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★乳がん患者と家族友人のためのコーナーです。つまり、すべての人のためのコーナー。



2021/4/11 (日) (19)嬉しい変化
上野秀樹監修『大腸がん 病後のケアと食事―再発・悪化を防ぐ 安心ガイドシリーズ』株式会社法研、2019 

「【はじめに】・・・外科医として多くの患者さんんの手術に携わってきましたが、手術後に最も多いご質問は日常生活の留意点に関するものです。・・・本書は手術後の食事の留意点に関する内容を第1章に据え、第6章までに大腸がんの基礎知識、具体的な治療方法の解説、手術の後遺症や薬物療法の副作用への対策、手術後の日常生活の留意点、行政の行っているサービスなど、患者さんやご家族が手術後に必要となる知識・情報が網羅されています。」

私は、35年前の経験から、「家族と医療関係者は隠すために膨大なエネルギーを費やしていた。隠したためのトラウマも負う。隠すために費やすエネルギーを、治療後のサポートに向けて欲しい、と痛切に思った。」と書いてきました。(「アワビのつぶやき(17) 「闘病記」の変遷」)。

願いに応えてくれる本と、執筆した医師をはじめ、出版関係者に、感謝します。
医師から「悪性」「がん」と言われても、即死することはありません。

知り合いがガンになると、治療・退院後『一年はおとなしくして、仕事もつきあいも、すべて半分か三分の一に減らすように』とアドバイスしてきました。(「アワビのつぶやき」(13)「乳がんの語り」 )

ところが、この頃、70歳以上の人に同じことを言ってよいのかと悩んでいます。

70歳以上の人にとって、10年先20年先のことよりも、今の1年を完全燃焼して生きたいと思うかもしれない・・・。 



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2015/12/23 (Weg) (18)マンガ『がんのひみつ』
図書館の子ども室で、見つけた本です。
ピアノ教室を開いている伯母さんが入院したと聞いて駆け付けた小学生・竹本ヒロトが
従妹と一緒に、病院の主治医池田先生(女)からがんについて聞く、という設定です。

ドラマなどで刷り込まれているヒロトは、反射的に「伯母さん、死んじゃうの?」と思
います。池田先生は、ガンと診断されたとたんに即死するわけではないこと、ガンという
病気の成り立ちや治療法を話してくれます。「まめちしき」も満載されています。
治療後の、生き延びるための知恵・サポートを求め続けてきた私には、次のページが嬉
しく印象に残りました。

【第4章 手術のあとはどうするの?】
池田医師
「がんは『100%よくなった』と忘れてしまうことはなかなかできない病気です。
ですから自分の体の状態を知って、うまくつき合っていくことが大切です。
そのためには、周りの人たちの助けが何よりの力になります・・・!」

退院後、夫・子どもたちの協力で養生につとめた伯母さんが術後1年目にピアノ教室を
再開する、というところで、マンガは終わります。
家計を心配しないで療養できる社会になることを願いつつ、ガンと向き合って生きてい
る人とその周辺のすべての人にこのマンガをお奨めします。

【蛇足】―しぶとく生き延びてきたお蔭で、外国旅行も楽しんでいます。
今年(2015)行った、スペインの首都マドリードの中心地・シベ―レス広場では、こんなキャンペーンに出合いました。(→写真)

※『がんのひみつ 学研まんがでよくわかるシリーズ89』漫画・田川滋、構成・橘悠紀、2013.10.1初版。企画・制作・監修:独立行政法人国立がん研究センターがん研究開発費「ソーシャルマーケテイングを活用したがん予防行動およびがん検診受診行動の普及に関する研究(23−A-5)」 担当者:溝田友里、山本精一郎、澤田典絵、福吉潤
発行:株式会社学研パブリッシング

※『がんと一緒に働こう!――必携CSRハンドブック』合同出版、2010.5.1



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2013/3/13 (Weg) (17) 「闘病記」の変遷
「『死への準備』日記」と「生きる者の記録」のあいだ

前号((16) 「闘病記」の変遷 (第515号 2013.3.3)に、
「私も、『歴史』なんだ!」
と書いたあとで、10年前に書いたものが「がん観の転換」の証言となっていることに気づきました。
 「アワビのつぶやき」連載開始前に書いたもので、ゼロ号にあたるものです。
 術後10年たっても、昨今のように陽気の変動が激しいと、アワビが存在を主張してきま
す。
QOLを重視する態勢がどこの医療施設・福祉施設でもあたりまえに実現され、家計を心

配しないで治療できる社会になることを願って、掲載します。

* *   *   *   *   *   *   *   *   *
☆☆「『死への準備』日記」と「生きる者の記録」のあいだ☆☆  
むらき数子  2002.12.29
毎日新聞 http://www.mainichi.co.jp/eye/satou/index.html に、12月3日から佐藤健と取材班による「生きる者の記録」が好評連載されてきた。

「<読者の皆様へ>
 「生きる者の記録」は、「末期がんになった者にしか書けないルポを残したい」という佐藤健・専門編集委員の強い思いが出発点になっています。同じ病と闘う人々の姿やがん治療の現状をも含めてリポートしていきます。」
と、掲載当日の佐藤さんの様子を同時進行で添えた紙面には、感慨無量・・・

 17年前、私が前回、がんを患ったとき、読みあさった中に、千葉敦子さんの「乳ガンなんかに負けられない」以下の著書があった。
1987年、「朝日ジャーナル」に同時進行で連載される「『死への準備』日記」を読みながら、千葉さんは、がん患者を“死んだ者扱い”する日本社会を拒否してニューヨークで最期の瞬間まで“生きる”ことを選んだのだ、と思った。その手記に、なお『死への準備』というタイトルをつけたのが誰だったかは、今私にはわからない。が、がん患者イコール死ぬべき者という世間の常識を反映し、「売れる」タイトルだったのだと思う。
 その頃は、がんという病名を怖れ、隠すのが常識だった。「告知」という言葉がまがまがしく取り沙汰されていた。隠すこと、隠されることが、思いやりでもあった。患者にとっては周囲のすべての人が自分に対して隠し事をしている、自分をのけ者にして自分の運命が決められている、誰を信じてよいのかわからなくなる、孤独地獄に通じた。
隠す社会に病名を公表することは、千葉さんが書いたように、“死んだ者扱い”されかねなかった。まだ、生きている、生きていくつもりなのに・・・

 当時、私はガン患者の一人として、自分の病気を知らなければ、せっかく救われた命を大事にできないのだ、と書いた。重大性の認識がなければ、薬を飲み忘れる、休業分を取りもどそうとして無理して過労に陥る、そして再発を招いてしまう。
 単に「告知」すべきだ、とは思わない。知りたくない人、誰かに決めて欲しい人、人はさまざまだし、何よりも「『告知』さえすればいいんでしょ」と病気の説明だけでオシマイでは困る。病名を知ってから後、どうしたらいいのか、を支えてくれるのでなければ、隠してくれるほうがマシだ。
 家族をはじめ、周囲の一般の人にとっては、病名を知った患者とどうつきあったらよいのか、がわからない。だから、接触を避けてしまう、その結果、患者を孤独地獄に隔離してしまうことになる。これは私自身が「家族・一般」の側で経験してきたことである。

 患者に気付かれないように苦心して連絡するなど、家族と医療関係者は隠すために膨大なエネルギーを費やしてきた。隠したためのトラウマも負う。
隠すために費やすエネルギーを、治療後のサポートに向けて欲しい、と痛切に思った。


近年、いくつかのがんの場面で、医師たちが「がん」という語を使わずに「告知」する配慮をしていることを実感してきた。「がんセンター」という名の病院では、医師もストレートに「がんですね」と言うようだ。
今朝12月29日の朝日新聞朝刊に
「天皇陛下、前立腺がん 転移なし、摘出で根治 宮内庁発表 来月に手術」
14年前の「自粛」現象の裏で隠し続けた宮内庁・マスコミが、今、公表していることに、世の中の変化を見る。

問題はその先である。
再発予防のために大きく切除し障害が残ってもやむなしとするか、障害を軽くする工夫をするか・・・痛むのは仕方がないとするか、痛みを軽減する努力をするか・・・がんを患った後に生きる生活の質(Quality of Life)=QOLをどう考えるか、である。
 今回、私は、埼玉県立がんセンターで、「QOLが一番大事ですからね」と言う医師に出会い、実践している看護師たちに出会った。病院として、医師の告知後に、看護師が患者の話を聞き支える「乳腺フォロー」という時間を設けている。入院中は、患者に一対一の担当看護師をつけて、患者の話を聞く態勢をとっている。院内で、看護師たちがボランテイアで「がんを知って歩む会」を開催し、患者・家族・友人に、がんを知って“生きる”ことをサポートする。
 とくに、「がんを知って歩む会」のとりくみは、隠すために費やしているエネルギーを、治療後のサポートに向けて欲しい、という私の願いの実現であった。

 そんな思いを新たにしているところへ、毎日新聞の佐藤健記者のルポ。末期がん患者の手記のタイトルが、「『死への準備』日記」ではなく、「生きる者の記録」となったことに、がんをめぐる日本社会は確かに変ってきた、と実感する。
QOLを重視する態勢が、一つの病院のエピソードでなく、どこの医療施設・福祉施設でもあたりまえに実現されることを望んでやまない。



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2013/3/5 (Tue) (16) 「闘病記」の変遷
「闘病記研究会」『社会学から闘病記へのアプローチ』に行ってきました(※1)。
このシンポジウムは、「開催にあたって」(※2)によれば、この数年、書籍やブログなど飛躍的に増加し、「様々な形態を通して患者・家族・市民に役立ち始めてい」る「闘病記を多角的な視点から光をあて、闘病記の持つ力を探る試みです。」
私自身は、まとまった形の【闘病記】を書いたことはありませんが、先輩患者の体験記を読み漁った時期もあったのを思い起こしました。
この日の報告者たちから、患者の家族であり、患者本人であるという私個人の40年間の経験が、その間のがんをめぐる日本社会の医療環境・がん観の変遷と密接に関わっていたことを、客観的に跡付けてもらいました。
私も、「歴史」なんだ!

野口由里子さんの、千葉敦子さんについての報告(※3)は、千葉の一連の著作が「闘病記」というジャンルを生みだし、その後の患者たちに「千葉チルドレン」を生みだした、と私には聞こえました。若い研究者から見れば、そういう位置づけになるのか、と思いました。女性の生き方の提起だという指摘は鋭い。
 私は、30年前、千葉著作をリアルタイムで読みながら、「闘病記」だと思ってはいなかった。体験記の一つとして読み、学んだのだが、私も「千葉チルドレン」の一人ということになるのかもしれない。
 千葉さんは、「がん患者は死んだ者扱い」される日本の医療・患者環境・がん観に抗議し、変革を望みつつ、日本で殺されることを拒否してアメリカで生きることを選択したのだと、私は思ってきました。
自らを素材として日本の医療・患者環境を告発したジャーナリストの仕事だったのだと今にして思います。

私が体験記を読み漁ったのは、何を求め、何を知りたかったからか?
病気の発症のメカニズムでも、治療の技法や薬品名でもない。執刀医の評判でもない。「何のために生きるか」なんていう抽象論(※4)でもない。
ひたすら、治療が一段落して退院してからの、「どう暮らすか?」―日常そのものの、生き延びるための具体的な技術・知恵―

薬を忘れずに飲むには?
医師とはどう付き合うか? ただ指示待ち? 気の進まないときにイヤだというには?

消化器の術後、たとえば、「ゆっくり良く噛む」ためには、テレビを見ながら、新聞・本を読みながら、気を散らして時間をかける。これは「お行儀が悪い」と感じる自分の価値観を変えることが必要。
病名を誰に話してよいか、隠すならどのように嘘をついていくか、職場でどのように体調を保つか、リハビリのための労働環境の闘い方、等々・・・

つまり、いかにして再発・転移を予防し生き延びるか、を知るためでした。
その情報が三十数年前には絶望的に少なかった。患者となった人間が、治療後に生き続けるとは思われていなかった。

私自身は、がん患者の家族でもあり、患者本人でもある、という立場になってからも、「闘病」とか「克服」という言葉はぴんとこないまま生きてきました。
がんに罹っても、すこしでも生き易く、生き続けたいと思える世の中であってほしい、と思い、その実現を願ってきました。
直接接する人びとに、自分の知り得た「生き延びるための知恵」を伝えることで、ささやかですが、患者環境の改善に努めてきたつもりです。そのために「闘病記」ではなく、「アワビのつぶやき 」も書いてきました。

 
約40年の間にがん患者へのまなざしは、「死んだ者扱い」「死ぬはずの者」が、「今、生きている者」「生きたがっている者」となり、昨今ではあまり特別視されなくなってきたようだと、私個人の体験・マスコミなどの扱い方から感じてきました。
門林道子さんの報告「闘病記の系譜―『生きる力の源に:がん闘病記の社会学』から」などで、それが「隠し嘘を言う」から「告知」の一般化へ、さらに必要な情報の提供へという日本の医療の客観的な変化と連動していたことを跡付けてもらった、という感じでした。(※5)



※1 闘病記研究会『社会学から闘病記へのアプローチ』
2013年2月23日(土) @京都大学東京オフィス会議室
【主催】平成24年度厚生労働科学研究費補助金(第3次対がん総合戦略研究事業)『国民のがん情報不足感の解消に向けた「患者視点情報」のデータベース構築とその活用・影響に関する研究』研究班(研究代表者:中山健夫)
【事務局】闘病記研究会実行委員会(健康情報棚プロジェクト事務局)
※2「開催にあたって フォーラム実行委員長 石井保志」
※3 野口由里子「"闘病記なるもの"の検討 −千葉敦子の闘病記から見るその生成と展開−」
千葉敦子のガンに関する主な著作(むらきが選んでいます)
   1981『乳ガンなんかに敗けられない』文芸春秋
   1986『ニューヨークでがんと生きる』朝日新聞社
   1987『「死への準備」日記』朝日新聞社
※4 中山健夫「闘病記とエビデンス」のレジュメの一部
・さらに、闘病記やインターネット上のナラテイブ情報は「実存的な問い」(池見酉次郎『行動医学、生命倫理、心身医学』1982、静岡分類 13.生き方・生きがい・価値、13.1人生観、13.2生き方)に向き合う患者・国民にとって貴重な「患者視点情報」源となり得る。
※5 門林道子『生きる力の源に:がん闘病記の社会学』青海社、2011年p。54
「がんは、遺伝病や業病ととらえられ、1970年代まで患者本人に病名を伝えないのが当然とされた。前述のS.ソンタグが、がんは「20世紀の現代病」であり、「死に最も近い病い」と記しているように、「がんになること」でステイグマを被ったりするとの理由からがんの「告知」には慎重論が伴った。1980年代後半になるとがん告知が医学界で活発に論議されるようになったが、一般化への移行期には、他の時代に比較するともっとも衝撃性をもって、「告知」について語られたことが明確である。
 しかし現在、がんは、治療の流れにおいてみてきたように2人に1人がかかる日常的な病気になり、早期発見の徹底や治癒率の上昇により約半数が治る時代になっている。また、再発や転移の経験、あるいはがんと共存しながら長期に生きる人々も増加している。必ずしも「死に至る特別な病い」ではなくなった。そのような時代の「告知」は、患者にとって必要な情報と医学界では認識されている。」



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2011/7/23 (Tue) (15) みすみす・・・
半月前、泊まった山の中の宿。軒下でのバーベキューがおいしかった。
ふと、気づいたら、足元をブユが飛び交っていた。
ブユに刺された跡が、腫れ上がり、熱を持っていた。
三日後に腫れは引いたが、跡はこの夏中残りそうだ。


術後のリンパ浮腫対策の一つに、全身的に「怪我や火傷をしないように」というのがある。つまり、「リンパの流れを」刺激しないことが大事だというのがあったのを思い出しました(※1)。
「虫に刺されないように」というのも、身を守るために必要な注意だと実感しました。
同じテーブルにいた、両側手術したS.K.さん、腕のむくみが悪化してないといいけれど・・・


「癌がなぜ起こるか」
35年間、がん患者として家族として、「がん」関係本を何冊も何冊も読んできたけれど、
児玉龍彦先生の説明(※2)は、すごーくわかりやすかった。


“癌がなぜ起こるかというとDNAの切断を行います。
ただし、ご存じのとおりDNAというのは二重らせんですから、二重らせんの時は非常に安定的です。
これが、細胞分裂をする時には二重らせんが一本になって、2倍になり4本になります。
この過程のところがものすごく危険です。
そのために、妊婦の胎児、それから幼い子ども、成長期の増殖が盛んな細胞に対しては放射線障害は非常な危険をもちます。
さらに大人においても増殖が盛んな細胞、たとえば放射性物質を与えると髪の毛、それから貧血、それから腸管上皮の、これらはいずれも増殖分裂が盛んな細胞でして、そういうところが放射線障害のイロハになります”


実際には、さらに次のショックが加わって、10年も20年もたって発病する。
20年前に何が悪かったのかを思い悩むよりも、今、これからの放射線障害を防ぐことにエネルギーを向けたい。


脱・原発!



※ 1 6. 喉元過ぎても 
『リンパ浮腫がわかる本―予防と治療の実践ガイド』(廣田彰男・重松宏・佐藤泰彦、法研、2004年)

※2. 2011年7月27日 (水) 衆議院厚生労働委員会における、
「放射線の健康への影響」参考人・児玉龍彦氏(東京大学先端科学技術研究センター教授
東京大学アイソトープ総合センター長)の説明より、内部被曝と癌の関係の部を抜粋。

音声で聞きたい方は → youtube

文字で読みたい方は→ こちら



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2010/8/24 (Tue) (14) おすすめ本
がん」という病気の解説本はいっぱいある。「がん」患者の体験本もいっぱいある。
けど、一番欲しいのは、「これから、どうしたらいいの?」という知恵。

この本、オススメ! 『がんと一緒に働こう!――必携CSRハンドブック』(※)

まず最初の項目が

 「病気になったら仕事を辞めなければならないの?」

とんでもない! 

「がん」と診断されたって、その瞬間に死ぬわけではない。病気だけに専念して生きてるわけにはいかない。

「人はなぜ働くのか?」意義づけは人それぞれ。

働きたくない人にも、働けない人にも、絶対必要なのはお金。

そしてQOL(Quality of Life=生活の質)にとって、重大なのが、知恵。


仕事を失わない・継続していくための権利・制度・法律・相談窓口。

療養のための保険・社会保障制度。

周囲にどう話すか、何をどう食べるか、見た目のカバー、心身不調への備え・・・。

この本の「第6章 ワーキンググッズ&生活術を大公開」は、治療後の大小さまざまな悩みを乗り越えてきた経験者たちの工夫の数々。

この章だけでも、読む価値あり。

Shiyohさんのマンガがいい、可愛いキャラが、欝を忘れさせてくれます。


生活術 リンパ浮腫対策




※『がんと一緒に働こう!――必携CSRハンドブック』合同出版、2010.5.1

 編者:CSRプロジェクト(Cancer Survivors Recruiting Project)=東京大学医療政策人材養成講座4期生桜井班が中心となった調査研究「がん罹患と就労(2008)」による政策提言や課題解決を実現するために立ち上げたプロジェクト。



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2010/1/21 (Thu) (13) 「乳がんの語り」
前回(第317号 2008.3.5(12))から約2年ぶり、久々の「アワビのつぶやき」です。
術後8年目に入りました。
ホルモン剤服用をやめて満1年過ぎてから、副作用の「腕のだるさ」は忘れてすごしています。アワビもほとんど自己主張をせずおとなしくしています。
「血のめぐりの悪さ」、は、手足の指先のほうは改善されてきましたが、アタマのほうは依然として、ですね。


今年に入って、S夫妻と長電話しました。
彼女が「肺ガンの可能性が高い」と言われた、頭が真っ白。

どうしよう、どうしたらいい? これからどうなる?
大きな病気をしたことがなくて、病院というところとは縁がなかった。
セカンド・オピニオンって、どうやるの?


昨日は75歳のK先輩と、互いの乳がん体験を初めて話題にしました。
「知り合いがガンになると、『一年はおとなしくして、仕事もつきあいも、すべて半分か三分の一に減らすように』って言うことにしてます。『一年我慢すれば、あと何年か何十年か、生きられるのだから』って。過労が再発・転移の引き金になるから」
「それを言ってくれる人がいれば良かったのにねえ。私は、退院してすぐ、『もう、大丈夫、元気よ』って言ったものだから、周りも『それなら』って、以前よりもっと忙しくなっちゃって。で、リンパ浮腫になっちゃって・・・」
残念、K先輩が新米患者だった当時は、まだお知り合いになっていませんでした。


ナース(看護師)である友人オレンジさんが知らせてくれました。
「乳がんの語り」は、特定非営利活動法人 健康と病いの語りディペックス・ジャパンによるサイトです。
このサイトで、「医療を受ける側の人々が、日々の生活の中で病気をどのように体験したか」を読んで、一つ深呼吸してみてください。



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2008/3/5 (12) 治療法あれこれ
「おらあ三太だ!」はお休みして、3年ぶり、ひさびさの「アワビのつぶやき」です。
むらきは、おかげさまで、術後満5年経過して、ホルモン剤服用をやめました。服用し始めて1年過ぎてからあらわれた、副作用から解放されることを期待する日々です。
でも、ホルモン剤をやめたからと言って、5年前の体に戻る保証はないですね、副作用だと思ってきた「血のめぐりの悪さ」が、実は「老化」だったりして。


    *   *   *   *   *   *   *   *   *


アワビの先輩、八王子のKさんから、62歳の誕生日を迎えてのおたより―

私が乳がんの手術を受けたのは12年前になります。
幸い再発や転移はなく、年1回、手術した大船病院まで定期検診に行くときしか自分の癌を思い出さない状況でした。
しかし昨年妹二人がそれぞれ乳ガンと分かり、いろいろ相談を受けて、何年かぶりに癌に関する本などもいろいろ読みました。
今では温存手術がかなり増えてきていますが、私の頃は平均するとまだ2割以下でした。私も、いろいろ本を読んだり調べたりして、慶応病院放射線科の近藤医師と大船病院の雨宮医師にたどり着きました。

大船で手術と抗がん剤を慶応病院で放射線治療を受けましたが、当時は手術方法は気になりましたが、治療方法については医師の提案するままで、抗がん剤を拒否することなど考えても見ませんでした。

最近は抗がん剤の功罪がいろいろ言われるようになり、抗がん剤を拒否する患者も少なくないようで、全摘手術した妹は、勧められた抗がん剤を断ってパーセプチン治療(週1回の点滴で、1年間予定)を受けていますが、毎回25000円も費用がかかるそうです。

もう一人の妹は、約5ミリの大きさで見つかり、温存手術でした。やはり、抗がん剤には不安を持っていましたが、放射線とホルモン剤を服用する治療で良いことになりほっとしていました。この妹はホルモン剤の副作用は感じていないようですが、「アワビのつぶやき」を読むと、ホルモン剤治療の場合も副作用があるようですね。

抗がん剤に限らず、放射線、ホルモン剤等々、副作用は人によって現れ方が違うのですね。


乳ガンは家族遺伝性があるので、娘にもニ十代の今から毎年のマンモ検診など受けるように言っています。

またいつも主治医に言われることですが、太ると再発転移のリスクが高まると注意されているので、同じく成人病予備軍の夫と一緒に今年こそは減量しようと夜の散歩を始めました。



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2006/1/2 (Mon) (11) プレゼント交換
末益先生に、「アワビのつぶやき」のプリントを贈呈したら、DVDをくださった。

『安心して治療を受けるために 乳がん治療ガイド』。

「ひょっとして、乳がん? まさか・・・」と思ったときに見るといいDVDだ。

世の中にがん本はたくさん出回っているが、読んでも頭に入らない、自分の、あるいは家族の、友人の、状態が、本に書いてあることに該当するものなのか、そんなことどこで聞けばいいのか、というときに好適だ。いざ、病院へ行こうと思い立っても、どうやって病院を探したらいいのか、検査って実際にどんなことするのか、などの不安にも答えてくれている。

末益先生が「誰か、お友達にでも上げてください」、とくださったので、この「情報ファイル」読者にさしあげます。リクエストをお寄せください。

私の言う「アワビの自己主張」、専門用語では「乳房切除後疼痛症候群」というらしい。“厚生労働省研究班のアンケートでは、術後平均8.8年たっても22%が痛みに苦しんでいた。突っ張りやしびれなどの感覚に悩む人は、70%に上った。”(※)

乳がんは術後の医師とのつきあいが長い。医師との相性はQOL(Quality of Life=生活の質)にとって、きわめて重大。

埼玉県立がんセンターの乳腺外科の患者には末益ファンがいっぱい。このうえ、「アワビのつぶやき」を読んで、新しい患者が殺到したら、末益医師が過労で倒れてしまう。

それぞれが、自分と相性のよい医師を見つけて欲しい。医師は患者が育てるのだ。



※『朝日新聞』2005.12.26「がん 術後の生活? 乳房温存、再建に問題も 欠かせぬ説明・痛みは相談を」



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(9) いろいろ 
アワビの名付け親・Yさんから―

「アワビのつぶやき」が、私の言った「アワビが張り付いたようだ」という言葉からのネーミングだ(※)と今頃になって気づいて、面映い気持ちです。

ずっとご無沙汰していましたが、まずまず元気です。
レギュラー漢方薬《草木虫石の類》の中国3千年のお陰と思っていますが、なんとかリンパ浮腫も再発もなしに2年目を越しました。
私のアワビはこのところおとなしくしています。それでもときどきあっと思うほど痛んで「忘れていない?」と聞いてくるようです。
抗がん剤の副作用は足に名残を色濃くのこしていて、結構きついびっこをひくようになってしまいました。
診断的には左足くびの滑膜炎といわれましたが、なんせ歩くと腫れるのです。それでも週に二回ほどはジムに通って歩いたりこいだりしています。

またメールさせてください。
お元気で。



※アワビのつぶやき(1) アワビの由来(第171号 2004.12.22)


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