44分


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(704) ヤク

アルフレッド-
女将さん、依然として元気ないです。寝たり起きたり…

女将(=おかあ)―
「寒暖差病」だと思ったら、「帯状疱疹」の始まりだった。
日に日に痛みが強くなってきて、お腹に「ギクッ」「ギクッ」と来る。
何にも手につかない、寝ても眠れない…
処方箋を見た途端に、薬剤師さんが
「帯状疱疹ですね、痛いでしょう」と言ってくれた。
薬を飲んでようやく、「痛みのない時間」がこんなに幸せなものか、と実感。

と、突如、「ギクッ」
ヤクが切れた!
薬物依存症の人が「ヤク」を求める気持ちがわかる…

アルフレッド―
ヤク、って、チベット高原にいる牛の仲間でしょう? 偶蹄目ウシ科ウシ属。

三太-
おかあ、「ヤギ生徒」とも呼ばれてる、(※1)
ヤギも偶蹄目ウシ科だから、近縁のヤクに会いたくなったんだろ。

※1 おかあ、またの名を「ヤギ生徒」の由来は (301)三太ドイツ旅行・超豪華修学旅行



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(703) 久々の魔女集会

アルフレッド-
女将さん、元気ないですね、病院通いですか。

女将(=おかあ)―
そう、ぐんと気温が下がって、柿が色づき、水引草が花盛り。
草取りに追われなくなったと思ったら、お腹に来た。
友だちが「つれが、寒暖差病だって、ゴロゴロしてて…」って言った。
私のも「寒暖差病」にあたるみたい。
ちょうど、検査結果を聞きにいく予定と重なって。

アルフレッド-
前回の「光る君へ」(※1)に、メールをいただきました。

フィリピンの魔女―
三太のおっかあが、石山寺から駅弁に向きを変えたのも、うん、なるほど!面白い。
ドイツの魔女さんの「ジェンダー視点」での読み解きも興味深かったです。
それゆえ、途中でgive up してしまったことを後悔して、見逃した回の一気見をしようとオンデマンドを契約しました。
高校の同学年の東京女子会のメンバーのラインも、「光る君」で盛り上がっています。
「寅に翼」は毎日放送されるので習慣になっていて、終わって間もない今は、まだ寅子ロスが続いています。

アルフレッド-
「とらつばロス」(※2)が広がってます。
「とらつば」にはまっていた女将さんも、魔女だったんですね、「小さな魔女」(※3)。

小さな魔女(=女将)―
この夏、スコットランドの11歳の女の子アデイのお話を読んだ。(※4)
村の奥の森の「魔女を吊るした木」を、周囲の人みんなが単なる昔話として楽しむなかで、魔女に思いを巡らせるアデイ。
「変わっている・普通と違う」人が、差別され魔女として殺されたのだ、と。
寅ちゃんの“宿敵”(?)桂場は、最後に、
「君のようなご婦人が特別だった時代はもう終わったんだな」と言った。
寅子「はて? いつだって私のような女はごまんといますよ。ただ時代がそれを許さず特別にしただけです」。
そう、魔女だと名乗らないだけで、魔女はごまんといるのです。

※1 (702)「光る君へ」
※2 朝ドラ「虎に翼」終了で早くも視聴者は「ロス」
https://www.iza.ne.jp/article/20240927-DP7IHPZCAFFFJBHJLAKTS3O5RA/2/
※3 (116)三太魔女修行 ~ (126)三太魔女修行その9  (148)三太魔女修行・台湾編「小さな魔女」 ~ (155)三太魔女修行・台湾編「合理性」
※4 『魔女だったかもしれないわたし』エル・マクニコル、櫛田理絵訳、PHP研究所、2022年



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(702)「光る君へ}
アルフレッド―
ようやく秋らしくなってきました。菊芋が頭上3mで咲いています。
カボチャのような蔓がフェンスから梅の木を這い上がって、空中を2m飛んで電線に絡みつきました。
焦った女将さん、蔓をひっぱり、取り除いています。
女将さん、今年は「恒例夏の家出」(※1)はどうしたんです?

女将―
行ってきました、滋賀県。沈没、沈没しながらだけど。
滋賀県へ行くからには、「光る君へ」にちなんで、石山寺へ行ってみようと思って、『一時間でわかる 紫式部と近江』とか『ミライの源氏物語』(※2)読んだりしてたんだけど…
新幹線を降りた米原駅で気が変って、伊吹山文化資料館へ行って企画展「鉄道の町 まいばらと井筒屋」を見た。(※3)
井筒屋さんは、1889年(明治22年)以来、長~いこと、駅弁を作ってきた。
昭和40年頃まで、駅弁には陶器の「汽車土瓶」(→写真1)がつきものだった、ペットボトルと自販機が普及するまで。
その汽車土瓶を、信楽学園が作っていたんですって。
信楽高原鉄道の沿線、甲賀市信楽町にはタヌキがいっぱい。(→写真2)


で、「恒例夏の家出」では、ほぼ30年ぶりに会った人と、「腐れ縁」ならぬ「発酵縁」を楽しんできた。生きてると嬉しいこともある。

アルフレッド-
9月30日、女将さんが「恒例夏の家出」の後片付けをしながら、NHKテレビをつけたら「光る君 特集」やってました。
「【クーポン配布中】「光る君へ」今、訪れたい!大河ドラマ聖地巡り」というメールが来ました。
ドイツの魔女さんのメールもいただきました。
女将さん、だいぶ前に「ひとこと書いて」って、お願いしていたんですね。

ドイツの魔女―
「光る君へ」が面白い

NHKの朝ドラ「虎に翼」が終わった。第1回は(私は観なかったが)憲法14条の朗読から始まった。
今、NHKが、これほど正面から憲法を取り上げ、人権、とくにジェンダーに光をあてたこと、そして大きな反響をよんだことに驚いた。NHKのもう一つの看板番組である大河ドラマ「光る君へ」も、ジェンダーが大きなテーマになっている。朝ドラと大河ドラマは観ないことにしていた私だが、この2つにははまった。どちらについても書きたいことはいっぱいあるが、ご注文に応じて「光る君へ」のことを書きます。

主人公、紫式部の生い立ちについてはほとんど何も知られていないという。それをいいことに、作者の大石静さんは、まひろと名付けた主人公が幼い日に道長と出会って運命的な愛で結ばれ、彼の子を産むという大胆な設定を物語の軸に据えた。

源氏物語は「華麗な王朝ロマン」として千年を超えて読み継がれてきた日本文学の最高峰ということになっている。いくら美男子とはいえ一人の男の女性遍歴を描いた物語が、それほど文学的価値の高いものであるとは信じ難かったが、1960年代に村山リウという評論家が「源氏物語の女読み」という立場を表明され、源氏物語は光源氏の恋愛手柄話ではなく、女が権力争いの道具に使われていた当時の政治体制への批判、その中で生きる女性たちの悲しみや苦しみを描いたものだという解釈で源氏物語の解き語りを始められたと聞いて、なるほどと思った。その後この解釈を引き継いで源氏物語の研究をされていた長塚杏子さんの読書会に短期間ながら参加する機会があり、原文に即してそれを確認することができた。

原文を読んで作者のユーモアのセンスに改めて気づいた。源氏物語を読んであんなに笑えるとは予想もしなかった。例えば「朝顔」の帖の一場面 - 源氏はかつて想いを寄せて遂げられなかったひとの父宮が亡くなったお見舞いで再会を果たし、再挑戦を試みるがガードは固く、そうなるとますます気になってたまらない。ある日も衣に入念に香を焚き込め、そわそわと出かけようとすると、感づいた妻の紫の上の機嫌が悪い。「どうしたの?」といいながら額髪を払ってやったり、憂い顔で見つめたり、「女院がおかくれになってから陛下がお寂しそうだし、太政大臣が欠けているので政務はみな私がみなくてはならないので宿直が多くて」など言い繕っているのに相手はそっぽを向いて何も言わない - こうなるともう「光る君」どころかその辺のばか男となんら変わるところはない。

ユーモアというのは物事を客観視して初めて可能になる。そういう意味で紫式部の筆は極めて客観的に身の回りの出来事を叙述していると言えるだろう。ドラマの中で一条天皇がまひろに「どうしてこんな物語を思いついたのか」と訊ねるのに対し「すべてわが身に起こったこと」と答える場面がある。

宋の科挙のことを聞いて、能力があれば身分に関わらず官職につける制度に憧れ、行ってみたいと思うまひろ、道長の求婚にも正妻でなければいやだと拒絶するまひろに作者の姿勢がみえる。人間性豊かな若き日の道長が権謀術策にまみれていく過程、その中で自分の娘を入内させることに踏み切る苦しみ、官職を得なければ暮らしていけない下級貴族たちのコネ争い、まひろの家の従者たちを通して描かれる庶民の姿、等々、今までの大河ドラマになかった人間模様が興味深い。

それにしてもあの時代の貴族はどうしてあんな仰々しい不自由な服装をしていたのだろう。もちろん専門家が時代考証をしているだろうが、寝る時も烏帽子をつけているというのだけは、どうしても納得できない。


 女将―
私は、見るたびに、あの仰々しい衣装は、どうやって調達したんだろう? と思います。
光源氏が、妻たちに配る衣装を並べて選んでいる場面があったように思います。(※4)
誰が、蚕を育てて糸にし、織って、染めて、裁って、縫って、という作業をしたのだろう…

 アルフレッド-
『しんぶん赤旗 日曜版』が来ました。
女将さん、「大河ドラマ「光る君へ」いよいよ佳境」「倉本一宏さんに聞く」という記事を読んでます。(※5)
倉本さんは、大河ドラマの時代考証を務めた方だそうです。
インタビューの最後に
 <この時代から学ぶこととは>
  平安時代は、戦争の恐れがなく、内乱も非常に少なかった。歴史というと、戦国時代や幕末、明治維新しか興味がない、という人が多く、大河ドラマで描かれるのも、戦いの歴史ばかりです。平安時代には未来の進むべき道へのヒントがある、と思います。

女将―
ほんと。
大河ドラマって、戦乱・血なまぐさい戦闘と男の怒鳴る声…うんざりしてきた。
唯一、例外として印象に残っているのは、1986年の『いのち』。(※6)


※1 恒例夏の家出
(667) 九百人のおばあさん (668) 塩の道 
※2 京楽真帆子『一時間でわかる 紫式部と近江』サンライズ出版、2024.3
山崎ナオコーラ『ミライの源氏物語』淡交社、2023
※3 滋賀県米原市・伊吹山文化資料館 特別展示「鉄道の町 まいばらと井筒屋」2024.9.6-29
『鉄道の町 まいばらと井筒屋―京都市立芸術大学美術学部総合芸術学科畑中研究室 調査研究報告17』2024.7.15
※4 『玉鬘』の六条院の衣配りについて
※5 『しんぶん赤旗 日曜版』(2024.10.6)
紫式部と藤原道長ってどんな人?/大河ドラマ「光る君へ」いよいよ佳境/国際日本文化研究センター名誉教授 倉本一宏さんに聞く
※6 大河ドラマ 全リスト


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(701) 農繁期託児所その7 学校で何縫った? (702)「光る君へ」

アルフレッド-
八王子のエミコさんから、昭和19年8月の『防空新聞』のコピーをいただきました。
昭和19年8月というと、1944年6月にサイパン島が陥落して、米軍のB29爆撃機による本土空襲が現実に迫ってきた、
学童集団疎開を始めた時期ですね。

1944年11月5日【古い着物を利用 モンペの戦時決定版】

女将―                                
『防空新聞』という題字の下に
「指導  東部軍 東京都 警視庁」「発行所 朝日新聞東京本社」
ってある。
創刊号、8月5日号の「お知らせ」欄には
「『防空新聞』は毎月五日、十五日、二十五日の三回、日本新聞配給会の奉仕的努力によって隣組のみなさんのお手許へ届きます。
一隣組一枚ですからよくよんでもれなくお隣りへ廻し、常会の話題とし最後に各防空群長さんの所でご保存下さい、きっとお役
にたちます。」
ですって。
第12号「古い着物を利用 モンペの戦時決定版」という記事は―
  「常時防空生活――即モンペ生活といへるほどモンペは都市にも普及しましたが、……」

アルフレッド―
右下の挿絵は、折紙の展開図か何かですか?

女将―
和裁の、布の裁ち方を示してる図。
あ、アルフレッドの国には和裁ってないから、知らなくて当然か。

三太―
おら、日本犬だけど、知らないぞ。
おらが生まれた2004年頃、生まれた日本人だって知らないんじゃないか?

女将―
ムムム…そっか、日本で育ったからって、おんなじ教育受けてるわけじゃないんだ。
地域により時期により、家庭により、違って当然だけど、最小限の共通項目として、文部省(文科省)が「学習指導要領」を定めてきた。
その中の家庭科の製作例を見てみよう。

アルフレッド-
なんか、女将さん、目の色変わってますよ。

三太―
家庭科で、洋裁も和裁も詰め込まれた頃が浮かんでるんだ。
宿題、宿題で忙しくって勉強できなかった、って? 遊ぶ暇がなかった、というべきだろ。

女将―
お母さんにやってもらってうまく切り抜けた人もいたけど、クラス全員の前で指摘されて泣いてた人もいたっけ…
ある時期、突如として既製服が出回ってきて、和裁も洋裁も必要なくなった・・・。
学習指導要領の一覧.pdf へのリンク


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(700) 農繁期託児所その6 きもの文化検定

アルフレッド―
で、女将さん、「耳かくしに銘仙」(※1)はどうなったんです?

『オールカラー改訂版 ひと目でわかる! 帯の基礎知識』 一般社団法人全日本きもの振興会推薦女将―
あれこれ、聞いたり読んだり、思いだしたりしながら、図書館行ったら、
ジロちゃんが、新刊本の棚に『ひと目でわかる! 帯の基礎知識』(※2)
って本を置いといてくれたんで、借りてきた。
一気に読んだんだけど、「銘仙」は見つからなかった。索引にも載ってないから、私の見落としじゃないと思う。
巻末に「『きもの文化検定』実施要項」が載ってるんで、ホームページ(※3)に入って見た。
5級から1級まで「学歴・年齢・性別・国籍は問いません。」ってある。
1級試験には課題図書が指定されてて、
「本年の課題図書は、講談社文庫「源氏物語巻二」(瀬戸内寂聴訳、講談社刊、¥792(税込))出題範囲は「葵」です。」
受けてみようかな。

アルフレッド―
女将さん、付け焼刃では無理なんじゃないですか?
トップページに、「第18回試験解答速報」が載ってます。

女将―
そうね、解答速報が載ってるってことは、第18回の試験は終わってるってこと?
「申込締切日」は「●令和6年9月11日(水)」だった、
第19回は「令和6年11月3日(日)」ですって。

三太―
おかあ、受験料払ってまでやる気あるのか?
5級で5,500円、1級は11,000円だぞ。

※1 (697) 農繁期託児所その3
※2 『オールカラー改訂版 ひと目でわかる! 帯の基礎知識』 一般社団法人全日本きもの振興会推薦、世界文化社、2024.6.5 
※3 「きもの文化検定」 



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(699) 農繁期託児所その5 モンペ讃歌

アルフレッド―
東京のアキコさんは、30年ほど前に、女将さんが知り合った頃から、ずうっと、だぶだぶパンツを愛用しています。

東京のアキコ―
確かに私はダブダブズボンが好きでした。
身体をしめつけず、かつ、足首でしめていて、動きやすいからです。
「モンペハウス」(※1)という名前の小さなお店を知り2-3回通いました。ユニークなズボン類を販売していました。
私はもともとおしゃれに関心なく、自分が着て心地よいものであれば、流行はまったく気にしません。
なので、細身のジーンズやかっちりとしたスラックスが主体の時代でも、ダブダブズボンを平気ではいていたのだと思います。
職場が服装にうるさくなかったことも大きいかもしれませんね


アルフレッド―
東京のアキコさんのは、モンペとは呼ばないのですか?

おかあ―
アキコさんのダブダブズボンは、私のイメージの「モンペ」には入らない。
衣服の歴史をひもとくと、洋の東西を問わず、女性の下半身の衣服は、

  • ①スカート型、要するに、腰から足首まで覆って、足が2本あるってことを見せない形、活動性は二の次、三の次。
  • ②2本の足を別々にくるむ、ズボン型。洋の東西のまんなか、中東とかインドあたりにあった「だぶだぶパンツ」が、アキコさん愛用の系譜につながると思う。
    インドにはサリーという①スカート型もあるけどね。

日本のキモノは①スカート型だけど、農山村の仕事着には②ズボン型が色々あった、その一つがモンペとして脚光を浴びたわけ。

三太―
おかあ、断捨離しそこなった紙の山脈から、古~いカード引っ張り出してきた。

おかあ―
そう、なんでもパソコンに覚えてもらう「むらきペデイア」(※2)に切り替える前は、紙のカードにボールペンで手書きしたり、コピーを切り貼りしたりしてた。
40年!前に作ったカードに、大塚末子さんの「もんぺ讃歌」のコピーが貼ってあった。(※3)
「むらきペデイア」に入力してなかったから、検索してもひっかからなかったんだ。

アルフレッド―
大塚末子さんというのはどういう方なんです?

おかあ(=女将)―
大塚末子さんは、1902(明治35)年、敦賀の鮮魚問屋兼仲買業の娘として生れ、キモノ文化をしっかり身につけて育ったおしゃれな人。
東京の文化服装学院に入学したときは32歳、キモノ姿で通学して洋裁をしっかり吸収した。
モンペが奨励されたときには、洋裁の技術・センスを活かして、きりっとしたスタイルに縫って着たので、周囲から注文されるようになった。
戦後、夫を看病したり、流転の時期を経ている間に、世間は高度経済成長期、衣食住が豊かになってきて、冠婚葬祭も派手になってきていた。
ところが、「昭和10年前後に生れたかたは、幼少期が戦後の混乱の頃、そして青春時代はアメリカン・スタイルの軽快な洋服ですごしていた」から、
キモノのしきたりも着こなしも知らない、マナー本の需要が急伸した。

大塚末子さんは、日常着に洋裁を取入れた合理的なキモノを発表すると同時に、晴着のキモノのしきたり・着こなしの指導もした。
「もんぺ讃歌」に、80歳にして、もんぺのツーピースを通勤着にしている大塚さん(←写真)が「今頃、なぜもんぺを着るのですか?」
と戦争体験のある年齢のかたから言われると書いてます。
戦争の暗いイメージがつきまとうからモンペを穿く気になれないという空気にとらわれずに、「活動的で着やすい」からと着用していた大塚さん、
すご~いひとだなあと改めて感じ入ってしまいます。

アルフレッド-
大塚さんが未亡人になって一人歩きを始めたのは48歳の時だそうです。
女将さんは、48歳の時、何してましたか?


※1 ミニコミ図書館『新しい家庭科We 1巻10号』1982年12月、「モンペハウスの日々」内山裕子 https://wan.or.jp/dwan/detail/4806
※2 むらきペデイア (674) ミス女将
※3 1983 大塚末子『女、八十歳の伝言』文化出版局、p162「もんぺ讃歌」


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(698) 農繁期託児所その4 モンペ 


アルフレッド―
海辺のうづらさんから、「夏のご挨拶」をいただきました。(↑)
描かれているのは、海辺のうづらさんご自身だと思いますが、
足の横に書いてある「モンペ」ってなんですか?

海辺のうづら―
モンペは、ズボンのような、日本の女性向け下衣。
ふだん、モンペを穿くときには長靴を履いてるけど、この絵では地下足袋を履かせました。
地下足袋のこと、愛知県の友人のお母さんは「くつたび」と言ってたそうです。


おかあ―
今、「モンペ」と言うと、木綿地で絣模様、ウエストと足首にゴムが入ってるゆったりしたズボン、っていう感じでしょうね。
「モンペ」の着易さ、はき心地、といった長所は認めているのですが、私は穿く気になれないでいます。
元々、女性用仕事着の、下半身用「下衣」には、その土地土地に応じて「モンペ」や「カルサン」とか、多様なものがあった。
岐阜県石徹白の喜美子さんが1950年頃に穿いていた「タツケ」もその一つ(※1)。

かつて、総力戦準備の中で、「服装の統一運動」がすすめられていた(※2)。
要は、繊維資源を軍需と外貨獲得に回すために民需を抑制すること、いざというとき軍服に転用できるような洋装を「これ一着さえあれば」と奨励すること。
男性向けには1940年11月2日「国民服」の着用が義務づけられた。
女性向けにも、都市などの肉体労働をしない女性の、キモノ(足首まで覆う長着+下駄・草履)に対して上から横からの攻撃があった。
教育者・服飾研究家・デザイナー・民俗研究者などがかんかんがくがく…「活動性」だけではなく「日本女性らしさ」を不可欠の条件としたから、大いに難航した。
ようやく1942年2月19日厚生省が「婦人標準服」を決定したのが、甲型(洋装型)と乙型(和服型)と活動衣。
この「活動衣の下衣」というのが「モンペ」、新聞雑誌や婦人会・女学校などが「モンペの作り方」を指導した(※3)。
手持ちのキモノを更生(リフォーム)するよう奨励されたから、素材も色柄もマチマチ。
キモノの裾をたくしこむためにだぶだぶの「モンペ」姿は、おしゃれな人には不人気だったけど、
当時の女子青年団や婦人会の活動服として、空襲下の防空服装として、強制され、全国に普及し、戦後も貧窮と混乱を生きぬく服として着用された。
この時期、モンペを着用するようになった農村もある。

アルフレッド―
ヒトは大変ですね。
それぞれの時代・環境・立場に適合した衣服を着用しなければならない。
今は、「良いモノは良い」と、好きな服を着用しているようですが、
「就活」にも「モンペ・地下足袋」で行きますか?

※1『聞き書き集 石徹白の人々 Ⅲ』p.75写真「馬の手綱を引く、たつけ姿の喜美子さん」
※2 井内智子「昭和初期における被服協会の活動―カーキ色被服普及の試みと挫折ー」『社会経済史学』76-1(2010年5月)、p.99-118  
※3『写真週報 』第218号 1942(昭和17).4.29「新らしく作るなら 婦人標準服を」 



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(697) 農繁期託児所その3

アルフレッド―
女将さんにつきあって、農繁期託児所の古い資料を読んでみます(※1)。
先代犬・ゴロー君のふるさとの隣の集落にも、農村託児所があったんですね。
大正15年、愛国婦人会茨城県支部の事業だそうです。(※1-1)
大正15年というと、1926年、第一次世界大戦後、第二次世界大戦までの【戦間期】です。

女将―
当時の人にとっては「戦後」であり、関東大震災の「震災後」だったんでしょうね、「戦間期」と呼ぶのは第二次を経験した後世の人。
第二次世界大戦の戦後である現在が、後世から「第三次世界大戦の前の【第二の戦間期】」と呼ばれることのありませんように…

アルフレッド―
「農繁託児所の実際」という文書(※1-2)に、経営主体として「婦人会、児童保護会、耕作組合、済生会など」とあります。
行政の直営は少なかったんですね。
保姆には、資格も経験もなくても熱心な女性ならよい、とあります。
「乃ち、農村中流以上の家庭の主婦又は処女、補習学校生徒、学校教師の夫人、女教師、神職僧侶警官の夫人等比較的有閑階級の女性」
「更に地主の家庭の主婦、令嬢」に「奉仕的精神によって、無報酬で働いていただかなければならない。」と。

女将―
純農村といっても、学校教師、神職僧侶警官や商工業など非農家もあった、その家族女性が「かあちゃん農業」やってることも多かったようだから
「有閑階級」と呼んでいいかどうか疑問だけど。
大地主の家族は農作業をしないで都市の中流と同じように暮らしていたみたい。
農繁期、大半の農家が家族総働きで、放置された子どもの事故が頻発していた。
農作業をしない女性、とくに地主の奥様・お嬢様が、保姆として無償奉仕することには、階級対立を緩和する効果が期待されたらしい。

アルフレッド―
「農繁託児所の保姆はどうしても、粗末な着物、簡易な結髪、身軽い服装で従事せられなければならぬ。
 耳かくしに銘仙の着物のいでたちでは、農繁託児所の感激的保育は望み難い。」
とあります。
保姆は動きやすい服装で、というのは当然だと思いますが、「耳かくしに銘仙の着物のいでたち」ってどういうことですか?

女将―
う~ん、ひとくちでは言えない…次号に…

※1 大西茜編集・解説『戦前日本の社会事業・社会福祉資料 第2期 第5巻 農繁期託児①』、柏書房、2018、
※1-1 「大正十五年十二月 農村託児所設置要項並ニ実施参考 愛国婦人会本部 社会部」
   (九)各農村託児所概況 
     其二 本年度施設概況 猿島郡幸島村下片田託児所



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(696) 酷暑見舞―山の上・動物篇 

おかあ―
イノシシがコンニャク芋を掘りに来ませんか?(※1)
小海線沿線に出没する「シカ」は、線路・レールの鉄分を舐めにくるのだと聞きました。

オレンジ―
イノシシは、コンニャクは掘らないようです。
農家さんのコンニャク畑にも電気柵(※2)はありません。
タケノコは、掘っていくようです。うちも掘られていることがあります。
一昨年、畑にさつまいもの苗を植えて、明日掘ろうと思っていたら、その晩、イノシシに全部持っていかれました。

うちのあたりでは、鹿は見かけませんが、サル、ネコ、キツネ、リスも見かけます。
昨年、近所で熊を見ました。(役場から熊の目撃情報メールが配信されています)
数年前は、裏庭の柿の木が折れていて、その下に大きなくぼんだ穴。
(木登りしたクマが、木が折れて転落したのかな?)
昨年は、トマトときゅうりの苗を植えた翌日、鳥についばまれて苗が消えました。
(鳥は、キジやカラス、その他?誰だろう?)
今年は、ネットをかけて鳥対策をしたので、トマトときゅうりが収穫できています。
(各2苗なので、大した量ではありませんが・・・)

左の写真は、昨年の庭の訪問者・カモシカくん。
この子、庭の水道の蛇口をひねって、水を出す・・・?!
今年、朝起きて雨戸をあけようとした時、庭の水が、ジャージャー出ている。
えっ!?誰がやったの?
職場で話したら、「うちの近所のお寺には、池があるのに、お寺にくるカモシカが水道の蛇口を開けるって~」
そういえば、蛇口の近くにカモシカの抜け毛がひと塊、落ちてた~。



※1 (695) 酷暑見舞―山の上・植物篇おらぁ三太だ24 (murakifile.noor.jp)
※2 獣除けのソーラー発電の電気柵


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(695) 酷暑見舞―山の上・植物篇

神戸っ子―
暑いですねぇ。日々タオルが手放せません。
お変わりありませんか。
ますます暑さが募るようです。ご自愛ください。


おかあ―
ほんっと、暑っついですねえ…
こちら、日々、繁茂する庭の草木と闘うだけで精一杯、何する気力も出ない…

アルフレッド―
移住したオレンジさん、山の上のお宅は、如何ですか?(※1)

コンニャクの実オレンジ―
こちらも暑い!
日中、駐車していた車に乗り込もうとしたら45℃
まぁ、朝晩の風は、涼しいかな?
こちらも草や竹の勢いがすごくて、夫は、草刈りに追われております。
刈ったそばから、また、伸びてる!
庭のような畑のようなところに、コンニャクがにょきにょき。


おかあ―
庭のような畑のような…?
茨城県西の、ゴローの故郷あたりだと、「センザイ」っていう自家用菜園かな。

オレンジ―
そうかもしれません。
亡くなった義母がコンニャクイモを植えていた。
コンニャク農家さんから「そのままでもOK」と言われ、ほったらかしたままにしていたら
今年は、花が咲いて実がなりました。
お友達が撮った写真「コンニャクの実」。


おかあ―                             
びっくり! コンニャクの実! 初めて見た!

※1 オレンジさんの移住先は、バス停から徒歩20分の山の上です。
  (655)保育園のシチュー 



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(694) 農繁期託児所その2

アルフレッド―
調布市の昭和31年(1956年)の農繁期保育所が終わりましたね(※1)。
調布市の「農繁期保育所」と、女将さんが言う「農繁期託児所」とは同じものなのですか?

女将―
そう、おんなじ。数日から数か月まで、主に農繁期、田植え・収穫の時期に開設された保育施設には、いろんな名称があった。
1942年長野県では「国民保育園」と改称したし(※2)。
1938年以降、総動員体制とともに設置数が急増して、戦争末期の1944年には全国で5万ケ所以上が開設された(※3)。
で、私は「農繁期託児所」と総称してます。

アルフレッド―
調布市が「児童の服装、身のまわり品等平常のままで」って言うのは、どういうことなんですか?

女将―
私も、ふしぎに思った、私立幼稚園には制服・制帽があったのは記憶してるんだけど。
公立保育所には、子どもがそれぞれの服装で通園してたから、なんで、わざわざ「平常のままで」って言ったのかな、って。
で、農繁期託児所について、あれこれ読んでたら、こんな例があった。

昭和16(1941)年、学校から動員されて臨時保母(=助手)として農繁期託児所に行った女学生は、
「保育所へ来るのに着物をきた子やお祭り着ぐらいの改まった子どももいるので、汚れても転んでもかまわない服装できてほしい」という感想を残してた。(※4)
昭和28年度(1953)の秋の「保育日誌」に、保母さんが「感想」(※5)として
「一、子供の服装は新調しないこと。」って書いていた。

考えてみると、農繁期託児所っていうのは、ふだん付き合いのない「知らない人」に子どもを預けるわけね。
しかも保母役の人は「農作業をしない女性」だから、野良着の母親たちとは違う服装している。……子どもによそ行きを着せなきゃ、と思ったでしょうね。
預けたい子は二人いるけど、着せる服を一人分しか用意できなかったから、一人だけ預ける、という例も読んだ。

※1 (691) 農繁期託児所 
  調布市の農繁期保育所3カ所の、昭和31年6月の夏期の開設期間は、6月4日または5日から一か月間。
※2 『長野県教育史 第15巻(史料編 9)』1980年
※3 『保育の歴史』浦辺史・宍戸健夫・村山祐一編、青木教育叢書、1981年
※4 谷本純子「農繁期の共同炊事と託児所(共同保育)」(新潟女性史クラブ 『光と陰』第12号)(新潟県新潟市)
※5 旧富県村役場文書「昭和二十八年度 季節保育所の綴 富県村役場」(長野県飯田市)



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(693) 犬を飼っている人は…

アルフレッド―
女将さん、7月になったばかりで、もう夏バテですか?

女将―
うう…
朝、起き抜けに、草取りする、だけで、気力体力使い果たしちゃう

三太―
新聞に、犬を飼っている人は、飼ってない人より認知症の発症率が4割低い、って(※)

女将(=おかあ)―
そりゃ、三太と毎朝毎夕散歩してれば、足も動かすし、人にも出会うし。
猫を飼ってても、認知症の発症率にとくに違いはないらしい。猫と毎日散歩してる人にはであったことがない。

※「認知症発症する確率、犬の飼い主は4割低く 都内の研究チーム、4年間追跡調査」
   『朝日新聞』2024年6月11日



(692) スズメバチ、みたび

アルフレッド―
女将さん、朝早くから騒いで…

女将―
だって、起き抜けに玄関のドアを開けたら、足もとにスズメバチが一匹、頭の上にスズメバチの巣!(→写真)
いっつのまに、こんなに大きくなったんだろ、ソフトボールくらい。
びっくりして見てる間にも、スズメバチが3匹か4匹、巣に出入りしてる…

アルフレッド―
女将さん、三太君が襲われたときのことが蘇って、震えてます。(※1)
立川の先生が襲われたこと、オレンジさんの家の大きな巣の写真…

三太―
それで、どうしたんだ?

女将(=おかあ)―
気を取り直して、市役所に電話した。
電話の交換手さんに
「家にハチが巣を作ってるんです。どこの課に相談したらいいですか?」
そしたら、市役所の中の担当部署に回してくれて、そこの人から、紹介、紹介で、
市内の近くの駆除業者にたどりついて、出張駆除を依頼した。
刺されてからじゃ、お金に代えられないから。

アルフレッド―
夕方近くに、男性二人が来て、駆除作業をしてくれました。
宇宙服みたいな、防護服着て。
駆除業者さんの話では、ハチだけでなく、アライグマ、ハクビシンも横行してるそうです。横浜市ではネズミ。

女将―
共生するって、難しいことだねえ…

※1 


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(691) 農繁期託児所

アルフレッド―
女将さん、どこへ行くんです?

女将―
線路の向う側のお寺。
市の6月5日の広報に「農繁期保育所開設さる」って載ってるから、見学に行こうと思って。
伊那谷のヒサコさんが小さい頃、農繁期託児所に行ったって、聞いた。
おばあちゃんに送られて行ったけど、知らない子ばっかりでイヤで、おばあちゃんを追って帰ってきちゃった、んだって。
ヒサコさんの地域では、翌年、昭和30年に、常設の保育所が開設された。
1歳大きくなってたからかな、こんどはヒサコさん逃げ帰らないで、保育所ライフを楽しんだらしい。     

三太―
広報、って、何年の見たんだ?

女将―
えっと、『調布市報』第8号 昭和31年6月5日だ…

  「無料で保育  農繁期保育所開設さる
   夏期農繁期に当りまして農業労力の軽減をはかると共に、家庭に放置され勝となる幼児並びに低学年児を保育して児童福祉増進をはかるために
   次の通り農繁期保育所を開設致しますので児童の服装、身のまわり品等平常のままで、御遠慮なく御利用下さい。
     一、上石原農繁期保育所   上石原西光寺境内  期間 6月4日から一ヶ月間
     一、仙川農繁期保育所    仙川町昌翁寺境内  期間 6月5日から一ヶ月間
     一、佐須農繁期保育所    佐須町祇園寺境内  期間 6月5日から一ヶ月間
   各保育所共毎日午前八時より午後五時まで保育致します。
   保育料等一切無料です。 」

『調布市報』を見落としてなければ、昭和33年10月まで「季節保育所三ヶ所に開く」って。
今の市街地からは想像もつかないけど…

(添付写真)季節保育園 『長野県民100年史 2 県民の暮らし100年 2』 郷土出版社p147上
 「季節保育園(昭和30年頃、南佐久・臼田町田口の上宮寺境内で)、下「富士見町富郷の季節保育園(昭和25年頃)」

県民の暮らし100年 2』 郷土出版社p147

「季節保育園(昭和30年頃、南佐久・臼田町田口の上宮寺境内で)

「富士見町富郷の季節保育園(昭和25年頃)


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(690) 黒猫の仕事その4

アルフレッド―
女将さん、ダイジョブですか?

三太―
おかあの歩く姿、魂が抜けたみていだ、地に足がついてるのかな…

おかあ(=女将)―
うん、足は付いてる。
ようやっと、伊那谷の報告、書きあげた。
途中、ウサギ監督からダメ出しされて、構成を考えなおしたり…
3か月間、ひきこもって、いつまで続くぬかるみぞ、って毎日。
猫の手も犬の手も借りるわけにいかない、自分でやるしかない。
締切日に、ずうっと悩んでた地図をつくりあげてメールと郵便でウサギ監督に送った。
締切守った、奇蹟!!

翌日、「たづくりまつり」会場で遭遇したアキコさん―
わ、書き上げたんですか! えらい!

三太―
おかあ、「たづくりまつり」の受付当番、去年は日時を間違えて迷惑かけちまったもんで、今年は日時だけは守って行った。
行った先じゃあ、腑抜け状態で座ってた。

おかあ―
留守番猫、居ることに意味がある。
最終日の夕方は、展示物の撤収作業。
いつのまにか、画鋲の数え役になっていた。
会館から借りた画鋲300個、数えて箱に入れて返さなけりゃならない、って。
数えてるうち、一瞬気を抜くとわからなくなる、やり直し…

アルフレッド―
女将さん、画鋲を数え終わってから中央図書館の子ども室に行きました。
行きつけの分館には居ない黒猫にであいました。(※1)
家族はそれぞれ専門的な仕事に忙しく働いているのに、この黒猫は本を読んでいるだけ、本を読んでいるだけでしあわせ。
「ほんを よむのは しごとじゃないよ」
と、おにいちゃん猫に言われても、本が読みたいだけ。

女将―                                        
う~ん、仕事ってなんだろう? 
働くってのは雇われて報酬を得ること?

アルフレッド―
女将さん、ずっと前に、堀越久甫さんの本(※2)読んだときに、印象に残ってたこと。
退職してIターンした堀越さん、次々と、集落の役を引き受けました。
組総代になって初めての「最寄普請」つまり、共ga同作業の日、集まってくる人々に、誰と誰を組み合わせて何の材料を割り当てて…と指示しようとしたら、
「みんなが適当にやるんだから、あんたは黙って立っていればいいんですよ」とささやかれました。

女将―
そうなのよ、農村では、お葬式だって、「組」のひとたちが集まって、料理も一切やってた、って。
ふだんと違う場所で、桁違いの人数分を作って盛り付けて運んで…誰がリーダーになって、どう分担を決めるんだろう、って不思議だった。
堀越さんが書いたのは1977年、今から47年前のことだったけど、成員が各人の性格も能力もみな知っている、小さな集団ならではの働き方なんだ、って。

三太―
おかあが、画鋲を数えたのは、「適材適所」だった、ってこった。

※1 『くろねこのほんやさん』シンデイ・ウーメ文・絵、福本友美子訳、小学館、2021 
※2 『村の中で村を考える』堀越久甫、NHK ブックス、1979


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(689) 黒猫の仕事その3

三太-
おかあ、ダイジョブか?

おかあ―
5月3日の憲法の日は、長年、午前のデモから午後の大集会へ、ハシゴしてたけど、午前の部だけで精一杯。
前回も前々回も言ったでしょ、伊那谷のヒサコさんに約束したレポート書くのに必死。(※1)
ようやっと、半分の下書きまでこぎつけたところで、伊那谷に行ってきた。
思いがけなく、ヒサコさんの子どもの頃の資料が見つかって、二人で大感激。

アルフレッド-
で、気を良くして道草食ってきたんですね?

「クロネコ」 伊那市駅ホームから2女将―
そう。
飯田線、伊那市駅のホームに降り立ったとたんに、目に飛び込んできた看板。
「クロネコ!」(写真、※2)
ホテルのカウンターで聞いてみたら、歩いて行ける辺りらしい。
行かなくっちゃ

アルフレッド-
女将さんも、そうとうなミーハーですね。

女将―
研究心旺盛だと言ってほしい。
行ってみたら、店は廃業してたけど、建物は≪レトロ≫に建っていた。
その一帯には、『ハイカラ・レトロで粋な街』『往時は芸者衆70名余でめっちゃ賑やかでした』
などの看板が立っている、歓楽街だったんだ。

※1 レポート作りに精魂尽きかけています。  https://murakifile.noor.jp/m3/sa/sa25.html#688
※2 『クロネコ』の写真のキャプションは「食堂」でした。
『保存版 昭和写真大全 上伊那』 郷土出版社2011年、p3 



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(688) 黒猫の仕事その2

アルフレッド-
女将さん、またまたご無沙汰が長いです。

女将―
前回も言ったでしょ、伊那谷のヒサコさんに約束したレポート書くのに必死だって。(※1)
関連資料を見ていくと、ああ、そうだったのか、と思うモノに出遭ったりして、興味は広がる一方なのに、それを整理吸収する脳力・エネルギーが乏しくって…
ようやっと、下書きにこぎつけた。
それを見てくれたヒサコさんの気持にどう応えるか、悩んでる。

アルフレッド-
書いたものを即公開はしないんですね。

女将―
そりゃそうよ、誰だって、リアルで寛いでおしゃべりしたことが文字にされてたらビックリする。録音もしてなかったのに、って。
私自身、インタビューされる側になれば、文字にされたくないこと、ってあるし。

三太―
おかあ、悟りにゃまだまだ遠い。
集めた資料をひっくり返してたら、『クロネコ』に遇った。(※2)
推定、百歳を超える、ナマ猫だったらとうに化け猫。
食事処の看板猫だ。13年前には蕎麦・うどん・丼物なんかの店。
昭和の一時期には、カフェーだったんだと。
カフェーというのは、
いまどきは女性客が好むおしゃれな喫茶・軽食店ってイメージだけど、
昭和2(1927)年に東京・銀座に『カフェ・クロネコ』が開店した頃は白エプロン姿の女給がいる店、だったみたいだ。

※1 (687) 黒猫の不在 第921号 2024.4.9
※2 『保存版 昭和写真大全 上伊那』 郷土出版社2011年、p3
「クロネコ(伊那市) 創業は大正期にさかのぼる。昭和の一時期には、カフェとして営業していた。
現在は食事処として営業しており、そば、うどん、丼ものなどを楽しむことができる。建物は創業当時のままである。」


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(687) 黒猫の不在 

アルフレッド-
女将さん、毎日、何しているんです?

女将―
伊那谷のヒサコさん(※1)に約束したレポート書くのに必死。
い~っぱい聞かせてもらったお話を、どう整理したらいいか、まとまらなくて…
ようやっと、昨日、一部分の下書きまでこぎつけた。
載せる地図を見つけるのもたいへん。

アルフレッド-
女将さんは報告には、必ず地図を載せます。
読む人のためですね。

三太―
いや、おかあ自身のためだろ。
調査地を示すのに、「北緯何度、東経何度…」って書いてもピンとこないもんだから、地図を載せるんだ。
<自分のために>やったことが、<他者のためにも>なれば幸い、ってのがおかあの生き方だから。

アルフレッド-
女将さんが、メールを見ながら、ブツブツ言ってます。

女将―
私は、ちっともナマ猫に会えない(※2)のに、
おとうは、行く先々で黒猫に出会ったって、写真送ってくる。
なんで、おとうばっかり……

※1 (684)天竜川 
※2 (686)黒猫の仕事 



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(686) 黒猫の仕事 

三太―
おかあ、図書館のジロちゃんに「返却期限が過ぎてます」って言われて借りてた本をかき集めて出て行った。
カラ身で帰るのはもったいない、ってこども室の棚にあった2冊を引き抜いて借りて図書館を出た。

おかあ―
お天気がいいので、久しぶりに若葉の森の坂道を登って、台地の上に出た。
歩き始めて、ふと、黒猫に逢うかも、って感じて、公民館までまっすぐの道を眺めたら、宅配便の白いクルマがこっちへやってきた。
道端によけて見てたら、白い車体のすみっこに、黒猫マークが付いていた。

『ブックキャット ネコのないしょの仕事!』アルフレッド―
やあ、『ブックキャット ネコのないしょの仕事!』(※1)ですか、ロンドンの黒猫モーガン、なつかしいです。
ミュージカル『キャッツ』の原作、世界的有名猫です。

おかあ(=女将)―
ブックキャットっていうから、本屋さんの飼い猫かと思ったら、出版社の門番ネコなんですって。
そのうえに、≪ないしょの仕事≫って何だろう?
1940年9月、第二次世界大戦がはじまって最初のロンドン空襲の夜に生まれたモーガンが、
1944年、空襲下だからこそ思いついた仕事だった。
もう一冊は『麦畑になれなかった屋根たち』(※2)、これは1944年の日本の空襲の本。
たまたま、同じ戦争の空襲・疎開・終戦を描いてる本を借りたんで、イギリスと日本との違いをしみじみ感じた。

※1 『ブックキャット ネコのないしょの仕事!』
    ポリー・フェイバー作、クララ・ヴリアミー絵、長友恵子訳、徳間書店、2023.3.31 
※2 『麦畑になれなかった屋根たち』 藤田のぼる文、永島慎二絵、童心社、1995


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(685) 一条龍

アルフレッド―
女将さん、何、検索してるんです?

女将(=おかあ)―
今朝、テレビで「一条龍」ってことばを見た(※1)、何だろうと思って…

アルフレッド―
日本では 2011年に登場した漫画の主人公、天才サッカー少年の名前です。
中国語の「現在では、大企業の流れ作業による生産ラインを「一条龙」生産ライン、と呼ぶ。」という回答もありますね。
今日のテレビのテーマは、「白タク容疑の中国籍男性を逮捕」でしたが、そのなかで、「一条龍」という言葉が出てきました。
中国からの観光客が増えても、旅行のパッケージ~空港から観光地までのタクシー「白タク」~土産まで、すべて一貫して中国でセットされていて、
日本にはお金が落ちない、という仕組みを「一条龍」と言っていたようです。

三太―
おとうが、こんなメールが来たって、転送してきた。
「まさか騙される人はいないと思いたいけれど、気持ち悪いこと甚だしい。
   発信者:警察庁
   件名: 警察庁について
   警察庁について 私たちは警視庁です。
   あなたのお子様は窃盗容疑で逮捕され、被害者に230万円の賠償金を支払う必要があります。
   至急下記口座にお振込下さい。(下略)」

おかあ―
私にも先週来ました。
でも、完全に同文ではない、「おとう」さんのお子様は230万円だけど、私のお子様は90万円です。
親の支払い能力も、ちゃんとジェンダー格差を見込んで算出しているようです。日本語能力は怪しいけど。

三太―
おかあ、PC画面から目をあげて、リビングの窓のレースカーテンが閉まっているか、確かめた。
気持ち悪いのはネット空間だけじゃない。
リアルで、「24時間巡回」が室内の行動まで覗いてチャットする、それが個人の「覗き趣味」というのでなく、業務として共有している、
という恐ろしい人権侵害がまかり通っているからだ。(※2)

※1玉川徹氏 白タク疑いで中国籍の男逮捕に「ライドシェア…裏にどういう意図、思いが当局にあるのか」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
※2 ☆2.外環、陥没その後[第919号 2024.3.13「むらき数子 情報ファイル」
   ☆2-1.陥没以後の24時間巡回で、地域住民全体を「監視」「盗聴」



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(684) 天竜川

アルフレッド―
女将さん、メールの受信トレイがいっぱいです。
図書館のジロちゃんからも連日来てます。

女将(=おかあ)―
分かった、分かった、ジロちゃんに会ってきます。

三太―
図書館から帰ってきたおかあ、借りてきた本を「図書館の本の棚」に並べた。
た~くさん過ぎて、棚からあふれてる。

おかあ―
予約本を、先週申し込んだ本だけでなく、半年前に申し込んで何十番も待っていた本まで、いちどきに貸し出してくれたから。
<いつも、限度いっぱい予約しておく>というのは、コロナ禍で学んだ知恵(※1)。

アルフレッド―
前号からだいぶご無沙汰してる間、何してたんですか?

女将―
伊那谷へ行ってきた。その準備から後片付けまでアタマいっぱいだった。
去年の「恒例・夏の家出」(※2)の再訪。
いわば、「冬の家出」、冬にふさわしく、雪と晴れとが日替わりだった。
ホテルの窓から眺めて見て、伊那谷は、天竜川が暴れて作ったんだって、納得した。
ヒサコさんが、一日、クルマで連れ回ってくれて、いっぱいいっぱいお話聞かせてくれた。
リタイアしてからも、春から秋までは畑、冬は本読んだり友達と旅行したり押し絵を作ったり、おつきあいも多いし、
とにかく忙しいんですって。
作品のアルバムを見せてもらったら、龍がいた。

アルフレッド―
【天竜川の龍】ですね。


※1 (558)アルフレッド・図書館再開 
※2 (667)九百人のおばあさん


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(683) ガザからの龍

アルフレッド―
ガザから龍が来ました。
アラビア文字のカリグラフィーです。
パレスチナ子どものキャンペーン」の通信『サラーム平和』(※1)を紹介します。

「パレスチナ子どものキャンペーン」は、毎年、年賀状を作成してきましたが、
この冬は皆様へのご挨拶も年賀状の販売も控えさせていただきました。
デザインしたのはイブラヒム・ムフタデイさん、家と職場、自身のアトリエを失っています。

イブラヒムさんのメッセージ
「私は妻と子ども3人、両親とともに安全な場所を探して、あちこち移動しています。
ありがたいことに生き延びていますが、未来がどうなるのかはわかりません。
まずは「今」を心配しないとなりません。明日、安全で一緒にいられるかはわからないのですから。
失ったものは大きく痛みを伴います。
しかし、私たちは灰と瓦礫の下から再び立ち上がるでしょう。どんな困難があろうともアトリエを再建し、夢を再び取り戻したいと思っています。
私たちにはまだ「希望」があり、それがこの土地でこのような状況下で生き延びるための唯一の手段なのです。
世界中の自由な人々には、私たちを支援し、私たちのために、この不正義に反対する声を上げ、立ち上がるようお願いします。
私たちには普通の生活を送る権利、生きる権利があります。」

※1 『サラーム平和』2024年1月25日発行№128 特定非営利活動法人パレスチナ子どものキャンペーン


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(682) 辰年生まれ

アルフレッド―
今年、女将さんがいただいた年賀状には、名前に「龍」「辰」の字のついた人が何人もいたようですね。

女将-
そうね、生まれた年の干支を名前に付ければ、周囲も本人も、一生涯、死んだあとでも、「何年生まれだ」か一目瞭然。
いま、活躍中の国会議員「川田龍平」さんがその一人、1976年の辰年生まれ。
彼のシンボルマークは、西洋系ドラゴンの中で私の一押し。(→図)

テラのおかーさん―
エルマーの冒険のドラゴン、最高にカワイイ!(※1)
エルマーの「ボリス」に1票!(笑)


アルフレッド―
ま、興奮しないで。どっちも、ということで。
で、「龍」「辰」のついた名前の人は、みんな辰年生まれ、ということですね。

女将-

そうだと思う…
「靖国合祀取り消し訴訟」原告の「菅原龍憲」さんは1940年の辰年生まれだし。
『給食の歴史』を書いた「藤原辰史」さんは1976年の辰年生まれ…

三太-
ちょっと待った、「川端龍子」ってえ画家は、
1885年=明治18年の「酉年(とり)」生まれだぞ。

女将-
えっと……
はるか昔、同級生に「龍一」くんがいた…
同い年なんだから、辰年生まれのはずはない…
「干支」の字の名前で、「何年生まれだ」か一目瞭然、という説は撤回します。


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(681) 辰・りゅう・龍 

アルフレッド-
女将さん、年賀はがきのお年玉引き換えに郵便局へ行きました。

女将―
今年はお年玉がたくさん当たったんだけど、切手は干支の龍じゃなかった、「束ね熨斗」っていうんだって。

アルフレッド―
で、恒例、年賀状机上展覧会、やるんでしょう?(※1)

女将―
はい、やります。私の生きがいです。
でもねえ、昨年末に自分の出す年賀はがき用の「龍」を探したときにもなかなかピッタリするのが見つからなかった。何年も心がけてきたのに。
「辰」といい、「りゅう」といい、想像上の動物だから、どう造形してもかまわないわけだけど。
NHKテレビは『実在しない生きものですが』って特集組んでた、4千年前に絶滅した巨大ワニがモデルなんじゃないか、って言ってたみたい。(※2)
西洋のドラゴン、「竜」って訳すけど、騎士に殺戮されて宝と姫君を略奪されるっていう損な役回り、絶滅寸前。日本で言えば桃太郎に殺される鬼。
邪悪な怪獣というイメージで、醜怪に描かれる、年賀状にはふさわしくないって、たいていの人は思うんでしょうね。
東洋の「龍」は、雨や水を司り嵐を起こし山を動かす、天翔ける聖なる精、皇帝の象徴。

三太―
はじまり、はじまり―
「タツ年」なので、まずは、タツノオトシゴのパレード①
ついで、ゆるキャラな龍たち②。描き手は、80才超えて地域で活躍中のお姉さま、少し妹。
カラフルな東洋の龍の登場③。90才の描き手「み」さんの迫力。
嵐を起こして暴れ回って去ったあと、人間が恐る恐る形どった龍④。
HNさんが作りためた干支の羽子板、全員集合!⑤
ああ、デコちゃんのりゅう⑥がやっと来た。

女将―
西洋系。騎士を避けて山奥で暮らす草食系のりゅう一家の子ども。
長距離飛ぶにはスタミナが足りない。
で、空から落っこって…

アルフレッド-
エルマー君に助けてもらった、ボリス君ですね。(※3)
両親ときょうだい、あわせて16匹のりゅうの、色・模様がすべて違うんだそうです。

女将―
今年も、干支を超越して猫が来た。⑦
ボリスの窮状を伝えてエルマー君を救出に向かわせた立て役者「年取った野良猫」にそっくり。


おらあ三太だ!(681) 辰・りゅう・龍 2024年「年賀状机上展覧会」

①タツノオトシゴのパレード

②ゆるキャラ「龍」3態


③飛翔する東洋の龍




④龍頭
(左)湧水を守る(新潟県中魚沼町津南町、龍ケ窪) 
(右)龍虎の舞  (静岡県賀茂郡南伊豆町)     


⑤十二支羽子板







⑥エルマーのりゅう「ポリス」


⑦東京都多摩市の猫



※1 毎年、いただいた年賀状の机上展覧会を楽しんでいます。
 2018年 (477)アルフレッド・狛犬さん に(犬)
 2019年 (514)アルフレッド・狛犬さん み(イノシシ親子)
 2020年 (542)アルフレッド・ねずみは福の神
 2021年 (579)アルフレッド・卒業 (牛)
 2022年 (613)虎か猫か(猫)
 2023年 (646)干支引き継ぎ式(象)(写真は12年前のウサギ)
※2 NHKの「ダーウインが来た!「お正月特集 龍のナゾを大研究!」2024.1.14
実在しない生きものですが、この地球上には龍そっくりの生きものがたくさん!
※3 『エルマーのぼうけん』ルース・スタイルス・ガネット作、ルース・クリスタン・ガネット絵、渡辺茂男訳、福音館書店、1963
『エルマーとりゅう』1964、『エルマーと16ぴきのりゅう』1965。


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