■ 第二章「憲法」普及の取り組みと公布・施行の賑々しさ |
この日を祝って政府はお酒と“憲法煙草”と称する煙草(☆24-1)を、各家庭に特配した。酒は「成年男子一人当り二合、女は世帯単位で二合ずつ」(46.10.14)、煙草は「男が十本、女は五本」(46.10.23)である。お酒も煙草も一種のぜいたく品として、容易に手に入らなかった時代、「憲法」と一緒にこれらの品を人々に与えようとする政府の心意気も感じられるのである。思わぬ特配に、飲めない、喫えない人は、これらを横流しして、食糧との交換物資に役立てている。
しかし、何度も言うようだが、飢えていた人々にとって、鳴物入りの「憲法」も案外盛り上がらなかったようである。(☆24-2)
「国旗もチラホラ、慎ましやかにお祝い」と題する記事には、 「・・・マ司令部から許可された日の丸の国旗を掲揚した家もちらほら、賑やかなお祭気分はなくて、案外つつましい新憲法公布の記念日であった」(46.11.4)と。これを見ると、禁止されていた国旗掲揚は、この時に初めてマッカーサーから許可がおりたようだ。
このことに関してついでにいえば、国会・裁判所・総理官邸などいわゆる立法・司法・行政という国家の主要3機関と皇居の建物の屋上に許可されたのは、それから半年後の‘47年5月3日の施行の時だった。
5月3日の施行の日は、公布時の華々しさより記事そのものもトーンダウンしていて、翌日の一面トップは、「日本再建の旗印」という題で、進駐軍茨城軍政部(☆25-1)の談話が発表されている。
「・・・旧来の日本の政治理論によれば、国家とは国民が全面的に忠誠であらねばならぬところの、国民から遊離した存在であった。国民は政府に奉仕し、政府は国民をその恩恵として保護し、面倒をみたのである。国民は国家に対し、何等の権利をも有しなかった。・・・
・・・も早や国民は、国民から選ばれたものでない一握りの少数者に対し、尊敬したり服従したり支持したりする必要はない、も早や政治の運営に当るものは、上司に対する忠誠の義務もなければ、すべての国民が彼に対して全面的に忠誠であり、奉仕することを確保することも維持することも必要ではない。・・・」(47.5.4)
と、国家と国民の関係、いってみれば、天皇と国民との関係をあざやかに説いているものと解される。
なお、この日に合わせて、旧制中学生・女学生による模擬国会の催しが大々的に開かれていたり、また新しい六・三・三制度による新制中学の発足の日とも重なっていることを付け加えて、新しい教育の出発について、次に見ていきたい。
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■ 注
☆24-1-1猿島郡は煙草の産地なので、煙草は貴重な換金作物であり、自家用にして子供まで吸ったり、闇に流したり、と多様である。食糧増産と競合して減反・増反をくりかえし
ながら、食糧供出の報奨物資として特配される物でもある。
「郷土帳 ◇猿島郡逆井山村国民学校の児童達は最近夜遊びを覚えて自家製の巻煙草を盛んにふかしている、甚だしいのは吸がらを道ばたになげ捨ててゆくので冬季の乾燥期になると頗る危険千万、防火上甚だ困る問題として学校当局に対して注意方を要望して居る
◇勿論同村ばかりでなく境地方は葉煙草の産地だけに父兄たちの自家用煙草の製法を毎日見ているので児童達もすっかり製法を覚え鼻から煙をだしている」(45.12.2)
「配給のお知らせ 境専売局出張所では正月用煙草一人当り三十本づつを月末までに隣組を通じて配給」(45.12.6)
「煙草の増産特配酒
境、岩井全専売局出張所管内、岩井管内十六石、境管内二十四石を・・・境税務署の清酒移入が遅れ旧正月早々配給することになった」(46.1.30)
「藷類の増産へ 煙草作減反荒蕪地開墾等」(46.5.18)
「”憲法煙草”を特配 男が十本、女は五本」(46.10.23)
「一日に配給 日立方面の憲法タバコ特配」(46.10.31)
「煙草巻きが副業 これはこまった、村の人達
境警察署の経済室には連日の如く葉煙草や自製巻煙草の横流しが検挙・・・」(47.1.14)
「全村こぞり 葉煙草増産」猿島郡猿島村。「自製煙草」森戸村若林(47.3.25)
☆ 24-1-2 佐藤和賀子「一冊の家計簿からみた戦時下、終戦直後の暮し―昭和一八年から二一年における茨城県鉾田町の一事例―」(『鉾田町史 七瀬』6、1996、p.1-31)によって、都市部の非農家の煙草をめぐる動きを見ると―(p.21)
「煙草に関しては、A家史料が、一九年一○月一七日に「煙草も今月いっぱいで常会配給になる話」と書いている通り、一一月には常会単位の配給となり、男子一日六本の割り当てになった。そのため、常会配給が通知されてからの半月間は、煙草の買い溜めが当町でもおこった。たとえば、一○月二二日には、「たばこ買いのため今朝も四時に起きて行ったが、とうとう金鵄(煙草の銘柄)は買われなかった」、二四日は「今朝のたばこ買いで父が三時におきた」、二七日「今日も父三時におきて煙草買いに行ったが一七番目で駄目であった」、二八日には「今朝は父一二時に起きて煙草買いに番取り」の如く煙草買いが加熱してゆく様子を日記は伝えている。早朝に起きて入手した煙草は自家用に消費せず、酒四合を譲ってもらった礼として金鵄四○本、粉せっけんに対してきざみ煙草一個、また、終戦後は醤油の不足が著しく、醤油五升を一○円で「無心」した礼として煙草百本を上載せしている。煙草の値上がりも著しく、一八年一月から二○年三月までの間に「光」は一八銭から六○銭に、「金鵄」は一○銭から三五銭に上がった。
昭和二○年八月一日には、成人男子一日三本の配給となり、代用煙草がつくられるようになった。」
☆ 24-1-3 鹿野政直・堀場清子『祖母・母・娘の時代』岩波ジュニア新書96、1985年、p.186―
「「新しい憲法の誕生、なんと言う喜ばしいことでしょう。その明るい日にお酒や煙草の特配も大へん結構です。いかがでしょう? もう一つ特配に大増収のイモをお加え下さったら。それこそ大よろこびです。」
日本国憲法の発布を目前にひかえた一九四六年一○月一七日、『朝日新聞』の「声」欄にのった投書です。書き手は、徳島市の主婦の小西寿美恵。空腹をかかえて、毎日のたべものの確保に頭をなやます主婦の実感が、あふれています。」
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☆ 24-2 朝日新聞社世論調査室『テーマ別にみた全国世論調査一覧 民意50年の流れ1946−95年調査』(1996.4)に、次の3回の世論調査結果が見られる。
[1952年2月] 日本の憲法をひと通り読んだことがありますか
? ひと通り読んだ 14 ?一部読んだ 19 ?読まない 67
[1957年11月] あなたは、いまの憲法を読んだことがありますか、全然読みませんか
? 読んだ 39 ?全然読まない 61
[1962年8月] いまの憲法を読んだことがありますか、全然読みませんか
?読んだ 44 ?全然読まない 56
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☆25-1 茨城軍政部については、第二部で述べる。
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