アワビのつぶやき...目次

2010/8/24 (Tue) (14) おすすめ本
がん」という病気の解説本はいっぱいある。「がん」患者の体験本もいっぱいある。

けど、一番欲しいのは、「これから、どうしたらいいの?」という知恵。



この本、オススメ! 『がんと一緒に働こう!――必携CSRハンドブック』(※)



まず最初の項目が

 「病気になったら仕事を辞めなければならないの?」



とんでもない! 

「がん」と診断されたって、その瞬間に死ぬわけではない。病気だけに専念して生きてるわけにはいかない。

「人はなぜ働くのか?」意義づけは人それぞれ。

働きたくない人にも、働けない人にも、絶対必要なのはお金。

そしてQOL(Quality of Life=生活の質)にとって、重大なのが、知恵。



仕事を失わない・継続していくための権利・制度・法律・相談窓口。

療養のための保険・社会保障制度。

周囲にどう話すか、何をどう食べるか、見た目のカバー、心身不調への備え・・・。

この本の「第6章 ワーキンググッズ&生活術を大公開」は、治療後の大小さまざまな悩みを乗り越えてきた経験者たちの工夫の数々。

この章だけでも、読む価値あり。

Shiyohさんのマンガがいい、可愛いキャラが、欝を忘れさせてくれます。


生活術 リンパ浮腫対策




※『がんと一緒に働こう!――必携CSRハンドブック』合同出版、2010.5.1

 編者:CSRプロジェクト(Cancer Survivors Recruiting Project)=東京大学医療政策人材養成講座4期生桜井班が中心となった調査研究「がん罹患と就労(2008)」による政策提言や課題解決を実現するために立ち上げたプロジェクト。
2010/1/21 (Thu) (13)「乳がんの語り」
前回(第317号 2008.3.5(12))から約2年ぶり、久々の「アワビのつぶやき」です。

術後8年目に入りました。

ホルモン剤服用をやめて満1年過ぎてから、副作用の「腕のだるさ」は忘れてすごしています。アワビもほとんど自己主張をせずおとなしくしています。

「血のめぐりの悪さ」、は、手足の指先のほうは改善されてきましたが、アタマのほうは依然として、ですね。



今年に入って、S夫妻と長電話しました。

彼女が「肺ガンの可能性が高い」と言われた、頭が真っ白。

どうしよう、どうしたらいい? これからどうなる?

大きな病気をしたことがなくて、病院というところとは縁がなかった。

セカンド・オピニオンって、どうやるの?



昨日は75歳のK先輩と、互いの乳がん体験を初めて話題にしました。

「知り合いがガンになると、『一年はおとなしくして、仕事もつきあいも、すべて半分か三分の一に減らすように』って言うことにしてます。『一年我慢すれば、あと何年か何十年か、生きられるのだから』って。過労が再発・転移の引き金になるから」

「それを言ってくれる人がいれば良かったのにねえ。私は、退院してすぐ、『もう、大丈夫、元気よ』って言ったものだから、周りも『それなら』って、以前よりもっと忙しくなっちゃって。で、リンパ浮腫になっちゃって・・・」

残念、K先輩が新米患者だった当時は、まだお知り合いになっていませんでした。



ナース(看護師)である友人オレンジさんが知らせてくれました。

「乳がんの語り」は、特定非営利活動法人 健康と病いの語りディペックス・ジャパンによるサイトです。

このサイトで、「医療を受ける側の人々が、日々の生活の中で病気をどのように体験したか」を読んで、一つ深呼吸してみてください。
2008/3/5 (12) 治療法あれこれ
「おらあ三太だ!」はお休みして、3年ぶり、ひさびさの「アワビのつぶやき」です。

むらきは、おかげさまで、術後満5年経過して、ホルモン剤服用をやめました。服用し始めて1年過ぎてからあらわれた、副作用から解放されることを期待する日々です。

でも、ホルモン剤をやめたからと言って、5年前の体に戻る保証はないですね、副作用だと思ってきた「血のめぐりの悪さ」が、実は「老化」だったりして。



    *   *   *   *   *   *   *   *   *



アワビの先輩、八王子のKさんから、62歳の誕生日を迎えてのおたより―



私が乳がんの手術を受けたのは12年前になります。

幸い再発や転移はなく、年1回、手術した大船病院まで定期検診に行くときしか自分の癌を思い出さない状況でした。

しかし昨年妹二人がそれぞれ乳ガンと分かり、いろいろ相談を受けて、何年かぶりに癌に関する本などもいろいろ読みました。

今では温存手術がかなり増えてきていますが、私の頃は平均するとまだ2割以下でした。私も、いろいろ本を読んだり調べたりして、慶応病院放射線科の近藤医師と大船病院の雨宮医師にたどり着きました。

大船で手術と抗がん剤を慶応病院で放射線治療を受けましたが、当時は手術方法は気になりましたが、治療方法については医師の提案するままで、抗がん剤を拒否することなど考えても見ませんでした。

最近は抗がん剤の功罪がいろいろ言われるようになり、抗がん剤を拒否する患者も少なくないようで、全摘手術した妹は、勧められた抗がん剤を断ってパーセプチン治療(週1回の点滴で、1年間予定)を受けていますが、毎回25000円も費用がかかるそうです。

もう一人の妹は、約5ミリの大きさで見つかり、温存手術でした。やはり、抗がん剤には不安を持っていましたが、放射線とホルモン剤を服用する治療で良いことになりほっとしていました。この妹はホルモン剤の副作用は感じていないようですが、「アワビのつぶやき」を読むと、ホルモン剤治療の場合も副作用があるようですね。

抗がん剤に限らず、放射線、ホルモン剤等々、副作用は人によって現れ方が違うのですね



乳ガンは家族遺伝性があるので、娘にもニ十代の今から毎年のマンモ検診など受けるように言っています。

またいつも主治医に言われることですが、太ると再発転移のリスクが高まると注意されているので、同じく成人病予備軍の夫と一緒に今年こそは減量しようと夜の散歩を始めました。
2006/1/2 (Mon) (11) プレゼント交換
末益先生に、「アワビのつぶやき」のプリントを贈呈したら、DVDをくださった。

『安心して治療を受けるために 乳がん治療ガイド』。

「ひょっとして、乳がん? まさか・・・」と思ったときに見るといいDVDだ。

世の中にがん本はたくさん出回っているが、読んでも頭に入らない、自分の、あるいは家族の、友人の、状態が、本に書いてあることに該当するものなのか、そんなことどこで聞けばいいのか、というときに好適だ。いざ、病院へ行こうと思い立っても、どうやって病院を探したらいいのか、検査って実際にどんなことするのか、などの不安にも答えてくれている。

末益先生が「誰か、お友達にでも上げてください」、とくださったので、この「情報ファイル」読者にさしあげます。リクエストをお寄せください。



私の言う「アワビの自己主張」、専門用語では「乳房切除後疼痛症候群」というらしい。“厚生労働省研究班のアンケートでは、術後平均8.8年たっても22%が痛みに苦しんでいた。突っ張りやしびれなどの感覚に悩む人は、70%に上った。”(※)

乳がんは術後の医師とのつきあいが長い。医師との相性はQOL(Quality of Life=生活の質)にとって、きわめて重大。

埼玉県立がんセンターの乳腺外科の患者には末益ファンがいっぱい。このうえ、「アワビのつぶやき」を読んで、新しい患者が殺到したら、末益医師が過労で倒れてしまう。

それぞれが、自分と相性のよい医師を見つけて欲しい。医師は患者が育てるのだ。



※『朝日新聞』2005.12.26「がん 術後の生活? 乳房温存、再建に問題も 欠かせぬ説明・痛みは相談を」
2005/11/24 (Thu) (10) びっくり仰天
8月の立秋の日に咲き始めた朝顔が、9月10月、延々と咲きつづけていました。ツルを取払ってみたら、もう立冬でした。

朝顔って、秋の花だったんですねえ。



陽気の変わり目には、アワビが自己主張して、患者なんだと思い出させてくれます。

5月15日の第189号以来、半年ぶりの「アワビのつぶやき」です。

乳がんの手術をして満3年経過、4年目に入りました。

依然として体力が乏しくすぐにガス欠状態に陥りますが、「情報ファイル」を「読んでますよ」の一言に励まされて、そこそこマイペースで生きてます。



埼玉県立がんセンターでの定期検診。

末益公人医師が言った、

「僕もガンだよ」

「術後のホルモン剤の副作用もあるよ」

と手のこわばりをほぐすグーパー動作をしてみせたので、びっくり。

「男性でもホルモン剤の副作用ってあるんですか!」



驚くのはまだ早かった。



「ガンはいい病気だよ。サドンデスじゃない。再発したって、3年の時間があるから、3年間、考えることができるんだから」

「その3年が、並みの人には地獄ですよ」

「僕も、並みの人間だよ」



うーん・・・ガンは転移・再発があるから、いやな病気だ、と思ってきた私にはビックリ仰天、晴天の霹靂。

30年間に5千件の手術をしてきた名医(※)が、自身も患者となっての言葉には磐石の重みがあります。



※『乳がん 治療&生活ガイド』イカロス出版、2004年8月10日
2005/5/16 (Mon) (9) いろいろ 
アワビの名付け親・Yさんから―


「アワビのつぶやき」が、私の言った「アワビが張り付いたようだ」という言葉から
のネーミングだ(※)と今頃になって気づいて、面映い気持ちです。


ずっとご無沙汰していましたが、まずまず元気です。

レギュラー漢方薬《草木虫石の類》の中国3千年のお陰と思っていますが、なんとか
リンパ浮腫も再発もなしに2年目を越しました。

私のアワビはこのところおとなしくしています。それでもときどきあっと思うほど痛んで「忘れていない?」と聞いてくるようです。

抗がん剤の副作用は足に名残を色濃くのこしていて、結構きついびっこをひくようになってしまいました。

診断的には左足くびの滑膜炎といわれましたが、なんせ歩くと腫れるのです。それでも週に二回ほどはジムに通って歩いたりこいだりしています。



またメールさせてください。

お元気で。



アワビのつぶやき(1) アワビの由来(第171号 2004.12.22)
2005/5/8 (Sun) (8) サード・オピニオン
私の場合−

乳がんかも知れない、と思ったときから、すでに3ヵ月経っていた。自分ではS医師
の診断は妥当だ、と感じている。手術の術式も、全摘ではなく乳房温存のセンチネルリンパ節生検(※1)を提示されている。

乳がんなら命にすぐは別状はない、とすれば、術後がどんな状態になるのか? QOL(生活の質)が最大関心事だった。

技術面での差異はあまりないだろうから、通院の便と環境とQOLへの配慮とで入院先を決めようと思った。


S病院はリハビリ体制が不十分のようで、QOLへの関心は低いと感じた。自転車で通院できるが、建物はオンボロで快適には遠い環境だった。環境が入院患者の精神状態に大きな影響があることは経験済みである。

「セカンド・オピニオン取らなきゃダメよ」という声に背中を押されて、センチネルリンパ節生検を実施しているがん専門病院をインターネットで探し、東京周辺に絞った。

その一つ、全国から患者の集まる超有名なK病院へ行った。環境が暗く、職員の対応がなじめなかったので、受診もしないで帰ってきた。

同じく超有名なG病院、環境は良かった。G医師は経過を聞き視診・触診して「これはガンじゃないですよ」と断言した。いぶかる私に「ガンだったら、3ヶ月の間に
もっと大きくなってますよ」と言いながら、フィルムをセットし、見た途端に「これはガンですね」と言った。前言を翻すという意識もなかった、5秒前に言ったことを覚えていなかった。あまりに無責任な態度に「この人とはつきあいたくない!」と、入院手続きをしないで帰ってきた。

「サード・オピニオンを取りに行きたいので、もう一回紹介状を書いてください」と言ったとき、サードまでというのは初めてだと驚きながら、気持ちよく書いてくれたS医師に感謝している。


サード・オピニオンを求めて行ったのは、埼玉県立がんセンターがんセンター(※2)。通院時間がかかるのが難点だと感じていたが、「納得いく病院なら、アメリカまで行くこともあるんだから」という夫の言葉に背中を押された。

環境はいい。

初診、紹介状を家に置き忘れていた。さぞいやみを言われるだろうな、と恐る恐る
言った、「パニくって紹介状を忘れました」

末益公人医師は「無理ないでしょう」と言ってくれた。

「この病院にきたのは、QOLを重視している病院だ、と読んだ記憶があったものですから」

「QOLが一番大事ですからね」と、一番聞きたい言葉を言ってくれた。

ここに決めた。


※1 センチネルリンパ節生検      
※2 埼玉県立がんセンターがんセンターホームページ
2005/4/10 (Sun) (7) セカンド・オピニオン
「25年・・・」(※1)を読んだ、ミータンから―

“医師に任せきりにしない”と言う意味では、セカンド・オピニオンだけでなく、自分自身が、極力最新の情報と知識を常に得て、セカンド、サードと幾つかのオピニオンを頂いた時に、自分で選択すること・判断することができるようになっておくこと、も大事だと思います。



  *   *   *   *   *   *   *   *   *



3年前、私が、近所のS病院でS医師に“悪性だから入院手続きをするように”と言われたその夜、「乳がんについて、どんなことでもいいから、情報が欲しい」と言ったときのことを思い出しました。

居合わせた友人4、5人から一斉に「セカンド・オピニオン取らなきゃダメよ」と、まさに異口同音で返ってきたのでした。

若いS医師は「セカンド・オピニオン欲しければ、紹介状は書きます。どこへ行っても、私の診断と手術の方針と、そんなに違いはないと思いますが」と、私から求める前に言ってくれていました。

「セカンド・オピニオンを聞く」ということが、常識になりつつあるのか、と、20年前とは隔世の感がありました。



実際には、今も、

「医療の「セカンド・オピニオン」希望者の4割「実際は聞けぬ」」(『朝日新聞』2005.3.27) 

とあるように、いざ、自分が患者という身になったとき、実行するのは難しい。

セカンド・オピニオンのために紹介状と資料を出して欲しいと言ったら、目の前の医師の機嫌を損ねるのではないか・・・今後の自分の生殺与奪を握っているように思える医師とはよい関係を保ちたい、というのは自然な人情だ。

体調が低下し、「悪性」と診断されて気力も萎えている状態にあって、なお、他の病院へ行ってセカンド・オピニオンを聞く、というのは、しんどいことだ。勤めていればさらに休みもとらなければならない。



知識だけではなく、「セカンド・オピニオン取らなきゃダメよ」と背中を押してくれる声があり、他の病院に行きやすい環境があってこそ、実行が可能になるのだ、と改めて思う。



※1 第180号 2005.3.2 「アワビのつぶやき(3) 25年・・・」
2005/3/26 (Sat) (6)喉元過ぎても
エーッ! 術後の“むくみ”は、10年以上経ってから起こることもある、なんて・・・。開腹手術を受けると、40年経っても癒着の激痛に襲われることがあるけど、“むくみ”の不安も一生つきまとうのか。

乳がん・子宮がんの術後、死の不安がひとまず鎮まったところで、QOL(生活の質)に立ちふさがるのが“リンパ浮腫(=むくみ)”。
入院中や治療が続いている間は、むくみを警戒してリハビリ体操をしたり、手術した側の手では重いものを持たないとか怪我や火傷をしないように、などという注意を守っていても、1年たち2年たてば、警戒心も緩みがち。

ところが、“手術後すぐにリンパ浮腫が起こる人もいれば、10年以上経ってから起こる人もいて、個人差があります。”(※1)“いったんリンパ浮腫が起こると、ある程度改善はできても、完全に元のように戻らない(※2)”

手術という外科的侵襲だけでなく、放射線照射によってもリンパ管が傷ついている。
だから、些細と見えるきっかけでリンパ浮腫が起こる、ということらしい。
きっかけには、睡眠不足や過労ばかりでなく、“●転倒によりねんざしたり、足首をくじいたり、打撲やけがをした。●お葬式や法事などで長時間正座した。●引っ越しをした。(※3)”というのもある。飛行機などで長時間同じ姿勢で腰掛けているのもよくないし、温泉浴がきっかけになることもあるとか。

周囲の皆さん、患者・元患者が足を投げ出して座っていても、「行儀が悪い」と非難しないでください、ね。



※1『乳がん全書』(編著者・福田護、法研、2002年)p.334
※2『リンパ浮腫がわかる本―予防と治療の実践ガイド』(廣田彰男・重松宏・佐藤
泰彦、法研、2004年)p.14
※3『リンパ浮腫がわかる本―予防と治療の実践ガイド』p.65
2005/3/19 (Sat) (5) マツケンサンバ?
道を歩きながら腕をあげてブラブラ、マツケンサンバか阿波踊りか・・・春先だけ
ど、気が変になったわけじゃありません。
肘から先のだるさ・じわァーっと続く鈍痛・こわばり感への対策「挙上」です。一番いいのは、腕・手・指を使わず、肩よりあげておくこと。つまり休養。一番実行しにくいのもこれ。
「ときどき、手と腕を上げ、ブラブラ運動をする。(※1)」つまり、マツケンサン
バ。電車に乗った時は、手術した側の手でつり革を握る、というのは実行しやすい。

アワビには風を当てないのが一番。日焼けもダメ、干物(ひもの)を作るんじゃないんだから。
ハンカチ1枚あてとくだけでも違います。猛暑でも長袖を着る、冷房風はもってのほか。運転中のクーラー風も。春秋でも、寒中でも。
袖カバーを長袖の下につけるとラク。和風には腕貫(うでぬき)とも言います、100
円ショップの園芸コーナーとか事務用品コーナーでおしゃれな柄物を売ってます。ただし、ゴムが食い込むほどきついのはダメ(※2)。


※1 『リンパ浮腫がわかる本―予防と治療の実践ガイド』(廣田彰男・重松宏・
佐藤泰彦、法研、2004年)p.46「日常動作に組み入れた挙上のコツ」

※2 ※1のp.27に―
「リンパの流れを邪魔しないための基本的な注意は
くびれができるような下着(コルセット・ガードルやゴムのきつい下着)を着用しない。」
2005/3/9 (Wed) (4) 誰にでも
アワビ仲間から、
「人間と同じように犬にも癌があり、転移もするなどと考えてもいませんでした。」

そうなんです、人間も犬も、草も木も、“すべて生きている細胞はガンになる”のです。

男性にも乳がんがあると、ガン本には必ず書いてあります(※)。
知識としては知っていましたが、乳がん病棟で、男性患者に現実に出会い、言葉を交わして、認識を揺さぶられました。
乳がん患者は、必ず、「初潮時期、妊娠・授乳の経験、閉経時期」を問診されます。
男性患者は「あてはまらないことが多いんだよねエ」と、笑っていました。


※ 例えば『乳がん全書』(編著者・福田護、法研、2002年)p.62に―
「ほとんどの人は、乳がんは女性のがんだと思っているようですが、男性の乳がんもあります。乳がん全体の約1%あります。
・・・男性にも、わずかですが乳腺組織がありますから、やはり発症する可能性があります。・・・
検査の結果、乳がんだった場合は、治療に関しては、手術も化学療法もホルモン療法も、女性とまったく同様に行われます。
受診する専門外来も、乳腺(内分泌)外科あるいは、「乳腺外来」を設けてある専門科です。」
2005/3/5 (Sat) (3) 25年・・・
今夜(2005.3.2)の「アサヒ・コム」 に―

「元院長の医師免許取り消し 富士見産婦人科事件で厚労省」

多くの女性に、でたらめな病名を告げて不要な子宮摘出手術などの「乱診乱療」を
行った富士見産婦人科病院事件。
事件発覚後25年たって、ようやく北野千賀子元院長(78)の医師免許取り消し処分が決定された。
院長・理事長夫妻は、病院経営者として、産婦人科病院を立派な建物や救急車で装
い、入院ウエアや美容室など、“快適な入院”を売り、出産を高価なイベントに仕立てていた。富士見産婦人科病院が破産したのちにも、異なる名前をつけたクリニック(診療所)を経営し、富士見産婦人科事件を知らない新住民や若い世代の患者をひきつけてきた。

被害女性たちにとって、25年は長い。あまりに長い。二十代三十代からの人生の盛りを、乱療のために心身・家庭・人生を狂わされてしまった彼女たち。どんなにいろんな分野で活躍できていただろう「富士見産婦人科病院被害者同盟」のメンバーを思い浮かべると、無惨という言葉が浮かぶ。

彼女たちの闘いから、私も、患者としての身の処し方を学んできた。
“医師に任せきりにしない、セカンド・オピニオンをとる”、というのもその一つ
だった。
「被害者同盟」の皆さん、ありがとう。

※富士見産婦人科病院被害者同盟『乱診乱療』晩声社、1982年5月
 佐々木静子「女性の健康と産婦人科医療」
2005/2/4 (Fri) (2) 自己判断
先輩患者のKさんからの年賀状に
  「私は、薬は副作用?のため、2年で止めました。」
Sさんの友人は3年の予定だった抗がん剤を2年でやめたと聞きました。
私も、術後、満1年たった昨冬から、ホルモン剤の副作用がいろいろ出ています。指
の先々に至るまで「血の巡りが悪くなった」状態。精神的にも、鬱になりやすい、と主治医に言われたとおり。
主治医に訴えたら、
「副作用です。生活の質(=QOL)が大事ですからね、耐え難いようなら、ホルモン剤をやめるしかないです。『自己判断』ですよ」と、そっけなく言われてしまいました。

医療の世界で「インフォームド・コンセント」という言葉が聞かれるようになって、久しくなりました。「インフォームド・コンセント」は必要だと思っています。
と同時に、自分が思いがけなく患者となったときに、医師の説明を冷静に聞き判断できる人はどれだけいるのだろう? とも思います。
自己判断を回避して、お医者様という絶対者に「こうしなさい」と言ってもらえたらラクなのに・・・矛盾する患者心理です。

1粒のホルモン剤を飲む、ことで無理してはいけない体であることを思い出し、再発
・転移の不安を意識の向こうへ押しやっている毎日。
服用をやめる、イコール何もしない、という決断ができないまま、飲み続けていま
す。
2004/12/30 ☆ New! アワビのつぶやき (1)
◇乳がん患者と家族友人のためのコーナーです。つまり、すべての人のためのコー
ナー。
タイトルは、乳がん患者の後輩Yさんの表現をお借りしました。
術後の傷跡周辺から脇の下・腕にかけての、こわばり、ピリピリ痛、チリチリ感、薄い板が入ってるみたいな、違和感。「あわびが一枚張り付いているようだ」とのYさんの表現は言い得て妙でした。
 むらきは術後、満2年たち、3年目に入りました。3回目の冬を迎えていますが、天
候しだいで、いまだに、アワビが存在を主張します。治療の副作用とのつきあいもまだまだ続きます。

 アワビ仲間の知恵、大募集! 

◇これも「非戦つうしん64」からの転載ですが、通院している身にとって、切実です。この国は恐ろしい方向へ進んでいる・・・

「混合診療解禁でおこる患者の悲劇」長野県いろひら医師による投稿